1992年のバンコク旅行 その4 | 韓国語教室 とるめんい川西

韓国語教室 とるめんい川西

2005年から兵庫県川西市で韓国語を教えています。

ソムサクと一緒にバスに乗ったものの、私は行きたい所があったので、
彼にその住所に連れて行ってくれるようお願いしてみた。
ソムサクは「OK!」と言った。
半信半疑でついて行った。バスを一度乗り換えた後は、埃っぽい直線道路を
ひたすら北へ北へ。30分くらい走っただろうか、右手にTOSHIBAの工場が見えていた。
私が行きたいとお願いした所に向かっているようではなかった。
しばらくしてからバスを降り、左の脇道に入って行った。
ジャングルみたいなすごい所だった。
渡り廊下のように板が渡してあるところを5分位ズンズン歩いて行くと
集落があった。木造の高床式住居。
ソムサクの家だった。
意外と清潔である。床が高いのは湿気を避けるためだろう。
ソムサクは家に入ると奥の部屋に向かってハルモニ!と呼んだ(勝手に韓国語変換^^)
そうするとハルモニが部屋から這い出て来て
ビニール袋に入った食べ物(チャーハン?)を皿にあけて食べ、また部屋に消えて行った。
不思議な光景だった。
庭には鶏やペリカンみたいな鳥が歩いていた。
トイレはハンドシャワーがあり、ウォシュレットの代わりをしていた。
集落は小舟で移動した。
ボロくて水が入ってくるのでパガジ(半円の容器)を渡されて
水を外に出せと指さすので言うとおりにした。
ソムサクは小舟を漕いだ。
ゆっくり進む。静かだ。
熱帯雨林の中の淀んだ河をゆっくり進んで行く。
しばらく行くと女の子たちが2,3人、河に入って髪を洗っていた。
河で髪を洗うのって初めて見た。
こっちを見て笑っている。ソムサクも何か言っていた。
実にのんびりした風景だった。
そのあとソムサクの友だちの家に行ったり、
私そっちのけで、彼らはカードゲームを始めたり、
タバコみたいなもの(大麻?)を吸ったりしていた。
友だちのお母さんが木になっている「マムアン」を棒で落としてくれた。
「マムアン」と言った。マンゴーのことだ。
夜はお寺にお参りしたのも覚えている。
沢山の人がいた。何かの日だったのかもしれない。
線香の太くて長いのを持たされて歩いた。

ソムサクがどうして私に声をかけて来たのかわからないが、
たぶん暇だった、そして外国人に興味があった、んだと思う。
遊び人のようでいて、終始一貫、紳士的だった。
敬虔な仏教徒だからだろうか。
仕事は不定期にしているみたいだった。
途中給料をもらいに行くと言ってどこかに寄ったから。
別れ際に住所と名前と写真をくれた。
パトゥムターニーと書いてあった。
イメージ的にはこんな感じ。
http://tokuhain.arukikata.co.jp/bangkok/2011/12/2_1.html
高床式住居はまさにこのページの上にある写真そのもの
http://www.thai-kanko.2-d.jp/minka3.html

当時20代だったが、自分みたいな小娘が日本でちょっと働けば
外国で2週間も自由に暮らせるのはすごく恵まれているなと
バンコクの青く広い空を見ながら感じた。
ちょうどバブル経済が終わろうとしている頃だった。
バブルなんて私には関係なかったけど、
社会の雰囲気っていうのは今とは違いましたよね。