『北朝鮮抑留記』 元日経記者(2011年) | 韓国語教室 とるめんい川西

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2005年から兵庫県川西市で韓国語を教えています。

1999年末から2年2か月ピョンヤンに監禁された元日本経済新聞記者の手記。

『北朝鮮抑留記~わが闘争2年2か月 1999年12月~2002年2月』 杉嶋 岑 (2011年)草思社

https://www.amazon.co.jp/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%8A%91%E7%95%99%E8%A8%98-%E3%82%8F%E3%81%8C%E9%97%98%E4%BA%89%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E4%BA%8C%E3%82%B1%E6%9C%88-%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%99%EF%BC%99%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%92%E6%9C%88%EF%BD%9E%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%92%E5%B9%B4%EF%BC%92%E6%9C%88-%E6%9D%89%E5%B6%8B%E5%B2%91/dp/4794218125

著者は当時60代、無事に帰れて良かったです。

もともと共産国に興味がある方で、他の共産国家や北朝鮮にも何度か行ったことがある方。
新聞社に勤めていたので、訪朝時の写真などを政府関係者に渡したことがあったらしいが
それが何故か北朝鮮当局に筒抜けで、突然帰国の際に捕まり、スパイ容疑で取り調べを受けたそうです。
すぐにでも帰れるかと思ってたが、結局2年余りの長期戦になりました。住まいも転々とし
5か所くらい。拘置所ではなく、招待所と呼ばれる建物やマンションなど。
監視の人が3人位、ご飯を作ってくれる女性、洗濯はすべてクリーニングに出す。
食事はキチンと3食出る。監禁されていることが外部にわからないように閉じ込められる。
毎日取り調べ。監視の人(日本語可能)と人間的な交流が生まれないこともなかったが、もしかしたら殺されるかもしれないという恐怖の中での生活なので、自殺を考えたことも多数。短歌を日記代わりに作ったり(帰国の際、没収)
朝鮮語の勉強を始めたり、窓から見える人々の様子、聞こえる音楽、兵士の通勤風景
炊事のおばちゃんとのエピソード、監視員とのエピソードなど、貴重な記録だと思います。
でもコワイです。帰国後口外しないと誓わされたらしいので。

文章は世代の違いからかイマイチ面白くなくて長いけれど、
面白いエピソードは所々にあります。北朝鮮は昔の韓国にあったものがまだ残っていると思うので
そういう面でも興味深いし、いつか行ってみたいと思う。死ぬまでに一度、語学的、社会学的な興味で
私が行けるようになるくらい安定してくれたらいいんですが。



今年80歳になられると思うのですが、asahi.comにインタビュー記事が。
https://www.asahi.com/articles/ASL8R5GDWL8RUTFK00X.html
お元気そうです。