2006年に韓国で大問題になった在米日本人の本です。
終戦後、朝鮮半島北部から引き揚げてきたヨーコさん一家が日本に無事帰還するまでの話。
いまはアメリカに在住されているヨーコさんが英語で書いた自伝(アメリカで1986年に出版)が
「優良図書」としてアメリカの中学校の教材として採択されていましたが、
出版から20年たった2006年に、現地の在米韓国人からクレームが起こりました。
素行の悪い韓国人が出てくるのはありえないから、らしいです。
騒動は韓国にも飛び火し、『ヨーコの物語』として韓国で翻訳出版されましたが、内容が嘘であるとの決めつけ、ヨーコさんに対する誹謗中傷の嵐…(ヨーコさんが侮辱罪で訴えてもいい位なレベル)。本自体は韓国ですぐに出版禁止になり、アメリカの多くの学校でも教科書採択が取り消されたそうです。
いまはアメリカに在住されているヨーコさんが英語で書いた自伝(アメリカで1986年に出版)が
「優良図書」としてアメリカの中学校の教材として採択されていましたが、
出版から20年たった2006年に、現地の在米韓国人からクレームが起こりました。
素行の悪い韓国人が出てくるのはありえないから、らしいです。
騒動は韓国にも飛び火し、『ヨーコの物語』として韓国で翻訳出版されましたが、内容が嘘であるとの決めつけ、ヨーコさんに対する誹謗中傷の嵐…(ヨーコさんが侮辱罪で訴えてもいい位なレベル)。本自体は韓国ですぐに出版禁止になり、アメリカの多くの学校でも教科書採択が取り消されたそうです。
韓国の騒ぎを聞きつけて、私も(その当時は)どんなひどい内容が書かれているのか
読みたかったですが、既に発禁処分の後でした。
大きな騒動の余波かその後、日本でも翻訳出版されました。
読みたかったですが、既に発禁処分の後でした。
大きな騒動の余波かその後、日本でも翻訳出版されました。
『竹林はるか遠く』ハート出版 2013年 ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ
読んでみました。
今まで見聞きしていた引き揚げの話です。
それほど目新しいことはありませんでした。
日本人が読めば、「ああ本当に苦労をされた、大変な時代だった」と胸が痛むと同時に、
「こんなことが親の時代にあったんだ」と歴史を再認識する内容でした。
今まで見聞きしていた引き揚げの話です。
それほど目新しいことはありませんでした。
日本人が読めば、「ああ本当に苦労をされた、大変な時代だった」と胸が痛むと同時に、
「こんなことが親の時代にあったんだ」と歴史を再認識する内容でした。
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朝鮮半島から引き揚げて来たというお話しは、私が今まで韓国語を教えてきた中で
時々聞かせてもらえることがありました。今までの受講生の中にそういう方が3名いらっしゃいました。
時々聞かせてもらえることがありました。今までの受講生の中にそういう方が3名いらっしゃいました。
一人は戦前、ソウルの明治町(今の明洞)に住んでいたそうです。
70歳くらいの男性でしたが、子供のころに住んでいた場所が懐かしいそうです。
1945年以前の明洞を知っているなんて、すごいなあと思いました。
そういう方が30代だった私に韓国語を習いに来て下さってるというのも。
70歳くらいの男性でしたが、子供のころに住んでいた場所が懐かしいそうです。
1945年以前の明洞を知っているなんて、すごいなあと思いました。
そういう方が30代だった私に韓国語を習いに来て下さってるというのも。
もう一人の方は5歳くらいの時、朝鮮半島北部から引き揚げて来たそうです。
道すがら朝鮮人家庭でお握りをもらったり、親切にしてもらった。
途中でソ連兵に銃で撃たれそうになったが(!)、子供なので何もわからず、ニッコリ笑ったところ
兵士は銃をひっこめた、私はホントは死ぬとこだったんですよ~
とおっしゃってたお上品なお顔が今も印象に残っています。
無事に帰国後も、「引揚者」だということは長い間固く口を閉ざしていたそうですが、
(日本国内で引揚者に対する冷たい視線があったようです…)
60歳を過ぎたころから、郷愁のような、懐かしい気持ちを抑えきれず、数年前から
川崎にある在日ハルモニの施設で、お昼ご飯を作って話し相手になるボランティアをしている
とのことでした。
道すがら朝鮮人家庭でお握りをもらったり、親切にしてもらった。
途中でソ連兵に銃で撃たれそうになったが(!)、子供なので何もわからず、ニッコリ笑ったところ
兵士は銃をひっこめた、私はホントは死ぬとこだったんですよ~
とおっしゃってたお上品なお顔が今も印象に残っています。
無事に帰国後も、「引揚者」だということは長い間固く口を閉ざしていたそうですが、
(日本国内で引揚者に対する冷たい視線があったようです…)
60歳を過ぎたころから、郷愁のような、懐かしい気持ちを抑えきれず、数年前から
川崎にある在日ハルモニの施設で、お昼ご飯を作って話し相手になるボランティアをしている
とのことでした。
もう一人の方は今の教室の方ですが、小さかったので記憶はなく
釜山で船に乗って九州に帰って来たことをおぼろげに覚えているそうです。
釜山で船に乗って九州に帰って来たことをおぼろげに覚えているそうです。
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こういった引き揚げの話が、日本で生きていれば私のような年であれば
何度か見聞きしたことがあると思いますし、ネットでも体験談(現在75歳以上の方)を
読むことができます。
何度か見聞きしたことがあると思いますし、ネットでも体験談(現在75歳以上の方)を
読むことができます。
どうして韓国で今あんなに問題になったのでしょうか?
彼らの主張内容を読み、私なりに考えてみたのですが
1、以前は何ともなかったのに、2006年になってアメリカ社会で問題になったのは
経済発展を成し遂げた韓国が、以前より国際的な影響力【力】を得てきた証拠
(「国際的な力(が大事)」という表現はよく聞かされてました。)
経済発展を成し遂げた韓国が、以前より国際的な影響力【力】を得てきた証拠
(「国際的な力(が大事)」という表現はよく聞かされてました。)
2、韓国人にとっては今まで聞いたことがない話だった
(日本人は皆スムーズに帰ったはず、という根拠のない思い込み)
(日本人は皆スムーズに帰ったはず、という根拠のない思い込み)
3、日本統治で人の国にやって来て上から目線で暮らしてたくせに、被害など訴える資格はない
一方的に日本人の苦労だけを訴えていて学校の教材に不適切
一方的に日本人の苦労だけを訴えていて学校の教材に不適切
このような背景があると考えます。
韓国での反応はもちろん過激すぎて、理不尽な言いがかりも多くて私でさえ頭に来るのは事実ですが、
私たちが想像しなければならないのは、3番です。
やはり色々な見方があるのです。今まで思ってもみなかった視点に気づかされます。
逆の立場ならと考えると、少しは理解できるのではないでしょうか?
韓国での反応はもちろん過激すぎて、理不尽な言いがかりも多くて私でさえ頭に来るのは事実ですが、
私たちが想像しなければならないのは、3番です。
やはり色々な見方があるのです。今まで思ってもみなかった視点に気づかされます。
逆の立場ならと考えると、少しは理解できるのではないでしょうか?
たとえば、日本に突然よその外国人が大量に入ってきて、「今日からは私たちが日本を治めます」と言ってシステムをすべて作り変え、従わせ、私たちは安い給料でお手伝いさんとして働き、外国人は金持ちで私たちは貧乏で・・・という暮らしに変わって何十年か過ぎ、やっと解放されて外国人は帰って行ったが
その道すがら食べるものもなく時には石も投げられ…大変な苦労をした…という手記が出た場合、私たちはそれを受け入れることができるでしょうか?
その道すがら食べるものもなく時には石も投げられ…大変な苦労をした…という手記が出た場合、私たちはそれを受け入れることができるでしょうか?
たぶん、これは「教科書(副読本)」に採択されてなければ、問題にならなかったのでは?
教材に使用されているということは、在米韓国人の子息もこれを学校で利用するということで
それを考えると、私たちも「韓国人は何をダメだと言ってるかわからない!」と憤慨している
自分たちだけの視点から、少しだけ目を移してみたらいいのではないかと思います。
教材に使用されているということは、在米韓国人の子息もこれを学校で利用するということで
それを考えると、私たちも「韓国人は何をダメだと言ってるかわからない!」と憤慨している
自分たちだけの視点から、少しだけ目を移してみたらいいのではないかと思います。
日本人も韓国人も、想像力を働かせて、一呼吸おいて
相手のことを思いやれるようになりたいです。
相手のことを思いやれるようになりたいです。
なおこの本は教室にありますので、読みたい方は声をかけてください。
●インターネット上ではこちらの方の体験が読みごたえあります。
同じように朝鮮半島北部から帰還した方のHPです。
こういう文章は貴重な記録であり、ネット上で読めるのはとても有難いです。
http://homepage2.nifty.com/oyouhei/kako001.html
同じように朝鮮半島北部から帰還した方のHPです。
こういう文章は貴重な記録であり、ネット上で読めるのはとても有難いです。
http://homepage2.nifty.com/oyouhei/kako001.html
今日もちょっと重い話でしたね~。
モヤモヤしてね。ダメです。
でもずっと書きたいと思ってたことを書いたので、しばらくは軽いモードで過ごします。
モヤモヤしてね。ダメです。
でもずっと書きたいと思ってたことを書いたので、しばらくは軽いモードで過ごします。