波乱万丈 ノ・ムヒョン前大統領の人生 | 韓国語教室 とるめんい川西

韓国語教室 とるめんい川西

2005年から兵庫県川西市で韓国語を教えています。

5日目をむかえても韓国は焼香するための市民の列が途切れず、
テレビニュースも長い時間をあて、
こんなに人気があったの?と不思議なほどだ。
大手インターネットサイトは一斉に喪に服した灰色の題字。
テレビのバラエティ番組は中止されているらしい。

大統領になって、期待されたほどの成果を収められず人々を失望させたが、
その人柄からか、多くの人に愛されていたことを改めて認識させた。
生まれ故郷に戻って、「帰農」すると言っていたのに。
そのとおりにすれば、かっこよかったんじゃないのよー。





YTNニュース 
ノ・ムヒョン前大統領逝去 関連記事(映像)集
http://www.ytn.co.kr/news/theme_list.php?tidx=1053
     
【見出し】

5月30日 ・ 民主党、追及すべきものは追求する考え
     ・ ハンナラ党、国民感情の動向に神経とがらす
     ・ 市民焼香所が強制撤去 抗議の会見
     ・ 側近らの今後
     ・ 遺族への今後の待遇
     ・ 「あんな人は二度とありません」 歌 イ・スンチョル

5月29日 ・ 涙涙の火葬場 
(注:遺書に従ったものだが、火葬の習慣が最近までなかった韓国では、要人の火葬はまずないそうだ。)  
     ・ 火葬後 ポンハ村へ出発
     ・「大統領さようなら…」ノ前大統領 火葬
     ・「お守りできず申し訳ない…」ハン前総理が涙の弔辞
     ・追悼の人波 歴代最大になりそう
     ・建国以来、最大規模の葬儀
     ・四十九日に埋葬予定 墓地と碑文は?
     ・火葬は水原火葬場で
     ・告別式の警備 警官総動員で行う
     ・最大規模の告別式はこうして行われる
     ・ネット上、追悼の画像や動画アップ相次ぐ
     ・ヒラリー・クリントン氏 米国を代表し弔問に
     ・出棺直前 夜明けまで弔問の列
     ・遺体が安置されている浄土院とは?
     ・今日、光化門・市庁 交通規制

5月28日 ・最後の旅程 国民葬はこのように行われる
     ・夫人、霊前に顕花
     ・冷めやらぬ追悼の熱気 延世大心理学科教授の分析

5月27日 ・警護官を使いに行かせた隙に投身
     ・ソウルで焼香の行列が続く 葬儀のノボリを準備

5月26日 ・国民葬の後は自宅の近くに安葬されることに
     ・ポンハ村の弔問は行列が2キロ
     ・拘束収監中の親ノ派人士、弔問できるか?
     ・ソウル市庁前広場、焼香会場として開放?認めない市側と論争に
     ・告別式はソウルで
     ・拘束中の元側近 追悼の手紙「花が散っても彼を忘れたことはない」
     ・「一生を共にと誓ったのに・・・」婚礼時の冠服初公開

5月25日 ・海外の焼香所も弔問客絶えず
     ・検察庁長官が辞表提出 進退不透明
     ・国務委員弔問、会社員ら哀悼の行列
     ・政府、葬儀準備に本格着手
     ・退社時間 哀悼の長い列が
     ・ポンハ村の焼香所 ボランティアが続々
     ・国葬と国民葬の違いは?
     ・北 キム・ジョンイル「深い哀悼」

5月24日 ・焼香所の映像
     ・国民葬とはどんなものか
     ・「権力が集中する青瓦台」日本のマスコミが関心
     ・各界各層が弔問 ボランティアが進行
     ・与党人士の弔問に地元が強い反発
     ・最後にタバコを…
     ・沈痛・嗚咽 元大統領の兄弟、家族
     ・中国同胞「気さくで明るい大統領だったのに…」
     ・国務会議で国民葬決定
     ・歴代の国民葬は?
     ・朴クネ代表、弔問できず引き返す
     ・夫人への警護、遺族年金は継続
     ・山に登り一時間後に投身
     ・山に行く前、23分で遺書を作成
     ・ポンハ村にシャトルバス運行
     ・支持者ら、検察とマスコミを激しく非難
     ・オバマ大統領が哀悼の意
     ・夜更けまで弔問の列 警察と衝突はなし
     ・政治家の弔問 一部は追い返される
     ・故郷ポンハ村に遺体は安置

5月23日 ・検察に責任論 捜査チーム交代論
     ・海外のマスコミも速報
     ・ノ前大統領側、弔花は辞退
     ・在日同胞 ショック、沈痛
     ・側近「無理な捜査だった」と批判
     ・司法解剖はしないことに決定
     ・政界 衝撃・哀悼 成り行きを注視
     ・国立墓地に埋葬されるか?
     ・「うらむな 運命だ」 遺書公開
     ・宗教界、学界、文化界にも衝撃
     ・李明博大統領 「いたましく悲痛」
     ・側近から家族にまでに及んだ検察の捜査
     ・640万ドル要求は解明されないまま
     ・なぜミミズク岩を選んだ?
     ・ノ・ムヒョン大統領 故郷の裏山で投身・逝去
     ・在宅起訴する方針だった
     ・経済界に衝撃も経済に与える影響は限定的
     ・逝去までの足取りは?
     ・ノ前大統領への捜査は終結
     ・パソコンに遺書を残し山へ
     ・極端な選択の背景は?
     ・前職大統領らショック・哀悼
     ・検察の捜査中に死亡した著名人は他に?
     ・「私によってもたらされた 多くの人々の苦痛はあまりに大きい」
     ・午前9時半逝去 家族あてに遺書を残して
     







ギターを手に「常緑樹」を歌うノ・ムヒョン氏(映像)
http://www.ytn.co.kr/_comm/pop_mov.php?s_mcd=1008&s_hcd=&key=200905240631146644

~波乱万丈な人生~(映像)
http://search.ytn.co.kr/ytn_2008/mov.php?s_mcd=0101&key=200905231706413581&q=%C6%C4%B6%F5%B8%B8%C0%E5

(訳)
逝去したノ・ムヒョン前大統領は
1946年、慶尚南道金海市ボンハ村で生まれました。
貧しい家庭状況により大学進学をあきらめましたが、
1975年、独学で司法試験に合格しました。

税務関連の弁護士として働いていた時に
釜山地域の民主化闘争の弁護を担当、
人権派弁護士としての道を進むようになります。

特に1987年、
テウ造船の労働者が死亡した事件を扱った際には
「第三者介入」の嫌疑で検察に拘束され、
当時の独裁政権から弁護士資格を剥奪されます。

翌年の1988年、
13代総選挙で国会議員に立候補し当選、
その年の国会の第5共和国不正追求の質問で
「聴聞会のスター」と注目されました。

1990年の3党合併時は、
「歴史的な謀反」として合流を拒否します。

1992年の総選挙失敗、
1995年釜山市長落選など、試練が続きます。

当選の確率はほとんどないにも関らず
「打倒 地域対立」を掲げ、わざと不利な地域から立候補するなど、
周囲からは「馬鹿なノ・ムヒョン(바보 노무현)」と言われました。

1998年金大中政権のとき、海洋水産部長官に就任、
2002年、新千年民主党から大統領候補に立ち大統領に選ばれます。

しかし在任期間中も順調ではありませんでした。
2004年には国会で弾劾決議を受け(のちに無効が決定)大統領の職務を一ヶ月停止しました。
国会議員時代には人気のあった物怖じしない言動も、
大統領就任後は支持率が低下するマイナス要因となりました。

退任後の収賄疑惑は、
ノ・ムヒョン前大統領の最も大きな財産であった
道徳性まで失墜されることになりました。
共に歩んできた進歩陣営の政治家や、386民主化運動世代の政治家が次々と司法で裁かれ、
さらに夫人や息子まで収賄疑惑の対象となりました。

(以上ニュース記事翻訳・一部編集)






삼가 고인의 명복을 빕니다.