前回の享楽的なロココ美術に続き、今回は18世紀後半から萌芽する新古典主義です。
新古典主義の主だった特徴としては、
- 荘厳な様式
- 古代ギリシア・ローマ美術を模範
- 王立アカデミーがその中心となった
といった点が主に挙げられます。
古代ギリシア・ローマ美術を模範していることから『新しい古典主義』と呼ばれているんですね。
実はこの時代、西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火により地中に埋もれてしまった、ローマの古代遺跡ポンペイの発掘調査が行われました。
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(僕は未見ですが、その噴火については映画化もされています。)
その為、古代美術の一大ブームが起きたのです。
さらにフランスではナポレオンが皇帝の座についたことも、こうした古代ギリシア・ローマ美術の荘厳な美術の制作を後押ししました。
また、他にも新古典主義以前の享楽的なロココ美術への反発的な意味合いも含まれていたと言われます。
さて、その新古典主義を代表する画家として、まず挙げられるのがジャック=ルイ・ダヴィッド↓
ジャック=ルイ・ダヴィッド《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》 1805-07年 ルーヴル美術館
これはダヴィッドが1804年にパリのノートルダム大聖堂で行われたナポレオンと皇妃ジョセフィーヌの戴冠式を描いた場面。
この絵を大変気に入ったナポレオンは、「これは絵ではない! この絵の中を歩きまわることもできるのではないか・・・」と、ダヴィッドを称賛したそうです。
(これは絵だし、歩きまわることは当然出来ないんですけどね。)
まぁそれくらい荘厳で巨大な絵ということです。(縦6m、横9mを超える巨大な作品です。)
そしてダヴィッドは皇帝の主席画家として、その肖像画を次々と描いていきました↓
ジャック=ルイ・ダヴィッド《ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト》 1801年、美術史美術館所蔵
そしてそダヴィッドによる新古典主義の様式を受け継いだのが弟子のアングル。
《玉座のナポレオン》1806年 軍事博物館(パリ・アンヴァリッド)
ダヴィッドの正統的な様式を受け継ぎ、アカデミーの重鎮として活躍したアングルはイタリアへの長期滞在により、ルネサンス絵画、とりわけラファエロから多大な影響を受けました。
アングルはそれに留まらず、エキゾチックな風習や神秘的な女性像を描いた他、正確な解剖学に基づく人体デッサンを無視した人物像を描くなど、時には実験的ともいえる様な作品も残しています。
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 《グランド・オダリスク》 1814年 ルーヴル美術館
また、他に新古典主義と関わりの大きかった画家としてはポール・ドラローシュも挙げておきます↓
ポール・ドラローシュ 《全時代の芸術家達》1836-1841年
このドラローシュ、元々はエコール・デ・ボサール(国立美術学校)で絵を学びますが、
その後、ジェリコー、ドラクロワといったロマン主義を代表する画家らと意気投合。
ちなみにドラローシュは2017年に上野の森美術館で開催された“「怖い絵」展”の目玉作品として話題となった《レディ・ジェーン・グレイの処刑》 を描いた人物としてよく知られています↓
ポール・ドラローシュ 《レディ・ジェーン・グレイの処刑 》 1833年 ナショナル・ギャラリー
このドラローシュ、ロマン主義的な画題と、新古典主義的な厳格な写実描写のいいとこどりをした“折衷派”などと言われることもあります。
(ちなみに先ほどのアングルはロマン主義の画家らが大っ嫌いだったそうです。後世の我々からすると、ほとんどどっちも区別がつかないんですけどね。)
ここで重要なポイントは、それまではその時代毎に基本的に統一的かつ一辺倒だった絵画様式が、この時代はそれぞれ主義、主張が出てくることです。
人それぞれの考え方が異なるだけでなく、ドラローシュの様に折衷的な様式や考え方をもつ人物も出てきます。
「俺、今まで自分のこと、ネコ派だとばかり思ってたけど、イヌも全然イケる!!可愛いじゃん!!」
誰にだってそんなことありますもんね。
さて、 次回の『西洋美術史を語る』はそのロマン主義です。