7月23日(日)は、一日中、福岡市の博多で、私の主催した、「地球文明」のセミナーと懇親会でした。
夜遅くまで、いろいろなことを語り合いました。
参加された皆さん、お疲れ様でした。
翌日の24日(月)は、博多のバスターミナルから西鉄バスで、大分県日田に向かいました。
途中で、友人のエナちゃんが、天神から乗ってきて、合流しました。
それから、朝倉インター口で降りると、金城さんが車で待っていてくれました。
金城さんも、春の福岡セミナーを受講していただいたので、エナちゃんとも顔見知りでした。
久しぶりに、3人での再会になりました。
それから、日田までドライブしました。
途中で、集中豪雨による災害に見舞われた場所も通りました。
早く復興することを願いました。
大雨による川の氾濫で、橋が壊されていました。
自衛隊のトラックが、通り過ぎていくのを見たら、乗っていた若い自衛官の人たちが、クタクタに疲れて、眠っている姿が、印象的でした。
途中で、トイレ休憩を兼ねて、立ち寄った場所が、「鏡坂展望台」という所でした。
ここには、私が、日本史における重要人物だと思っている、「景行天皇」が、滞在していたところみたいです。
ちなみに、「景行天皇=イエス・キリスト」みたいです。
この隣に、神社もありました。
そこにも、立ち寄りました。
拝殿です。
「天満宮」と書かれていました。
見てください!
やはり、「アヌ王」のシンボルマークが、ここの境内にも、置いてありました。
途中で、「豆田町」という町にも、立ち寄りました。
風情のある、いい町でした。
狛犬です。
これは、「エンリル」ですね。
大きな下駄もありました。
日本一だそうです。
その前で記念撮影しました。
「超巨木を斬って、切り株にした巨人は、こういう下駄を履いていたのかな?」
と思いました。(笑)
「慈恩(じおん)の滝」という滝にも、立ち寄りました。
もしかしたら、「じおん」は、元々は、「シオン」という名前だったのかもしれません。
「シオン」の意味は、ヘブライ語で、「イスラエル」や「要塞」や「神の町」という意味だそうです。
だから、ここは、「神の町の滝」という意味になります。
マイナスイオンを、タップリ浴びました。
龍神様もいました。
お地蔵さんたちもいました。
それから、大分県での目的地、「伐株山」に向かいました。
着きました。
「伐株山」です。
文字通り、「切り株」の形をした山ですね。
記念撮影しました。
「伐株山(きりかぶさん、きりかぶやま)」は、大分県玖珠群(くすぐん)玖珠町(くすまち)にある、標高685.5メートルの山です。
別名で、「切株山(きりかぶさん)」と表記されることもあるそうです。
この山は、前述した、アメリカの「デビルズタワー」の386メートルよりも、はるかに高くて大きいのです。
SF映画の「未知との遭遇」に出てくる、「デビルズタワー」です。
形が似ていますね。
ちなみに、こういう形の山には、昔、聖徳太子が、龍に乗って訪問したという伝説も残っているようです。
看板がありました。
巨人が、超巨木を伐って、「切り株」にしている絵ですね。
この時に、運転していた金城さんの旦那さんの職業も、「木こり」だと聞いて、3人で、大笑いしました。
不思議なシンクロでした。
「伐株山の伝説」の話です。
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「伐株山の伝説」
昔むかし、ずっと昔、玖珠盆地の中ほど、万年山の北側に、天にもとどきそうなくすの大樹が、そびえ立っていました。
くすの木のてっぺんは、いつも雲の上までのび、朝日があがる時には、有明海に影がとどき、夕陽を隠して、四国の松山まで影がかかる大木でした。
まったく、地面に日があたらず、田も畑もみんな、影になってしまい、一日中薄暗く、米や野菜などの作物は育たず、村の者は、次々と病気になって倒れ、たいそう困っておりました。
「あのくすの木が、なければよい。何とかして、あのくすの木を、きり倒すことは出来ないものか」
と、村の衆は、この村一番の知恵者のお庄屋 さんを囲んで、くる日もくる日もそうだんしました。
ちょうどそのころ、木牟田に、たいそう力持ちで、腕じまんのこびきさんが、住んでおりました。
村の衆は、なん日もなん日も、そうだんしたあげく、この腕ききのこびきさんにたのんで、切ってもらうことにしました。
木牟田の腕ききこびきさんは、早速、これも力持ちで、うでじまんの若い五人のこびきさんを連れて、このくすの大樹の根元まで、やってきました。
こびきさんたちは、目の前にみあげるくすの大樹の、あまりの大きさに、またまたビックリしました。
さっそく、たたみさんまいじきもある、大きなこびきのこを使って、二人ずつで、
ギーコンギーコン
と力を合せて、押したり引いたり、一日中汗をふきふき働き、薄暗くなって家に帰りました。
次の日も、いい天気、こびきさんたちが、くすの木の根元まで来て、見ますと、おどろいたことに、昨日の夕方、暗くなるまで汗を流 して切った、その切り口が、見つかりません。
あまりの大木だから、切り口をまちがえたのかと、くすの木を、一まわりしてみましたが、やっぱり、切り口は見つかりません。
しかたな、くこびきさんは、昨日切り始めた場所と同じところを、また力を合せて切りました。
三日目、四日目、五日目も、その次の日も、切り口は、見つかりません。
せっかく、昨日あんなに、汗びっしょりになって、力いっぱい切ったのに、その切り口は消えて、きず一つついていません。
こびきさんたちは、がっくりと力を、落してしまいました。
そんなある日のこと、身のたけ九百しゃくもある大男が、里にやってきました。
そして、こびきさんたちに、
「お前たちが、いくらきろうとしても、それは無理だ。私に、まかせるがよい。私が、このくすの大樹を、きり倒してあげよう」
と大男は、みじたくをととのえると、大きなおので、くすの大木に立ち向い、自分のひざの高 さに合せて、
カチン カチン
とおのをふりおろしました。
ところが不思議なことに、大男が、いくらかいりきをふりしぼって、おのを、くすの大木に打ち込んで、みきを削り落しても、翌朝には、削られたみきの場所が、元通りになって、直っておりました。
「これは、いったいどうしたことじゃ」
さすがの大男も、困りはてて、大きなおのを投げ出し、思案にくれていました。
すると、くすの木の上の方から、スルスルと降りて来たものが、ありました。
それはいつも、
クサイ クサイ」
とくすの大樹に笑われ、いためつけられている、ヘクソカズラの精でした。
ヘクソカズラの精は、大男に向っていいました。
「私たちは、いつもこのくすの木に、まかりついていて、くすの木からようぶんを、もらって生きています。ですから、くすの木が、傷をつけられると、いつものごおんがえしに、私たちは、すぐ汁を出して、傷口にぬり、傷口をなおしていたのです。ところが、私の出す汁が、くさいと言って、このくすの木が笑ったり、嫌がったりするのです。このくすの木が、こんなに小さい頃から、ずいぶんとかわいがってあげ、私が、くさいおかげで虫もつかず、病気にもかからず、台風に傷ついても、すぐになおして、こんなに大きくなったのに、そのおんも忘れて、私のことを、『クサイ クサイ』と、嫌がっています。あまりのおん知らずに、私は、腹を立てています。そう、私がひでんを、お教えしましょう。毎日きっただけのきくずを、焼きすててしまえばよいのです」
とヘクソカズラの精は、教えてくれました。
それから、大男やこびきさんは、ヘクソカズラの精が、教えてくれた通りに、毎日、その日の切りくずは焼きすて、焼きすてては、きりつづけました。
夏が来、秋が来て、寒い冬が来ましたが、こびきさんや大男たちは、休まずきりつづけました。
ギーコン ギーコン カーン カーン
と、木を切る音が、岩扇山にこだまして、森の衆も、塚脇の衆も、
「こびきさんたちは、今朝も、早よからがんばっている。俺たちもがんばらぬば」
と、こびきさんたちを応援しました。
そうして、三年三ヵ月がすぎ、春がやってきて、くすの大樹を、きり倒すことができました。
玖珠盆地や日田盆地は、大きなみずうみだったのが、大木が倒れたので、みずうみの土手が切れて、水が流れ出して玖珠川ができ、水が流れ出してしまって、ひて(日田)しまいました。
きくずを焼きすてた所が、はいざん(現在の寺山)、くすの木のせんたんが長崎(ながさき)、落葉のあとが博多(はかた)、葉の流れついたところが斯波(しば)、その切株が、「伐株山(きりかぶさん)」だといい伝えられています。
くすの大樹が、きり倒されてからは、村々や里に、日がさすようになり、日田(ひた)、夜明(よあけ)、朝日(あさひ)、光岡(てるおか)などの地名が生まれました。
きり倒されたくすの大樹は、中をくりぬき、二百人も乗れる日本一大きく、たいそう速い、まるきぶねを造りました。
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興味深い話ですね。
他にも、読者の方から、教えていただいたのですが、「豊後の国風土紀」という本にも、こういう記述があるそうです。
昔この郡に、大きなクスノキがあって、そこから玖珠郡という名前がついたという伝説が書かれていて、その中には、
「クスノキから、鳥の巣が落ちたところが鳥栖、ここまでは、くるめえ(久留米)、クスの葉が、最も遠くに届いたところが、博多(葉形)」
他にも、
「玖珠にあった巨大な楠木を、巨人が切り倒し、木は、西九州方面に向かって倒れ、木の先は、久留米を越え、壱岐対馬まで届いたとされています。そして切り落とされた伐り株が伐株山となりました」
こう書かれているそうです。
面白いですね~!
こういう巨人たちが、本当にいたのかもしれませんね。
「伐株山」の頂上まで、車で登りました。
看板です。
頂上は、平坦な土地になっています。
見晴らしが、最高です!
今回、この山が、太古の昔、「超巨木」だったという痕跡らしきものは、残念ながら見つかりませんでしたが、頂上に、古墳が、いくつかあることからも、ただの山ではないことが、わかりました。
伝説も書かていました。
切り株もありました。
山の頂上を、散歩しながら、
「ここは、太古の昔、超巨木で、今、その切り株の上を、歩いているんだな…」
と思ったら、最高にワクワクしてきました。
スマホで、写真を撮っているところです。
本当に素晴らしい景色が、眼下に広がっていました。
風が強くなってきて、雨が降ってきそうなのを、心配している場面です。
結局は、降らずにすみました。
遠くに、二つの山がありました。
「伐株山」と合わせると、三つの山が並んでる位置になり、アメリカの「モニュメントバレー」みたいな景色になります。
日本では、ここだけが、「メサ」の密集地だと言われているそうです。
玖珠町のように、メサ地形やビュート地形の山々が集まったところは、大変めずらしくて、日本中どこを探しても、他にはないそうです。
![{C70EFB9E-596B-4944-A73A-416FAA6223C3}](https://stat.ameba.jp/user_images/20170724/23/tomaatlas21/9c/96/j/o0480036013989914237.jpg?caw=800)
「メサ」とは、「テーブル上の台地」のことで、一般的には、火山活動による造山運動で、形成されたと言われています。
でも、この景色を見ていたら、
「これらの山々は、本当に、巨人が伐ってできたんじゃないかな…?」
だんだん、こう思えてきました。
玖珠盆地の「メサ」と呼ばれる山々は、伐株山、万年山、大岩扇山、青野山なですが、とても不思議な風景の土地です。
石仏がありました。
その中には、女性らしい像もありました。
エジプトの神様に見えますね。
「イナンナ」かもしれませんね。
遠くにブランコが見えたので、そこにも行きました。
童心に返って、ブランコに乗りました。
山の上から、絶景を眺めながら乗っていると、頭の中で、「アルプスの少女ハイジ」の歌が、流れてきました。(笑)
友人のエナちゃん、それから、案内してくれた地元の金城さんと、3人での記念撮影です。
金城さん、長時間の運転、お疲れ様でした。
お店の外には、なぜか、桃太郎たちがいました。
この日は大分県の「湯布院」に泊まりました。
最高に素晴らしい温泉旅館で、旅の疲れを癒しました。
翌日は、高千穂に向かいました。
次回から、舞台は、宮崎県に移ります。
お楽しみに!