柳田國男風に言えば「物好きに佳名を考案した」とでもなるのだろう、上郷の精舎(かつては精舎村)という地名は、村史では「仏語と関連あるらしく奇妙な感」(仏語は仏教用語の意)、「何かの呼び名からくる当字の地名かも知れないから、無理にこじつけた地名伝承を作らない方がよい。」としている。平家物語の「祇園精舎の鐘の聲」と、この地域にある落人伝説との付会などを念頭において釘を刺した解説だとすれば、私もその点には同感だ。同感ではあるが、あえて考えてみる。「無理なこじつけ」かどうかの判断は読んでくれた人におまかせしよう。
精舎が館岩川下流、下郷にある塩ノ原(シオノハラ)の地名とシオで繋がるのではないかと気づいたのは、南アルプスの北端の一峰、入笠山麓北側に位置する、長野県諏訪郡富士見町から高遠町(現伊那市)へ通じる古道(法華道と称する)に「塩の水」(ショウノミズ)という湧水があることを知ったことによる。
「牧の宮のちょうど向かい側に、塩の水(ショウノミズ)と呼ばれている清水が湧き出しています。(中略)この清水には塩分が含まれていると言うことで、塩の水という名前がつきました。(中略)一説によれば、牧(馬の育成場)があった頃、馬の水飲み場と塩の補給所であったとも伝えられています。」(信州わくわくフットパスガイドブック14)
冬には獣以外の食料が一切取れない地域では、山菜、キノコ、味噌、醤油等の保存食のために塩は重要で、桧枝岐村から越後山地を越えて新潟県北魚沼郡小出町(現魚沼市)へ出る枝折峠はシオイリとの説もあるし、只見町から越後への六十里越、八十里越の峠も会津経由よりも安価な塩の運搬路としての重要性を持っていた。塩のつく地名の数の多さもその反映だろう。諏訪郡富士見町のショウノミズも鹿や馬が好んで飲むことから塩が含まれることを知ったことが記されている。飲んで塩気を感じるほどの濃さではないとのことだ。
この入笠山から南下した、下伊那郡大鹿村大字鹿塩も鹿が塩水を舐めているのを見て塩井を発見したという由来を持つ。南北朝時代に後醍醐天皇の皇子宗良親王がこの塩によってここに拠点を持ったとも言われる。現在も塩川沿いに天然塩泉の鹿塩温泉がある。
南会津郡郡只見町の大字塩沢には滝ダムに水没した旧塩沢村に塩を生成していた塩井があり、現在も元の集落の上に移転した塩沢集落の鎮守、塩竈神社がある。
「・塩井 村中塩沢川の東岸巌穴の間にあり、周六尺餘深一丈傍らに塩焼き小屋六軒あり、村民常に農隙を以て井水を汲み煮て塩となし他村まで鬻ぎ出す、塩の味ひ軽く色白し、土人は空海の護摩を修せしに因りて湧出すと云」(『新編』大塩組)
舘岩の塩ノ原にも塩清水という地名があり、宮沢と舘岩川の合流するあたりに「塩の清水という塩類をおびた清水が湧出して」(『舘岩村史』)いたという。精舎の下流の熨斗戸にも塩沢、塩沢口がある。
このことから次のように考えてみる。舘岩川の水系にいくつかの塩分を含んだ沢や湧水があり、そこにそれぞれの村(集落)は発達していく。かつて精舎村にもそれがあって塩沢村といわれていた。荘園地の検地などの四囲の境を表記する際に、同一地域での同地名による混乱を避け、熨斗戸村の塩沢と区別するために、規模の小さい塩沢(精舎)村に別な文字表記を当てる必要に迫られたと。事実は知る由もないが、温泉資源と鉱物資源の豊富な土地なので、ごく近い精舎に塩沢があったと考えることはさほど無理ではない。
塩をショウと聞いてショウシミズ、ショウザワグチとなれば、この地方での「沢」の発音はサア、ザアなので、ショウジャは塩沢で発音はとても近く、無理なく「ショウジャ」になる。試みにシオザワと十回唱えてみると、最後の方はショウジャになっていく(笑)。
只見町の大字塩ノ岐(シオノマタ)は、同級生もいて会話の中でもよく使う地名だったが、あらためて口にしてみれば、自分が発した言葉もショウノマタという発音に聞こえる。それでも人に伝える時には、特に地元ではない人には、訛りと思われることを避けてか、おそらく「シオノマタ」と漢字を読むように言ってしまうと思う。しかしそれは、地名の変遷を正しく伝えようとする情報としては誤りだと言わざるを得ないだろう。漢字を読むことに慣れてしまっている我々現代人は、耳からの音を素直に聴き取り、それを伝えることが思っているほどできないようだ。
戦前生まれの方と話をしていても時々思うことだが、方言というのではなく、同じ漢字を読んでも、その地方なりの発音や音の繋がりが自分とは違って、そこから新たな切り口に気づくことがある。耳からの音を大切にする言葉の扱い方が、地名の調査にはかなり重要だとあらためて思う。通音による地名の漢字表記は千変万化で、文字の上で塩沢が精舎になるのは大きな違いだ。しかし実際の生活上では文字に記録されようがされまいがショウジャという音は変わらないので不便はない。発音地名の「ショウジャ」はずっと変わらなかったのだと思う。
「何かの呼び名からくる当字かも知れない」という村史の推定には、「塩沢の当て字ではないか」という回答を提出しておきたい。
前記事「蟹のある地名」でもカニサワがガンザーであることで金沢(ガンザー)鹿沢(カノサー)などに通じ、そこを切り口に古代の藪の中に入っていけた。民俗研究では「いろはのい」なのだろうが、『角川地名』などにおいても、明らかに濁音と思われる地名に共通語の清音でルビがついているものは数多い。
多くは資料をまとめた現地人が、漢字表記の際に、通用している現地の発音ではなく、共通語の漢字読みで提出したのだろうと思われる。それは『ふるさと南郷山の散歩道』を見ても起きている現象だ。挙げればきりがないが「台」「大」「平」「手」「川」や「愛宕」「枚」「前」「河原」「埋」など、使われている発音に従った記録の必要と難しさを痛切に感じる。うまく表意した地名もあるには違いないが、すでに意味が分からなくなっているような古い地名であるほど当て字なので、漢字表記は要注意になる。地名の読みはその土地の発音が大切だという前提で採取、記録しなければならないだろう。
カンエム、キゼエム、キチエム、ゴゼーム、ショウエム、ゼンエム、ヨジエムなど、一見何のことかと思われるだろうが、沢や久保、畑などの前についた人名だ。それぞれ勘右衛門沢、喜左衛門久保、吉右衛門畑など、名の主が開いた場所についた地名である。山中の適地を求めて春から秋まで本村から離れて小屋に暮らし焼き畑耕作する、「出作り」という桧枝岐村に残っていた耕作形態のなせる地名で、古くは水田耕作ができない地域に広くあったものだ。比較的新しい地名だと思われるが、この地域の特徴でもある。『桧枝岐の暮らしと地名』がこれを発音のままで採取しているのは素晴らしい。将来これらの地名が意味不明になることを防げたと思う。
(前記事:平野厚子写真集『檜枝岐出作り小屋 奥会津の焼畑に生きる』も参照)
柳田國男が木曽の福島も元はフクジマだったものが、観光地として有名になり、皆(マスコミの発信も)が漢字を清音で読むことが増えたために、地元の人もいつしか福島県と同じにフクシマと発音するようになったと記していたことを思い出した。

