自信は持たない
年の瀬なので、身を引き締める話。
今回は、「自信」の話をします。
世間と言っていることが大分違うので、信じなくてOKです。
ただ、頭の片隅に入れておくと、ある時にふと「あぁ、そうか」と抽象度が上がる時があると思います。
それでは、はじまり、はじまり。
自信とは何でしょう。
一般的には「私は出来る」という感覚です。
実はこれ、取扱に注意が必要です。
英語を話せる自信がある。
料理が出来る自信がある。
何でも食べられる自信がある。
まぁ、何でもいいです。
自分に自信があるものを幾つでもいいから挙げてみてください。
できましたでしょうか?
それではスコトーマ(盲点)を外してみます。
明日、病気になったらどうでしょう?
例えば、39度のインフルエンザにかかったら…。
英語話せますか? 料理出来ますか? 何でも食べられますか?
おそらく情けないほど出来なくなると思います。
もし、それが仕事だったら…。
そういう時、あれほどあった「自信」は何処へ行ってしまったのでしょう。
そういう時に出来てこそ「自信」と言えるのではないでしょうか。
もしかして今、あなたが「自信」だと思ってるのは「過信」かもしれません。
本当の「自信」とは例えばこうです。
(私は日々の健康管理をしっかりしているので)何でも食べられる自信がある。
このカッコ内があるかどうかです。
1度出来たから次も出来るだろうというのは、単なる「過信」です。
彼は私に夢中。彼女は俺に夢中。
確かに今までは、そうだったかもしれません。
でもそれが、明日もそうである理由にはなりません。
かえって「自信」があるが故に、太ったり、粗末に扱ったりして、関係が壊れたりもします。
そんな「自信」は「過信」ですから、持たない方が良いのです。
よく「自信が無い」という人がいます。
また「自信を持て」という人もいます。
世間では、それが正しいと思われているようです。
でも、それって本質を掴んでいるのでしょうか。
例えば、大学受験で、1番物を言うのは「練習量」です。
「自信」じゃありません。「練習量」なき「自信」はただの「過信」です。
「自信」が全然無くたって、人の倍の「練習量」をこなしたなら余裕で入れます。
教科書に書いてあることは全て覚えた。
模試も全て受けた。
当日のシミュレーションも何度もした。
でも「自信」だけが無かったので落ちました。
こういうことは、あり得ません。
仮にあったら、「自信」があったって落ちています。
受験を他のものに変えても同様です。
極論すると自信なんて無くていいんです。
必要なのは「練習」です。
そして、本番で必要なのは、「自信」じゃなくて「リラックス」です。
自信を持とうと力むのは、「練習量」が足りてないからです。
「練習量」が足りてれば、後は「リラックス」だけです。
情緒的におどおどしてる人は、「自信がない」と言うでしょう。
そこに必要なのは「自信」じゃなくて「練習」か「リラックス」、このどちらかです。
「自信」は「練習量」に比例します。
故に「自信」だけ持つことは不可能です。
根拠の無い自信は、過信です。
泳げない人が、自信を持って飛び込んだら、溺れます。
いくら鮮明に自分が泳ぐ姿をイメージしたって、練習しないで海に飛び込んだら、溺れるに決まっているのです。
泳げる人でも、自信を持つが故に準備運動をしなければ、最悪、死ぬこともあります。
もし、泳げる人が、「自信を持て」と人から言われたならば、
脳内で「リラックスして」という言葉に変換して受け取りましょう。
そもそも、誰でも一番最初はやったことが無いのですから、最初は自信の持ちようなんて無いのです。
もし、自信が無ければ出来ないなら、誰も何も出来ないことになってしまいます。
自信があっても、練習してないことは出来ません。
リラックスしてないと、力が発揮されません。
だから重要なのは「練習量」。
そして「リラックス」なのです。
世間と言っていることが大分違いますから、無理に信じる必要はありません。
忘れちゃってもかまいません。
ただいつか、力を抜いて何かが出来るようになった時、「あぁ、このことだったのか」とわかる日が来ると思います。
2010年、ご愛読頂きありがとうございました。
来年は「2011(二重にイイ)年」です。
2011年があなたにとって花開く年でありますように☆彡



今回は、「自信」の話をします。
世間と言っていることが大分違うので、信じなくてOKです。
ただ、頭の片隅に入れておくと、ある時にふと「あぁ、そうか」と抽象度が上がる時があると思います。
それでは、はじまり、はじまり。
自信とは何でしょう。
一般的には「私は出来る」という感覚です。
実はこれ、取扱に注意が必要です。
英語を話せる自信がある。
料理が出来る自信がある。
何でも食べられる自信がある。
まぁ、何でもいいです。
自分に自信があるものを幾つでもいいから挙げてみてください。
できましたでしょうか?
それではスコトーマ(盲点)を外してみます。
明日、病気になったらどうでしょう?
例えば、39度のインフルエンザにかかったら…。
英語話せますか? 料理出来ますか? 何でも食べられますか?
おそらく情けないほど出来なくなると思います。
もし、それが仕事だったら…。
そういう時、あれほどあった「自信」は何処へ行ってしまったのでしょう。
そういう時に出来てこそ「自信」と言えるのではないでしょうか。
もしかして今、あなたが「自信」だと思ってるのは「過信」かもしれません。
本当の「自信」とは例えばこうです。
(私は日々の健康管理をしっかりしているので)何でも食べられる自信がある。
このカッコ内があるかどうかです。
1度出来たから次も出来るだろうというのは、単なる「過信」です。
彼は私に夢中。彼女は俺に夢中。
確かに今までは、そうだったかもしれません。
でもそれが、明日もそうである理由にはなりません。
かえって「自信」があるが故に、太ったり、粗末に扱ったりして、関係が壊れたりもします。
そんな「自信」は「過信」ですから、持たない方が良いのです。
よく「自信が無い」という人がいます。
また「自信を持て」という人もいます。
世間では、それが正しいと思われているようです。
でも、それって本質を掴んでいるのでしょうか。
例えば、大学受験で、1番物を言うのは「練習量」です。
「自信」じゃありません。「練習量」なき「自信」はただの「過信」です。
「自信」が全然無くたって、人の倍の「練習量」をこなしたなら余裕で入れます。
教科書に書いてあることは全て覚えた。
模試も全て受けた。
当日のシミュレーションも何度もした。
でも「自信」だけが無かったので落ちました。
こういうことは、あり得ません。
仮にあったら、「自信」があったって落ちています。
受験を他のものに変えても同様です。
極論すると自信なんて無くていいんです。
必要なのは「練習」です。
そして、本番で必要なのは、「自信」じゃなくて「リラックス」です。
自信を持とうと力むのは、「練習量」が足りてないからです。
「練習量」が足りてれば、後は「リラックス」だけです。
情緒的におどおどしてる人は、「自信がない」と言うでしょう。
そこに必要なのは「自信」じゃなくて「練習」か「リラックス」、このどちらかです。
「自信」は「練習量」に比例します。
故に「自信」だけ持つことは不可能です。
根拠の無い自信は、過信です。
泳げない人が、自信を持って飛び込んだら、溺れます。
いくら鮮明に自分が泳ぐ姿をイメージしたって、練習しないで海に飛び込んだら、溺れるに決まっているのです。
泳げる人でも、自信を持つが故に準備運動をしなければ、最悪、死ぬこともあります。
もし、泳げる人が、「自信を持て」と人から言われたならば、
脳内で「リラックスして」という言葉に変換して受け取りましょう。
そもそも、誰でも一番最初はやったことが無いのですから、最初は自信の持ちようなんて無いのです。
もし、自信が無ければ出来ないなら、誰も何も出来ないことになってしまいます。
自信があっても、練習してないことは出来ません。
リラックスしてないと、力が発揮されません。
だから重要なのは「練習量」。
そして「リラックス」なのです。
世間と言っていることが大分違いますから、無理に信じる必要はありません。
忘れちゃってもかまいません。
ただいつか、力を抜いて何かが出来るようになった時、「あぁ、このことだったのか」とわかる日が来ると思います。
2010年、ご愛読頂きありがとうございました。
来年は「2011(二重にイイ)年」です。
2011年があなたにとって花開く年でありますように☆彡


