前回の新古典主義に引き続き、今回はロマン主義です。
ロマン主義は前回の新古典主義の芸術家らが活躍した18世紀後半から19世紀前半にかけて台頭しました。
さて、そのロマン主義の作品の特徴としては、
- アカデミーやブルジョワ社会への反発
- 色彩を重視
- 見るものを鼓舞する様な激動感
- 同時代のショッキングな事件や事故を題材とする一方、自然の驚異を表した風景画など、描かれた地域によって傾向が異なる
前回の新古典主義でも少し触れましたが、
ここで重要なポイントとしては、同時代に2つ以上の芸術主義が混在する時代に突入したことです。
それまでは地域や画家ごとに芸術性の違いこそあれど、“ゴシック美術”、“バロック美術”、“ロココ美術”など、同時代の芸術における基本的な理念や様式は共通していました。
その為、それまでの『○○美術』という呼称から、ここでは『○○主義』となっています。
自分とは違う考え方をもった相手側があるからこそ、主義主張が生まれたんですね。
とは言え、新古典主義もロマン主義の作品もそれぞれ似ていたり、これはどっち側の作品なんだろうと疑問に感じちゃうものもあります。
なので、ちょっと難しく感じられるかもしれませんが、一方でその対立やそれぞれの考え方の違いは近代美術の非常に面白いポイントでもあります。
ちなみにこの芸術における主義主張はこの後、様々な芸術グループが発生し、さらにアーティストそれぞれの芸術観に発展していきます。
そしてこうした傾向は現代アートに至るまでどんどん深化していきます。
さて、そろそろロマン主義の画家らの作品を見ていきますと、
まずはジェリコー↓
テオドール・ジェリコー 《メデューズ号の筏》1819年 ルーヴル美術館
この作品で描かれたテーマはほぼ同時代である1816年に発生した海難事故。
乗組員150人のうち、生存者は15人。
急ごしらえの筏で13日間漂流したのち、救出船の光を発見したという場面です。
ロマン主義の画家らはこうした同時代の事故をドラマチックに描いています。
続いてはドラクロワ↓
ウジェーヌ・ドラクロワ 《民衆を導く自由の女神》1830年 ルーヴル美術館
作品が描かれた同年である1830年にフランスで起きた7月革命をテーマにした作品。
同時代の出来事を荒い筆致でドラマチックに描いています。
続いてこちらもドラクロワによる《サルダナパールの死》
ウジェーヌ・ドラクロワ 《サルダナパールの死》 1827年 ルーヴル美術館
古代アッシリアのサルダナパールが、民衆からの反乱を受け破滅に向かっていく場面。
非常にダイナミックな色彩、構図で描かれた作品ですが、そのテーマは古典的な内容。
『ロマン主義 = 同時代の出来事を描いた』 という訳では必ずしもないのがちょっとややこしいですね。
また、一人の人物が生涯を通して一つの主義主張に全く変化がないということは現代においても珍しいですよね。
そうした、画家人生の途中からロマン主義的な作品に移行した人物として、スペインの画家、ゴヤがいます。
フランシスコ・デ・ゴヤ《マドリード、1808年5月3日》 』1814年 プラド美術館
荒々しい筆致で描かれたのはナポレオン軍によるマドリード市民の大量処刑の場面。
この作品ではいかにもロマン主義と言える様な、同時代のショッキングな事件を荒い筆致で描いていますが、
元々ゴヤはスペインの宮廷画家としてロココ美術的な軽やかで甘~い作品を描いていました↓
フランシスコ・デ・ゴヤ《日傘》1777年 プラド美術館蔵
時が経てば人間誰しもその考えは変わりゆくものですからね。
さて、最後にご紹介する画家はイギリスを代表する画家、ターナーです。
ターナーはそれまでの風景画ではお馴染みであった牧歌的で理想的な風景だけでなく、厳しい自然現象や季節、また夕焼けや夜明けといった形で描かれた時間帯もキャンバスに表現しました。
(ジェリコーやドラクロワらのロマン主義的な画風とはかなり異なることから、ターナーをロマン主義の画家には含まないことも多々ある様です。)
ターナーが好んだこうしたテーマは自然主義の画家らや、印象派の画家らに受け継がれていきます。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号》1838年、ナショナル・ギャラリー
さて、といったところで、
次回の『西洋美術史を語る』は写実主義、自然主義です。