『在日の耐えられない軽さ』  鄭大均 | 韓国語教室 とるめんい川西

韓国語教室 とるめんい川西

2005年から兵庫県川西市で韓国語を教えています。

読み始めたら眠れなくなってしまいました。

鄭大均さんの自叙伝。
90年代後半に彗星のように現れたと先の記事に書きましたが、
1948年に日本の岩手で生まれ育ち、東京で大学時代を過ごした方です。
その様子は在日韓国人2世のイメージそのもの。
貧困・差別・民族意識の目覚め…

「う~ん」と唸ってしまいます。冷静な語りが胸に入り込みます。
私は80年代に先輩に連れられて、民族団体の在日と知り合ったりもしたけど
鄭大均先生もそんなふうに活動してたようです。
そして奨学金をもらってアメリカ留学したことを契機に
その後の人生を切り開いていく
いわば成功ストーリー。
アメリカ留学、14年にわたる韓国での日本語講師、この頃に伴侶も得て?
1995年に日本に帰国。
これを書かれた58歳の時には日本の大学教授として
社会的地位も収入も、配偶者も子息も手に入れてるから立派な「成功談」、ですよね?
2004年に日本に帰化。

波乱万丈。ドラマ化してほしい…。


『在日の耐えられない軽さ』(2006年)鄭大均 著  中公新書
https://www.amazon.co.jp/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E3%81%AE%E8%80%90%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E8%BB%BD%E3%81%95-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%84%AD-%E5%A4%A7%E5%9D%87/dp/4121018613

この方のお父さんは韓国から渡ってきた方(1世)。個性的な文筆家、活動家でもあったようです。
お母さんは日本人(岩手出身)です。東京で知り合い、戦争中に岩手に疎開してきたらしい。
お父さんは1960年に単身、韓国に帰国…。

妹さんは東京都の公務員だった鄭香均さんだそうです。
国籍条項訴訟で有名な方です。(外国籍の人が管理職になれないのはおかしいと訴えた裁判)
兄妹で考え方が正反対。こんなに違うとは…。

鄭大均さんは一貫して在日の「帰化」を勧める立場で
新しい在日の生き方を示しています。
アンチ左系。。
でもこの方の言いたいことは理解できます。
そうね、昔はこんなことを言ってくれる人はいなかった。

なお表題は有名な文学作品にひっかけた遊び心でつけたもので
深い意味はないそうです。

ちなみに個性的なお父さんは鄭然圭という方で1899年生まれ。(私のフィリピンで死んだ祖父と1歳違い)
お母さん(日本人)は2003年94歳で亡くなったそうなので、1909年まれ。
著者は1948年生まれで妹もいるので、昔にしては高齢出産ですね。


p,15にハンセン病患者回復村のことが載ってます。(私は87年88年夏に韓国忠光農場に行きました)
鄭大均先生との小さなつながりを見つけることができて嬉しいです。