岩波文庫版(2014)
http://www.amazon.co.jp/都立朝鮮人学校の日本人教師――1950-1955-岩波現代文庫-梶井-陟/dp/4006032676
長璋吉先生の本を読み終わったので、次はこれを読んでいます。
ネットで見かけて衝動買い。
めったに本は(定価では)買わないのに、これは買わなければならない気がして。
私が学生時代に有名だった長璋吉先生(文学)、梶井渉先生(語学?)、梶村秀樹先生(歴史)が
88~89年に相次いでお若くして亡くなられたんです。
梶井先生は富山大学の朝鮮語コースの教授として、お名前だけ存じ上げていました。
もともとは中学校の先生だったそうです。
お名前だけで、今まで何も知らなかったので、梶井先生について勉強させていただきます。
今まで読んだところでは意外と、バリバリの運動家という感じではなく、
給料がいいから「都立朝鮮人学校」に志望した、ということです。
そこからドンドン引き込まれて行くんですね。
真面目でまっすぐな青年の様子が描かれています。
私も同じような状況下なら、「それおかしいやん」と思って
のめり込んで行くかもしれません。
時代背景も、1950年から数年間ということなので
その頃の様子も興味深く(ちょうど朝鮮戦争で分断が固定化される時期)
労組集会で「韓国」という名前を使ってしまって糾弾されるとか
時代を感じます。
貴重な記録だと思います。
寝る前に少しずつ読んでいくつもりです。
【追記】
暫定的に都立になっていた朝鮮学校が「都立」から外されることに対する闘い、労組運動の記録でした。
梶井先生は心労で睡眠障害を患うほどになりましたが、
朝鮮学校での5年間が終わると、東京都の公立中学の先生に戻られました。
生物の先生だから語学とは関係ないけど、朝鮮語の勉強を続けられたそうです。
のちに大学の非常勤講師を務めたりされてるんですね。(二足のわらじ)
そうして50歳の頃に富山大学の朝鮮語コースの教授として迎えられます。
若い頃に出会った朝鮮語が人生に大きな影響を与えたのですね。
61歳で亡くなられたのは残念ですが、こうやって、本があるので
あとあとまで読まれてすごいな、それは幸せなことだなと思います。