第7回 西洋美術史を語る ロココ美術とは? | あおきゅーのぶらぶらアートブログ。

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今回のテーマはロココ美術です。

 

そもそも、“ロココ”の語源は、人工洞窟にはめられた貝殻装飾を表すフランス語の“ロカイユ”から取られています。(←スゴい洞窟を造るもんですね。)

それが18世紀頃になると、そのイメージがこの時代の優美な家具や室内装飾を表す言葉となります。

 

18世紀のルイ15世のフランス宮廷に始まり、ヨーロッパの各地に広まっていったそのロココ美術の特徴は以下の通りでして↓

  • 曲線的で軽やか
  • 優雅で装飾的
  • 絵画だけでなく、家具や食器にも用いられた

 

豪華で華やかなものが多く、現代の日本のマダムたちにも非常に人気の高いロココ美術、いくつかの作品を見ていくのですが、

基本的に有名どころの抑えておきたい画家は3名です。

 

一人目がアントワーヌ・ヴァトー

 

ジャン=アントワーヌ・ヴァトー《ヴェネツィアの宴》 1718-1719年頃 スコットランド・ナショナル・ギャラリー

 

ヴァトーはロココ美術初期の画家。

前回特集したバロック美術と比べると、画面全体がかなり優美且つ軽やかに見えると思います。

 

こうした華やかな作品が、フランスのヴェルサイユ宮殿といった宮廷文化で開花、王族や貴族、そして富裕な上流市民に重宝されました。

 

 

 

17世紀頃のバロック美術の時代には美術を注文するパトロンが教会中心でしたが、18世紀頃のロココの時代にはそのパトロンが上流な家柄に変化していったことも画風の変化の大きな要因の一つ。

 

さらに付け加えると、芸術の中心地自体もカトリック教会の影響力が大きいイタリアから、ハプスブルク家の支配下にあったオーストリア、スペインへ。

そしてこの時代にはブルボン家絶頂のフランスへと移り変わっていくんですね。

フランス・パリが芸術の中心であることは、この後20世紀の二つの世界大戦によってアメリカに移るまで続きます。

 

 

 

さてさて話が少しそれましたが、ロココ美術で押さえておきたい画家の二人目がフラゴナール

 

ジャン・オノレ・フラゴナール 《ぶらんこ》1767年頃 ウォレス・コレクション

 

これぞ『THE ロココ』的な作品の定番として、この時代の美術を紹介する際に、こうして頻繁に登場する作品。

ちなみに余談ですが、大ヒット映画《アナと雪の女王》でオマージュ的に用いられたことでも(一部の美術マニアの中で)話題となりました。

 

 

 

そして3人目がブーシェ

こちらの作品はルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人

 

フランソワ・ブーシェ 《ポンパドゥール夫人》1756年 ルーヴル美術館

 

ブーシェは才色兼備で政治的な力も持ったこのご夫人から高く評価されました。

 

ロココ美術の特徴として優美で曲線的な装飾性を挙げましたが、もう一つ、肖像画が多いのもその特徴です。

主なパトロンが王侯貴族ですから、まぁ当然と言えば当然ですね。

 

 

 

ちなみにそのブーシェ、甘美な画風から、「快楽に奉仕する画家」という、まるで単なるヘンタイアーティストみたいな異名で呼ばれていたそうです。

 

自分だったらそんなアダ名で呼ばれるの、絶対嫌だなぁと思ってしまうのですが、

このロココの時代における絵画作品、ブーシェに限らず、かなり際どい作品が多くなるのも事実です。

やはり王侯貴族たちは基本的に浮かれていたんでしょうね。

 

美術史の本ではほとんど語られることはありませんが、

子供にはちょっと見せたくないなぁと思ってしまう様な作品が多数あります。

(気になる方はネットで“ロココ美術 エロ”などで画像検索すると結構出てきます。)

 

フランソワ・ブーシェ 《マリー=ルイーズ・オミュルフィ》1751年 ヴァルラフ=リヒャルツ美術館

 

ただこうした、社会おける思想であったり、その時の雰囲気などを反映するのがアートの面白さの一つでもあると思います。

 

 

 

さて、そんな浮かれていた時代もフランス革命や、マリー・アントワネットの処刑などを経て終わりを告げます。

 

といったところで、

次回の『西洋美術史を語る』は新古典主義をお届けです。