第23回は、アマラオ(通称アマ)こと天本匠海の登場です。
もう一度プレーヤーとしてフットボールに向き合うと決意したアマに期待しかありません!
はじめまして、天本 匠海(あまもと たくみ)と申します。
今回私は高校時代に経験した挫折等について綴りたいと思います。
・経歴 あざみ野FC→東急レイエス→浜松開誠館高校→産業能率大学
・身長/体重 172cm/72kg
・ポジション CB
私は同期である江川 真矢に誘いをいただいて入団する事を決意しました。一度は諦めたサッカー人生、もう一度このレイエスで闘えるのであればやりたい!と素直に感じたためです。
なぜ私が一度諦めたのかといいますと…
親元を離れ、全国大会に出たことのない高校で一花咲かせたいというマンガのようなビジョンを小学生時代に描いていました。
県内の強豪である浜松開誠館高校に入学し感じたことは、日本中に上手い奴ってこんなにたくさんいるのかということです。
全国に出たことのない私からすれば、今まで対戦してきた相手は関東でしかない狭い世界で戦っていました。同期には松原 后(シントトロイデン)、袴田 裕太郎(横浜FC)、他にも全国レベルの選手たちが大勢集まり、自分自身の限界を勝手に感じてしまっていました。
寮生活をしていたため、周囲には一年時から活躍する選手達がおり、実力の差をもの凄く感じ自分自身の目標を見失い、好きであったサッカーもいつの間にか見るだけで憂鬱になるほど嫌いなものへと変化していました。選手としての人生を高校生で諦めてしまいました。
「大学4年間は部活のマネジャーとして」
産業能率大学に入学後は部活のマネジャーとして活動していました。他にも沢山の選択肢があったのでは??と今では思いますが、当時の私は遊びでやるくらいなら違う形でも真剣に向き合いたいという思いがあったのでマネジャーという選択をしました。
マネジャーではありましたが時より練習に少し参加することもありました(笑)
チームの顔として活躍する選手、活躍したいと必死に努力している選手、挫折し諦めている選手、サッカーより遊びにはしる選手、様々な考えを持った多くの人たちと出会いました。気づけば私自身の気持ちは大きく変わってきていました。
「私にとってサッカーはかけがえのない存在である」
改めて気付かされました。やりたいのではなく、やらされていた昔の自分を本当に後悔しています。
ボールを追いかける事、激しくぶつかり合い切磋琢磨していく事、チームの仲間と喜びを分かち合う事、全てサッカーに教えてもらった事です。この経験は私にとって必要不可欠なとても大事な経験だったと思えます。サッカーが好きという事に気づかせてくれた事、そして今回こうしてまたサッカーをやらせていただける機会を得られた事、全てが何か繋がっているのかと感じます。
社会人としてチームの発足に携われる、もっともっと成長していく東急レイエスの始まりに関われることを誇りに思い、ライオンのエンブレムに恥じる事のないよう突っ走っていきます。宜しくお願いします。
~more than FOOTBALL~
天本 匠海
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