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青空のむこう は、

交通事故で突然あの世に

行ってしまった少年ハリー。

ぼくはまだ決めかねてた。

アーサーはぼくに背中をむけて歩きだした。

そのとたん、エギーやママやパパや友だち、

ぼくが知ってる人たちの顔が次々に浮かんで、

どうしてももう一度会いたくなった。

みんながいなきゃ生きていけない。

死んでることだってできない。

すぐにぼくは決心した。

アーサーの後を追いながら呼びかけた。

「待って、アーサー。ぼくも行く」

アーサーは立ち止まってぼくを待った。

それからふたりで駆けだした。

“生者の国”を目指して―。

著者紹介

アレックス・シアラー 1949年生まれ。英国サマセット在住。シナリオライターとして執筆活動を始め、映画、舞台、ラジオ劇の脚本など多くの作品を書く。その後、若い世代を主な対象とした小説を発表。昨年刊行された初の邦訳『青空のむこう』(金原瑞人訳/求龍堂)以降、翻訳出版が相次いでいる。

青空のむこう は、

突然の事故で死んでしまった少年ハリー

あるときハリーは青空のむこうから地上に降りてくる。

心残りがあると〈彼方の青い世界〉と

呼ばれる場所に行けないのだ。

〈彼方の青い世界〉とは? 

ハリーは、思いを遂げられるのか?

死んでいるのに、あっけらかんとして

ユーモアたっぷりの主人公ハリー。

ハリーは、物語を通して、

「生きている今が大切なんだよ」

というメッセージを私たちに伝えてくれる

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ライ麦畑でつかまえて は、

原題 The Catcher in the Rye

物語の中で子どもが歌う

ロバート・バーンズの詩

"If a body meet a body Comin' through the rye

(曲は『故郷の空』として有名)" を

主人公が "If a body catch a body

comin' through the rye" と

聞き間違えたところから来ている。

日本でのタイトルは、1952年の橋本福夫訳では

『危険な年齢』(版元のダヴィッド社の命名による邦題)

、 1964年の野崎孝訳では『ライ麦畑でつかまえて』、

1967年の英潮社版繁尾久対訳『ライ麦畑の捕手』、

2003年の村上春樹訳では 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』となっている。

梗概

大戦後間もなくのアメリカを舞台に、主人公のホールデン・コールフィールドが3校目に当たる高校の成績不振で退学させられたことをきっかけに寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを彷徨する3日間の話。明確な起承転結や時系列はなく、彼の周りの人物や出来事を批判し、思い出話を語ることに終始する。 特徴と影響 1945年発表の短篇「気ちがいのぼく」(I'm Crazy)を敷衍した内容となっており、主人公がニューヨークを放浪して家に帰った後、いくらか月日が経過してから「君」に語りかける構造になっている。ブロークンな口語体で主観的に叙述されているため、事実とは異なると思われる誇張表現や支離滅裂な文体が散見される。今では、その当時の若者言葉を記録している本として、参考文献にされている。その独自な文体に加え、欺瞞に満ちた大人たちを非難し、制度社会を揶揄する主人公に共感する若者も多い。 しかし攻撃的な言動、アルコールやタバコの乱用、セックスに対する多数の言及、売春の描写などのため、まだピューリタン的道徳感の根強い発表当時は一部で発禁処分を受けている。 若者の熱狂的な支持と体制側の規制は、アメリカの「暗部」の象徴としての役割を負うことになった。ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンも、レーガン元大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーも愛読していた。現代においても、未だに禁書として扱われるところもある。 アメリカのみならず、全世界の若者に与えた影響ははかりしれず、50年以上経った今でも版を重ねている。累計発行部数は全世界で6000万部、アメリカで1500万部を超え、2003年時点でも全世界で毎年25万部が売れるという。2002年には野崎訳の累計発行部数が250万部を突破した(以上、発行部数は文學界2003年6月号「サリンジャー再び」による)。単なる、世間知らずの若者が大人への通過儀礼への葛藤を描いた本ではなく、主人公には何気ない様々なものが、「インチキ」(偽物)に見えたり、逆に取り留めのないことが(良い意味で)「まいった」などという主張を独断的に展開していく姿に、現代的な孤高のヒーローを感じる読者が多い。ヒーローといっても、ケンカは弱く、スポーツもさして出来ず、成績不良な落ちこぼれなのだが、ある一貫した主義、思想、哲学のようなものが主人公の中にあるように感じとれる。 なお、野崎訳で有名になった「これには参ったね」(That killed me.)や「…やなんか」(...and all)などの頻出表現は本来橋本の訳語である。

ライ麦畑でつかまえて は、

村上春樹訳の

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を

読みたかったが

BOOK OFF 105円コーナーに

無かったのでこの本を購入

読み終えて、村上春樹訳の

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で

読みたかった。

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バターはどこへ溶けた? は、

登場するのは、賢いキツネと

のんびり屋のネコ、それと「バター」。

バターとは、追い求めだしたらキリがない、

財産、名誉、出世、権力…の象徴。

シンプルでなにげない物語には、

自分らしく生きるための

ヒントが込められている。

チーズ本対バター本事件

チーズ本対バター本事件:東京地裁平成13年(ヨ)22090号平成13年12月19日決定(却下) 〔キーワード〕  不競法2条1項1号・2号、書籍(有体物)と著作物(無体物)、続篇、誤認混同   〔事  実〕   1. 米国人のスペンサー・ジョンソン氏は、“Who Moved My Cheese?”(「チーズはどこへ消えた?」)という和訳題名のエッセイを著し、ペンギン・パットナム社と出版締結し、わが国では出版権を取得した(株)扶桑社(債権者)が、「チーズはどこへ消えた」と題した門田美鈴の翻訳本を平成12年11月に発行した。  道出版(株)(債務者)は、平成13年4月に「バターはどこへ溶け た」というディ-ン・リップルウッドの著書を出版した。この本は、「チーズ」が94頁、定価838円と同じ頁、 同じ定価であった。  これに対し、扶桑社は道出版の出版、販売行為は不正競争防止法2条1項1号又は2号に規定する不正競争行為に当たると主張して、東京地方裁判所にその出版販売等の差止めを請求した。  これに対して東京地裁は平成13年12月19日、仮処分申立てを却下する決定を出した。 2. 債権者が、債務者の本の出版販売を不正競争行為と考えた第1 の理由は、原作品は米国では1999年度の全米ビジネス書ベストセラー第1位となり、発売後2年間にわたり全米ランキング1位を維持するベストセラーとなっていたこと、国内では債権者が出版権を取得した後、新聞、雑誌、TV、インターネット等を通じて広範かつ集中的な広告宣伝を行い、電車の吊革や車輛内の広告、主要交通機関の掲示板での広告宣伝を展開した。その結果、発売から2か月後にはベストセラー総合ランキング第8位となり、平成13年2月から 毎週ベストセラー総合ランキング第1位を維持し、累計の販売部数は発売後7か月で330万部を超えた。  したがって、おそくとも平成13年2月頃までには債権者出版物の 書名と装丁(以下、「本件表示という。)は、債権者の出版著作物の商品等表示として「著名」なものとなった(不競法2条1項2号) と債権者は主張した。  この事件は、本の著作権をめぐる事件ではなく、本の出版販売をめぐる不正競争防止法であることから、債権者はさらに同法2条1項1号の商品等表示の周知性に基づいて、本の 書名と装丁の類似性、 誤認混同性を主張したが、債務者はこれを全部争い、読者が続篇 と勘違いを起こすというのであれば、むしろ広済堂出版の「チーズはここにあった」の方が、その可能性が高いと反論した。  債務者は、書籍については、そもそも不正競争防止法の適用はおかしく、著作物を問題にするのであれば、専ら著作権法により規律されるべきであると主張した。そして、債務者は、債権者の出版物とは競合関係にはなく、一方の主張を全面的に批判して作り出された本として相互に共存する関係にあるから、債務者出版物の販売が継続しても債権者出版物に何ら悪影響はなく、保全の必要性はないと主張した。  これに対し、東京地裁は平成13年12月19日、債権者の仮処分の申立てを却下する決定をした。以下は、その理由である。   〔判  断〕   1 債権者は、「チーズはどこへ消えた?」という債権者出版物の書名及びチーズと人物を組み合わせた絵により構成される装丁が債権者の商品等表示(不正競争防止法2条1項1 号、2号)に当たる旨主張する。  しかし、上記の書名は丁が原著作物の題名である「Who Moved My Cheese ?」を翻訳し たものであり、同人の創作に係るものとして 、著作物と一体をなすものであるから、債 権者が債権者出版物を出版したことにより、自己の「商品等表示」として差止請求権等の権利を行使できると解することには疑問がある。 2 上記の点はさておき、仮に債権者が本件表示を自己の商品等表示として主張できるという債権者の主張を前提として検討すると、まず、商品等表示の類似性については、これを認めることはできない。その理由は以下のとおりである。  債権者出版物の書名は「チーズはどこへ消えた?」であり、債務者出版物の書名は「バターはどこへ溶けた?」というものであるが、両者を比較すると共通する部分は「どこへ」と「?」のみである。「どこへ」は「どの場所に」という意味の副詞句であり、「?」は疑問詞であるから、これらは独立した意味を有しない。そうすると、意味のある部分は「チーズ」と「バター」、「消えた」と「溶けた」ということになる。  この点について、債権者は、債権者出版物及び債務者出版物の書名は、ともに幸福、金銭など価値のあるものが失われたという内容を意味し、両者は観念において類似する旨主張する。しかし、「チーズ」と「バター」で共通するのは乳製品であるという点だけであり、語感やその意味する内容、それから連想されるものは大いに異なる。また、「消えた」と「溶けた」についても、「消えた」という表現からは物体として存在していたものがなくなったという観念が生ずるのに対し、「溶けた」という表現からは個体として存在していたものが液体になったという観念が生ずるものであり、両者の意味するところは異なる。  さらに、本の装丁についても、債権者出版物と債務者出版物を比べると、債権者の指摘するとおり、書名や著者の表記の順序や字体において類似していることが認められるが、他方で、疎明資料によれば、表紙から裏表紙に続く絵は、チーズとバターの個数や配置、登場するキャラクターの数や配置、色調などにおいて、読者に異なる印象を与えるものであることが認められる。  したがって、仮に債権者が本件表示を自己の商品等表示として主張できると解したとしても、債権者出版物の書名及び装丁である本件表示と債務者出版物の書名及び装丁とは、類似しないものというべきである。 3 債権者は、読者において債権者出版物と債務者出版物を誤認して購入している事実がある旨主張し、これに沿う疎明資料の記載も存在する。しかし、誤認混同ないし広義の混同として債権者が主張する点については、以下のとおりいずれもこれを認めるには足りない。 (1) 「買い間違い」について  債権者出版物の書名と債務者出版物の書名は異なり、かつ類似していないことは上記2において判断したとおりであるから、両者を同一のものとして混同することは考えにくい。仮に、債権者出版物を購入するつもりで誤って債務者出版物を購入した者がいるとすれば、それは書名を正確に記憶していないことに由来するものであるし、債権者出版物と債務者出版物を対比して論評するときは、「チーズ」と「バター」や「チーズ…」と「バター…」として引用されており、両者が別の本であることは一見して明らかというべきである。 (2) 「続編と勘違い」について  疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、出版業界ではベストセラーとなった本の類似本が出版されることは珍しくないこと、現に(株)廣済堂出版は債権者出版物の出版後に「チーズはここにあった !」という書名の本を出版したこと、が認められる。  債権者出版物の書名と債務者出版物の書名が類似していないことは上記2のとおりであり、債務者出版物の書名及び装丁には債権者出版物の続編であることをうかがわせる「続」や「新」といった記載はなく、著者も異なるのであるから、読者において債務者出版物は債権者出版物を踏まえこれにあやかって出版されたとの印象を抱くことはあり得るとしても、債権者出版物の続編であるとの印象を抱くことは考えにくいというべきである。 (3) 「関連性についての誤解」について  債権者の主張する債権者と債務者道出版との間の資本関係ないし協力関係はいわゆる広義の混同にかかるものであるが、債権者出版物の書名と債務者出版物の書名が類似していない以上、読者において出版元同士の関連性を想起することは通常あり得ない。したがって、類似の本を販売することについての許諾があるとの誤解が生ずることもないといわざるを得ない。  以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、債権者の本件仮処分申立ては理由がない(なお、債務者甲に対する申立てについては、同債務者が債務者出版物の企画、編集、販売につき具体的に関与していることの疎明はないから、この点からも理由がない。)。  よって、主文のとおり決定する。 〔研  究〕  「バター」本は「チーズ」本の批判書と債務者が言っていることは、「チーズ」本をパロディ化しようとしたのであろう。その意味では、マンガ同人誌におけるキャラ萌え現象に似ている。好きな キャラクターを登場させて自分のマンガストーリーを展開して遊び、そのようなマンガ本を作ってコミケットで売買し合っている愛好者仲間で流行っている現象である。  この同人誌の中では、有名なマンガキャラクターの顔や名前を 使っているから、著作権者からのクレームがつき易く、著作権法上は複製や翻案の問題として考えることが可能だが、「チーズ」と 「バター」事件では、その内容を読んでみると、後者は前者の著作物の翻案とはいえないから、著作権問題には親まないように思う。 かといって、本件のように不正競争防止法の事件に親しむかといえばそれもない。債務者の書籍の出版と販売の行為は、決定がいうように、商品等表示の混同を招来するには至るものではないから、不正競争行為に該当しないと考えたことは妥当である。

バターはどこへ溶けた? は、

「チーズはどこへ消えた?」

のパクリ本らしいが

100ページもないお手軽本なので

テレビを見ながら完読

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蹴りたい背中 は、

主人公の長谷川初実(ハツ)は、

陸上部に所属する高校1年生。

気の合う者同士でグループを

作りお互いに馴染もうとするクラスメートたちに、

初実は溶け込むことができないでいた。

そんな彼女が、同じくクラスの余り者である、

にな川と出会う。彼は、自分が読んでいる

ファッション雑誌のモデルに、

初実が会ったことがあるという話に強い関心を寄せる。

にな川の自宅で、初実は中学校時代に奇妙な

出会いをした女性がオリチャンという

人気モデルであることを知る。

にな川はオリチャンにまつわる情報を

収集する熱狂的なオリチャンファンであった。

著者紹介

綿矢 りさ (わたや りさ、1984年2月1日 - ) は、京都府出身の小説家。本名は、山田梨沙(やまだ りさ)。史上最年少の文藝賞・芥川賞の受賞者(前者の記録は後に、2005年の第42回文藝賞で受賞当時15歳の三並夏によって塗り替えられた)。 雑誌の取材やインタビューで本人が述べたところでは、ペンネームの「綿矢」は、以前から「いいな」と思っていた中学の同級生の姓「綿谷」を勝手に拝借し、姓名判断で名付けたもの。この同級生は実在する。村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の登場人物についてあらかじめ知っていたのかどうかは、今もってよく分からない。 京都市立衣笠中学校卒業。2002年3月京都市立紫野高等学校卒業。2006年3月早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。 中学では演劇部に所属。演劇部の27年先輩に歌手の尾崎亜美がいる。 2001年 京都市立紫野高等学校在学中に、『インストール』で、第38回文藝賞を史上最年少(当時)の17歳で受賞。(前者の記録は後に2005年の第42回文藝賞で受賞当時15歳の三並夏に塗り替えられた) 2002年 早稲田大学教育学部に進学。同年『インストール』が三島由紀夫賞候補になる。受賞は逃したが、福田和也から絶賛され、島田雅彦からも高い評価を受けた。 2004年1月15日 『蹴りたい背中』で第130回芥川賞を史上最年少の19歳で受賞し、注目を集める。 2006年3月25日 『蹴りたい背中』で早稲田大学2005年度小野梓記念賞<芸術賞>を受賞。

蹴りたい背中 は、

過ぎ去りし若き日々

高校時代にもう一度戻ってみたいと

感じさせれれた一冊でした。

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TUGUMI(つぐみ) は、

病弱で生意気な美少女つぐみ。

彼女と育った海辺の小さな町へ帰省した夏、

まだ淡い夜のはじまりに、

つぐみと私は、ふるさとの最後のひと夏を

ともにする少年に出会った―。

少女から大人へと移りゆく季節の、

二度とかえらないきらめきを描く、

切なく透明な物語。第2回山本周五郎賞受賞。

著者紹介

よしもと ばなな(女性、1964年7月24日 - )は日本人の小説家。東京都千駄木生まれ。本名は吉本真秀子(よしもと まほこ)。東京都文京区立第八中学校、東京都立板橋高等学校、日本大学芸術学部文芸学科卒。 卒業制作の『ムーンライトシャドウ』が学部長賞を受賞する。これによりプロでやっていく自信をつけた。ただ、日大時代は飲んでばかりの学生だったと本人が語っている。作品は多くの外国語に翻訳され、世界各国で出版されている。 父は批評家・詩人の吉本隆明。姉は漫画家のハルノ宵子。母も俳句家であり、物書きの一家である。そのため、本だけは豊富に買ってもらえる環境にあった。漫画も良く買ってもらったようで、初恋の相手が『オバケのQ太郎』のドロンパ。 ペンネームは彼女が好きなバナナの花に因む。デビュー当時の筆名は吉本ばなな。2000年にロルファーの田畑浩良と事実婚をし2003年に長男をもうけるが、その子の名前を姓名判断で考えていたら自分の名前こそ良くない事がわかり、今のペンネームである、よしもとばななに改名した。右の太ももにバナナ、左肩にオバケのQ太郎のタトゥーを入れている。 今までで一番うまく書けたと本人が評する本は2003年発表の『デッドエンドの思い出』。妊娠中に書いた本であり、出産し子供ができるともう悲惨な話は書けなくなるよと人に言われ、今のうちに悲惨な事や辛い事などを清算しようと考えて書いた。妊娠中に悲惨な話を書くことは辛かったが「もう書けなくなるかもしれない」という思いの方がが強かったと述懐している。 また、『体は全部知っている』を、この本によって書く技術が上がったと自ら評し、自書の中の好きな本としてあげている。

TUGUMI(つぐみ) は、

病弱の美少女にして暴君という設定

つぐみの持つ悪意は、

決して他人に同情されるだけの

存在でありたくないという表れ。

人間描写、情景描写が卓越している為か 引き込まれて1日で完読。

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