夏至の日。
 夏の短夜が静かに明けてゆく。
 曇っているのに四時過ぎでこの明るさだ。


 四方の光景が、凛として輝く旭光をいっぱいに浴びて太古の地球を思わせる毒々しいオレンジ色に染まる。
 輝く曙光を全身に浴び、思わず我を失い時を忘れる、至福のひととき。


 すると、いきなり竿がひったくられ、僅かな重みと生命感が手元に伝わる。その軽めの抵抗感からダツだとすぐにわかった。
 非常に危険な硬い嘴で刺さりにくいのに、たまたまリアのトリプルフックを咥えてしまったので外れなかったのだろう。この日もこの後何度かダツらしき当たりはあったがフッキングしなかった。
 まだまだこの海岸には生命感が希薄で、ダツとボラくらいしか姿が見えない。


 散歩の途中で見かけた道路一面に散らばる山桃の死骸。すぐに車に轢かれて血の海と化してゆく。
 毎年のことながら何かやりきれない、悲愁に満ちた儚い風情が一面に漂っている。



 スーパで見かけた地元朝獲れの本よこ(本マグロ幼魚)ブロック。あまりに綺麗で美味しそうだったので思わず買ってしまった。


 皮を剥ぎ、血合いを取り、テンパと呼ぶ上部の赤身部分をハネ、下部の座布団と呼ばれるトロの部分にある少量の血管を外科用の繊細なハサミで丁寧に抜き取る。


 まずは赤身、中トロの部分を少しずつ刺身で。少しコリコリして硬いが脂が乗って美味い。
 残りは冷蔵庫で一日寝かせて、また明日の楽しみに。


 赤身の部分をサイコロ状に切り、わさび醤油に漬け、出汁をかけた山芋で和える。
 熱々のご飯にかけて、息を止め一気にかき込む。


 一日寝かすと、柔らかくなり旨みが増す。ご飯にもお酒にも、何にでも合う。


 昼はさっぱりと冷やし中華。
 面倒臭いので具はハムときゅうりだけ。ご飯が欲しい。


 マグロの次はやっぱりカツオ。まだまだ安価を保っているのでついつい買ってしまう。


 この日、スーパーではすき焼き用の黒毛和牛が安かったので買ってしまう。


 昆布と鰹で出汁を取り、醤油と酒だけで薄く味付けしただけの、あっさりすき焼きを作る。
 具は牛肉と白菜とエノキと豆腐のみ。卵を付けていただきます。



 かんたろうは最近テレビに夢中。この日は野鳥にハマっていた。


 どこにいるのか。テレビの後ろ側を覗いて懸命に探す。


 どこにもいないのでイライラして爪研ぎを相手に憂さ晴らし。



 この日食べすぎて胃がキリキリと酷く痛み、薬を飲んで寝ていると、心配そうな顔をしてかんたろうがやってくる。
 そして腕に寄りかかってきて大丈夫か、とそのまま添い寝をしてくる。愛おしくてたまらない。


 ありがとう、かんたろう。
 おやすみ、長生きしろよ。


 相変わらず鬱陶しい雨が降り続き、釣りに行けない悶々とした日々が続いている。
 しかし、この日の太陽は厚い雲の合間から鮮やかに輝き、見はるかす四方の光景を、凛として輝く曙光をいっぱいに浴びて朱みを帯びた橙色に染めてゆく。


 ところがすぐに太陽は分厚く広がる巨大な雲の中に消え、分厚い広大な白い雲を外側から毒々しいオレンジ色に滲ませてゆく。
 妖艶で淋しく哀愁に満ちた秋の夕焼けのような空模様に早朝から圧倒される。
 遠くの方でトビウオが水面を滑るように跳ねながら飛び、波打ち際ではダツが獲物を追い回す。
 時折、そのダツがジグに体当たりし竿先をひったくってゆくが針にはかからない。
 静かな梅雨の明け方の海。



 先日の余ったゴカイを冷蔵庫で活かしていたのを思い出し、近くの湾内の岸壁でちょい投げ。
 さすがに海水を毎日変えていたとはいえ、5日も経っているので、ゴカイは息絶え絶えでふやけていた。


 引き釣りをしてもネズミゴチばかりなので、置き竿にしていると珍しい魚が釣れた。
 死んだようにほとんど動かずに上がってきたのは、ヨコスジイシモチ。


 少しは引いたが、何かわからない魚。多分ハゼの仲間だろう。



 チャリコ(真鯛の幼魚)は小さくても小気味いい当たりと引きを見せてくれた。


 定番のオオモンハタ。


 安定のガシラ(カサゴ)


 いきなり強烈に竿を引ったくって行ったのは何と30㎝越えの綺麗な真鯛。
 500円の柔らかい安物のグラスロッドを満月のようにしならせて頭を振りながら水面に現れた美しい姿に、しばし呆然と見惚れていた。


 早速捌いて、塩焼きに。
 お頭付きで、昼飯にご飯と一緒にいただいた。
 めでたい。


 近所を散策しながら、梅雨のひとときの晴れ間を楽しむ。
 雨水に洗われた川辺の草花が嬉々とした姿で踊り、詩美豊かな薫風が川面を軽快に滑ってゆく。



 スーパーの「父の日フェア」で年に一度の自分のためと言い聞かせて、まぐろづくし寿司セットを買う。


 ついでに大好物のうなぎの太巻きも。


 おまけに安くて美味しそうだったので、またまた鰹の刺身を買ってしまう。
 お腹いっぱいで動けない。
 うなぎ寿司が半分余ったので冷蔵庫へ。翌日の昼、食べよう。



 最近、かんたろうは朝食時、私と一緒にテレビを見るようになった。



 私が食べ終わると、顔を見て大声で「にゃん」と合図し、玄関の床に行ってブラシをしてくれとせがむ。


 ブラシをしていると、遊ぼうと全身で誘ってくる。


 早く連れていってくれ、と目を三角にして訴える二年前の公園でのかんたろう。


 今は、くりくりのまんまるい目だ。


 爪が生え変わるのか、よく噛んで引っ張っている。


 体もまんまるになった。


 おやすみ、かんたろう。
 梅雨バテ気味だけど、大丈夫か。



 この日は一日中雨予報。
 しかしいつもの時間に目覚め、窓の外を眺めると昨夜から降り続いていた小雨が上がっていた。
 慌てて竿を積み込んで車を走らせる。
 梅雨空の厚い雲の間から神々しい曙光が滝のように海面を照らし始める。
 しばらくジグを投げ続けるとぽつりぽつりと雨が落ちてくる。
 気づくとこの広い海岸には私ひとりで誰もいなかった。雨足が早まる。海に漂う深い寂寥感に背を向け早々に家路についた。



 まだ午前四時前。
 早くも水平線上の空は橙色に染まり、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。この日もいつもの海岸に私は一人でぽつねんと佇み、夜明けの海と対峙する。
 手前の波打ち際で一度ダツがジグに当たってきたがすぐ外れた。


 この日は快晴。
 手前の方で何度かひったくられるような当たりがあった。多分ダツが体当たりしているのだろう、フッキングする気配さえない。この日も釣り人の姿がなかったが、五時過ぎに帰ろうとしたとき遠くの方で釣り人が三人やってくるのが見えた。



 天気が良いので、朝日を浴びながら少しゴカイを買って湾内の岸壁からちょい投げ。

 いきなりの大きな魚信で竿先を小気味よく引ったくって行ったのはなんと23㎝の大きなシロギス。


 ぶるぶると気持ち良い引きを楽しみながら引き揚げたのは少し小さめのシロギス16㎝。 


 続いて小刻みに頭を振りながら上がってきたのは、 アオハタの幼魚か?


 木の葉かと思ったら、ヒラメの赤ちゃんだった。


 岸壁の真下、岩の間を狙うとゴツゴツとした当たりで定番のカサゴ。


 これだけ持って帰って、丁寧に捌いて、天ぷらに。


 晴れたが、日中は酷く蒸し暑かった。
 汗をかいた後は天ぷらをつまみに、よく冷えたビールが美味い。



 梅雨も盛りを極め、様々な種類の紫陽花がその美しさを競い合っているように咲き誇っている。


 この景色を眺めただけで、じめじめとした湿気が纏わりついてくる気がする。


 
 二年前の梅雨時の公園での痩せた孤独なかんたろう。帰ろうとしても、いつまでもトボトボ歩いてついてくる姿が愛しかった。可愛くて仕方なかった。
 大雨の日も、屋根のあるベンチの下でひたすら私を待ち続けていた姿を思い出す。
 その愛くるしい一挙一動が、何もかも失くしたばかりの索漠とした私の心を締め付けていた。辛かった。早く連れて帰りたかった。


 かんたろうと一緒に暮らすようになって一年と三ヶ月が経った。
 気づくと、何もかも失ってから私の胸の中に長いこと蟠っていた、得体のしれない孤独な翳りがいつの間にか消滅していた。
 私は私になっていた。

 最近ハマっているのが朝の紐遊び、猫じゃらし。
 獲物を狙う目が真剣だ。


 机の下に隠れて、紐を待つ。
 弱い相手には強い。


 こんなとき、体を撫でようとすると、まんまるい目をキラキラに輝かせて甘噛みしてくる。
 痛い、と叫ぶとすぐに離すが、それでも痛い。


 叱ると、大きなあくびで誤魔化す。


 薄目が開いているが、幸せそうな寝顔で何よりだ。思わず微笑んでしまう。


 おやすみ、おにぎり顔のかんたろう。 

 まだまだ鬱陶しい梅雨は続く。