I never wave Bye-bye | In The Groove

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a beautiful tomorrow yea

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周知のとおり、千代田区有楽町2丁目に位置する『西武有楽町店』が、今年のクリスマス(12月25日)に閉鎖する。今朝(2月1日)の日経MJ一面の見出しは、“銀座の「主役」降板”だ。私的には、“バイバイ”というには早すぎる。


西武有楽町店が1984年10月に開業した当時の記憶といえば、私的にはアメリカの“MTV”だろうか。



デヴィッド・ボウイの14thアルバム“Let's Dance”が1983年4月に発表され、同年同月にデヴィッド・ボウイとカトリーヌ・ドヌーヴが共演したトニー・スコット監督作『ハンガー』、同年翌月の5月にはデヴィッド・ボウイと坂本龍一が共演した大島渚監督作『戦場のメリークリスマス』が立て続けに日本公開となり、俺にとっては生涯忘れられない時代となったのだ。


当時、東京の街のいたるところでは、“Let's Dance”や“Modern Love ”が流れ、彼と一緒に時代は踊っているかのように思えた。


参考までに、マイケル・ジャクソンのアルバム『Thriller』の発売は1982年で、マドンの1stアルバム『Like A Virgin』の発売は1984年だ。


有楽町に西武百貨店がオープン後、日本経済はバブルに沸いていくわけだが、1980年代後半から1991年にかけて、世界一の資産家といえば、西武の堤義明氏(1934年生まれ)であり、当時の総資産額は3兆円ほどだったようだ。バブルが崩壊し、堤ファミリーの総資産は減り続ける一方で、世界の資産家No.1に躍り出たのがマイクロソフトのビル・ゲイツ(1955年生まれ)氏だ。付け加えると、先日スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムにおいて、デジタル革命のリーダーであるビル・ゲイツが、今後10年間で、発展途上国の子供達のために100億ドル(1ドル=90円換算で9,000億円)を寄付する、と発表したのだ。正に、彼は本物のセレブリティなのだ。


ところで、俺のお気に入りのデパートが「西武百貨店」であり、私的には渋谷店と有楽町店はよく利用している(正確にいえば、有楽町店はよく利用していた)。池袋本店には、場所柄ほとんど足を運んだことがない。三越や高島屋とは異なり、ある意味、西武百貨店の品揃えは、80年代後半から90年代にかけて最先端だったともいえる。現在、最先端の品揃えを誇る百貨店といえば、他でもない伊勢丹新宿メンズ館である。


西武百貨店のイメージは昔も今も変わらず、「ジョルジオ・アルマーニ」と「エルメ」が置いてある百貨店であり、90年代にはイタリアの「ジャン・フランコ・フェレ」や「ジャンニ・ヴェルサーチ」もラインナップされていたが、現在ではイタリアの「サルヴァトーレ・フェラガモ」「プラダ」「グッチ」「ボッテガ・ヴェネタ」など俺のお気に入りブランドが並んでいる。
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西武有楽町店が、女性向けに形態を変えたのはいつ頃だったのか記憶が定かじゃないのだが、ジョルジオ・アルマーニとエルメスのフロアが存在した時期の7Fには昔よく足を運んだ。プラチナサロンにも。上の写真は、当時アルマーニの「有楽町店」でいただいた名刺だ。その上の2枚は、ニューヨークにあるアルマーニの「フィフス・アヴェニュー店」と「バーグドルフ・グッドマン店」の名刺だ。スタッフの名前部分だけ隠している。


先週末、自宅にて1998年の雑誌「エスクァイア」誌に久し振りに目を通してみた。タイトルが・・・

大人の街遊び 銀座に戻れ。


俺が生まれた1970年代以前の銀座について、興味深かった部分を一部抜粋して紹介したい。


 今の銀座のにぎわいは、震災後、デパートが銀座に進出したことが大きく影響している。まず、松坂屋が上野からやってきた。それから松屋が神田からまた。三越は、日本橋本店が焼けた時、すぐに銀座に仮店を出したが、本店が復興すると、銀座の店は閉めてしまった。しかし、銀座のデパートが人気になると、あわててここに店を出したのだ。


 私には商売のことはわからないが、銀座には、商店だけではない、なにかがあるからだと思う。人々は買物や飲食だけでここに来るわけではない。ただ街を見に、街を歩いている人を見に、銀ブラに来るのだ。そのなにかとは、<文化>とか、<スタイル>といってもいいかもしれない。パリやロンドンのストリートは一つのスタイルを持っている。そして銀座もスタイリッシュなストリートなのだ。


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 中学生くらいだったのかな。作家の川口松太郎先生にね、『これも勉強のうちだ』って言われて銀座のバーに連れていってもらったんですよ。カウンターでカクテルを注文してもらったのかな。たしかマティーニだったと思うけれど、今でも休日になると、ドライマティーニなんて口をついて出てきちゃうなぁ。



 当時、銀座のバーには、憧れのスターも訪れて、右を見ると小林旭、左を見ると石原裕次郎。ドキドキしましたよ。



 資生堂パーラー(彼の父親の年代の役者たちが頻繁に使っていた場所)に行くって聞くと、デートなのかなぁって……。そういえば、僕が初めて行ったときにね、一番安い物を頼もうと思って、『カレーライス』って言ったんだけど、すっごく高かったんでびっくりしちゃって……。



 銀座ねぇ、かつての恋人ってところかな。ある時から疎遠になって、元気にしてるかなとは思うけど……。今はお茶一杯くらいなら付き合いましょうって。



―松本幸四郎

いろいろな人の昔話に耳を傾けてみるのも面白いものだが、俺にとっての東京はどこも庭みたいなところだけれど、特に「銀座」「渋谷」「六本木」は特に思い入れの感じられる場所だね。



そもそも高級路線だった西武有楽町店は、1995年に働く女性をターゲットに絞ったリーズナブルな路線に転じ、2006年には「ファッション&ビューティ」館にリニューアルし、4年が経過した。


銀座にくらべると、西武有楽町店のある一帯は昨今では「有楽町イトシア(有楽町2丁目/丸井が核テナント)」や「ビックカメラ(有楽町1丁目/「そごう」跡地)」などが開業し、「安っぽい」イメージの街となった感は否めないのだが。


2000年以降には、銀座にジョルジオ・アルマーニエルメスコンセプトストアがそれぞれオープンした一方で、ファストファッション「H&M」「ZARA」「UNIQLO」「Abercrombie & Fitch 」「TOPSHOP(4月オープン予定)」)のショップが台頭して以降、銀座の街から「高級感」や「特別感」が消えてきたようにも思えるのだ。銀座の街を歩く洗練された客層が、ファストファッションの出店の影響によって、銀座に足を運ぶ層が若返ったことは喜ばしいことだとは思うのだが…。


バブルがハジけた1991年以降の失われた長い年月に加えて、2008年9月のリーマンショックの影響によって、世界を代表するストリート「GINZA」の地図が塗り替えられようとは、西武有楽町店がオープンした26年前の1984年当時、誰も想像しなかっただろう。


巷では、家電量販店大手の「ヤマダ電機」が出店するのでは?などと噂されているようなのだが、私的には「有楽町センタービル(有楽町マリオン)」そのものを全部取り壊し、高層ビルを造って、外資系高級ホテルを誘致したらどうなのかと思うのだが、“”の時代の気分ではないのかなぁ(笑)。アルマーニホテルブルガリホテルなら話題性は十分だろうし、ニューヨークに1998年に登場し、世界的に成功したデザインホテル“W ”ホテルも面白いと思う。また、ニューヨークの夜の帝王であるイアン・シュレーガーと、デザイナーのフィリップ・スタルクとのコラボしたデザインホテル(ニューヨークに多数存在する)を、トーキョーで見てみたい気もする。俺が期待するのは、「安っぽさ」ではなく、「洗練」なのだ。


銀座の百貨店の中では、「松屋銀座店」が最先端だが、本年に増床しリニューアルオープン予定の「三越銀座店」は、伊勢丹との経営統合によって、品揃えが改善され、今よりは魅力的なデパートになるかも知れない。日経MJ一面には「変わるから銀座は魅力的」だと書かれていたが、俺はそうは思わない。銀座は変わらない(高級感を保持していた)から魅力的なのだ。銀座が、新宿や池袋のように「安っぽい」街になるのだけは御免だ。


銀座の街には、海外の高級ブランドが溢れ、選ぶことに圧倒される時代がやって来て、アルマーニやエルメスは「確かさ」の同義語となったが、「安さ」だけを強調した偽物のファストファッションの出店は、もうこれ以上、銀座には必要ないように感じるし、「」をキーワードに街づくりに取り組んでほしい、と切に願う。とはいえ、景気回復まで、あと何年の月日が必要なのだろうか。


長くいた場所から

僕は外へ飛び出した

事を成し遂げるために


僕は新聞少年をつかまえる

だが世界はちっとも変っちゃいない

僕は風に吹かれて立ちつくす

けれど僕は決してバイバイと手を振ることはしない


―デヴィッド・ボウイ(1983年作“Modern Love”より)
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上の写真は、1983年当時のCDとレコード。今も新品の状態のままなのだが、デヴィッド・ボウイの名前が、当時は「デヴィッド・ボウイー」だったのが懐かしくもある。80年代ファッションも(笑)。


Have a nice day !