In The Groove

a beautiful tomorrow yea

In The Groove In The Groove
In The Groove In The Groove In The Groove
In The Groove In The Groove In The Groove
私はいつも自分をびっくりさせている。

人生に生きる価値をもたらすのは、それだけだから。

―オスカー・ワイルド




自信のないメトロセクシャルは価値がない。自信の鍵となるのは知識である。自分自身を知り、自分の力を知り、弱点を知ることである。それは、持つ人持たない人のいる特殊な資質ではなく、本人の心の持ち方である。“が人生なのだ。

―マイケル・フロッカー





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ナオミ・キャンベルは、19864月にイギリス版ヴォーグの初めての仕事でニューヨークへ来たとき、人気モデルではなかった。彼女は1985年に、元モデルのベス・ボルドに見出された。ボルトはロンドンで<シンクロ>というエージェンシーを経営しており、コヴェント・ガーデンにあるそのオフィス近くの店で、タップ・シューズを買っている14歳のキャンベルを見つけたのだ。「ナオミは学校の制服を着ていました」とボルトは回想している。

 

その夏、キャンベルは、チュニジア生まれの小柄なパリのデザイナー、アズディン・アライアのお気に入りになっていた。彼がモデルたちを愛するのと同じくらい、モデルたちも彼のセクシーな服を愛した。アズディン・アライアはモデルたちを自分の家に泊まらせ、“私の娘たち”と呼んだ。「ナオミはわたしのことをお母さんみたいだと言うんです」と彼は述べている。「わたしがナオミから目を離さないからでしょう。若い娘たちにとって、街は危険なところです。誘惑がたくさんありますからね」。

マイケル・グロス著『トップ・モデル きれいな女の汚い商売』(1996年)より

 

1977年の青春映画「サタデー・ナイト・フィーヴァー」公開から40

1987年の「ブラック・マンデー」から30

1997年の「山一證券破綻」から20

2007年の「アルマーニ銀座タワー」開業から10

 

ファッション専門の週刊紙<WWD>日本版が今月6日の号で、創刊2000を迎え、39年のファッションの歴史を振り返る特集を組んでいる。俺が同紙を購読し始めたのは、今から278年も時代を遡り、19891990頃の学生時代だ。当時はインターネットも携帯電話もない時代であり、俺がこのブログを始めた2004年、2005年頃に「WWD」に関して、よく取り上げたものだ。ところで、俺が享楽的な大学時代を謳歌していた1991、日本経済のバブルが崩壊し、同年5月、芝浦にディスコ『ジュリアナ東京』がオープンした。

 

ジュリアナ東京アズディン・アライアのドレス

 

同ディスコにについて、湯山玲子著『クラブカルチャー!』(2005年)には、<ワンレン・ボディコンの女性客がお立ち台に飛び乗り、羽根の扇子をひらひらさせて踊る風俗が有名になり、マスコミで騒がれたものだが、私が行ったのはただの1回だけ。当然「GOLD」に集う先端人間やカルチャー業界人たちは「ジュリアナ」をバカにしきっていたが、私は同じボディコンでもアライアで若いギャルどもに差をつけ、ドアを開けた時の印象は光の束とサウンドが押し寄せるポジティヴなパワーに溢れ、「案外、いいじゃない」と思った記憶がある。>と回想されている。

 

バブル崩壊の1991。写真左から、パリにて、デヴィッド・ボウイナオミ・キャンベルアズディン・アライアイマン(翌92年、ボウイと結婚)

 

そんなまだ誰もバブルの崩壊に気付くどころか、バブルの余韻に浸っていた頃、一世を風靡したディスコ『ジュリアナ東京』において、当時流行したボディコンシャスなドレスこそが他でもない<アズディン・アライア>のそれだったのだ。そう、ブログ冒頭で引用したが、ナオミ・キャンベルを娘と呼んでいたボディコンシャスなドレスの生みの親<アズディン・アライア>氏(1940-2017/享年77)が今月18日にパリで死去した。

 

俺の記憶に残るWWDファッション変遷

 

創刊2000をめくると、「世界とつながるファッション業界のリーダーたちは常に現在進行形で、変わることを楽しむ」とあったが、俺はその瞬間、昨年1月に★になったデヴィッド・ボウイのことがすぐさま頭に思い浮かんだ。

 

何にせよ、ミュージシャンほど感情に直接働きかけることのできる人はいないと思います。いい音楽はどこか違う場所へと連れて行ってくれます。その意味で、ブランドの世界観を伝えるうえで音楽は極めて重要です。

―クリストファー・ベイリー

 

次のページをめくると、バーバリーの「クリストファー・ベイリーが20183月末で退任」の記事。そう、英国の退屈なブランド<バーバリー>に変革をもたらした彼に関しては、2014721()付ブログ“Superstar Junkie”(テーマ: ファッション)、20151017()付ブログ“Go forward into the future”(テーマ: ファッション)で取り上げたので、興味がある方はどうぞ。

 

10頁からは、2000号を記念し、ジョルジオ・アルマーニをはじめ、世界各国のデザイナー達から直筆メッセージが顔写真付で紹介されており、とても興味深かった。70年代生まれの俺が、39年間分(1979年~)のWWDを全部知る由もなく、知っているのは購読したここ278年分であり、89年、90年代、ゼロ年代、そして2010年代だ。とりわけ、目に留まった記事をいくつか挙げてみたい。

 

198339頁)「西武流通グループとジョルジオ・アルマーニの提携確定的

アルマーニとエルメスいえば、私的には西武百貨店のイメージだろうか。80年代末の高校時代、渋谷西武百貨店でジョルジオ・アルマーニのスーツを目にし、スーツの美しさそのものよりも前に、140万円台というその値札に驚いたのを今でも鮮明に憶えている。今では何でもない価格だが、俺は今も変わらず、アルマーニを着ている(愛している)。

 

198747頁)「渋谷西武が4棟体制“LOFT館”オープン

80年代の最先端企業グループ<西武>が、渋谷の街を変えたのは確かであり、東京の若者文化を牽引したのも、同グループだろう。 

199063頁)「バーニーズ・ニューヨーク新宿店 113日にオープン

ニューヨークの本店をよく知る俺にとって、新宿という最悪な立地はさておき、同スペシャリティ・ストアが東京に開業するというニュースは当時とても新鮮だった。当時、大学生だった俺は、今では取り扱いのない<ヴェスティメンタ>というアルマーニのファクトリーブランドのジャケットやスーツを何点も購入したことを憶えている。

 199165頁)「渋カジの中心はポロの紺ブレ」「ポロ・フィーヴァーはいつまで続くのか?」「もう書き疲れたバブル崩壊

当時、渋谷で大流行したファッション「渋カジ(渋谷カジュアル)」の後に続いたのが、「キレカジ(キレイめのカジュアル)」であり、その王道がポロ・ラルフ・ローレンの紺のブレザーだった。渋谷公園通りのパルコに出店していたラルフ・ローレンには当時よく足を運んだよ。バブル崩壊のあの頃に、ね。

 

199369頁)「スーパーモデル席巻と百貨店暗黒時代突入

199677頁)「グッチを復活させたトム・フォードにインタヴュー

199779頁)「ヴェルサーチが凶弾に倒れる

 

10年後のことなんてわからない。

ファッションは今、

この瞬間であるべきだから。

—エディ・スリマン

 

200095頁)「エディ・スリマンがディオールのメンズデザイナーに就任

エゴイストの売れる理由

エディ・スリマンのディオール・オムの話はさておき、当時渋谷に住んでいた俺は、女の子とのデートで109を訪れることも多々あり、エゴイストでの買い物に付き合ったこともあるが、アルマーニなどを愛用する俺にとって、中国製のそのファストファッションは色んな意味で別次元の世界に俺の眼には映っていたのだ(笑)。

2007111頁)「アルマーニの世界観を具現化 バンブー・タワー、銀座を制圧!

2008113頁)「イヴ・サンローラン、モロッコに永眠す

 

2010127頁)「アレキサンダー・マックィーン(40)が自死

2016139頁)「デヴィッド・ボウイ死す」「トランプ当選で世界に衝撃 

以上、いくつか気になるニュースをピックアップしてみたが、147頁には1980年~2010年代のモデルブーム変遷」について触れられている。

 

ところで、俺のブログ(2004-2017)で、テーマが「ファッション」でのエントリーは、今回を含めて117を数えるが、テーマ別では「音楽」「映画」「本・雑誌」と同じくらいに頻度が高いのは、俺の興味の対象であり、ライフスタイルの一部だからだろうね。先月、10月は「映画の秋」だと形容したが、東京国際映画祭も終わり、すっかり寒くなったここ東京の都心の夜は、クリスマス・イルミネーションで飾りつけられ、街ゆく人々のファッションも冬モードに変わっている。先日の夜、銀座での会食に向かう途中、フレデリック・カッセルの紙袋とファストファッション「GU」のビニール袋を手にした、高級ショコラとファストファッションの組み合わせの若い男性の姿が目に留まったが、今の時代、従来のマーケティングが通用しなくなったのも分らなくもない。また平日の夜の銀座の街は人、人、人で溢れ返りソニーは20年ぶりの最高益、そして日経株価は25年ぶりの水準にまで回復し、プチバブルの様相を呈している。80年代バブル期のソニーよ、再びか。

 

90年代前半の、ジュリアナ・テクノが流れ、アズディン・アライアの派手なボディコンシャスなドレスを身に纏った女の子たちの独特の踊りと、あのキラキラした時代が懐かしい今日この頃でもあるが、明けない夜はないように、日はまた昇るのだ

 

80年代は、私の大好きな時代ですし、

その時代の音楽がラジオでかかると、

ついボリュームを大きくしちゃう。

だって、楽しい思い出がたくさん蘇ってくるんですもの。

—シャーリーズ・セロン

 

 

最後になるが、1987の株価大暴落から30年を迎えた先月19日、米国株は史上最高値を記録した。87年当時、ピーター・ガブリエルのこの曲がラジオでヘヴィロテされてたよ。

 

Time flies like an arrow.

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一口にワインと言っても、作ってる国やら地域やらで、色々種類があるらしい。その上、高級ワインからテーブルワインまで、各国ごとにヒエラルキーがあるという。わけがわからない名前といい、なんだかワインってすごくめんどうだと思っているキミ。ふところ具合がどうであろうと、まず押さえるのは高級ワイン。熟成させた高級ワインはめちゃくちゃ高い。ただし、本当においしいかどうかはそれまでの保存状態。いいワインはいい条件で保存してゴージャスに花開く。これは、飲んでみるまでわからないから、一種の賭け。そして、この賭けの勝率は決して高くない。

 

世界中の高級フレンチレストランには、フランス人のソムリエが出稼ぎに行っている。高級ワインは熟成させて飲むようにつくってある。でも、出荷されて一、二年の若くて、とってもしぶいボルドーを本気ですすめるのがこの連中。結局、どの時点をおいしいと思って飲むかはその人次第。「まだ飲むには早い」「もう盛りを過ぎている」といったコメントはプロっぽいが、あまりあてにならない。

—葉山孝太郎著『ワイン道』(1996年)より

 

90年代の東京

高級ワイン」と「アシッドジャズ」と「外資系ホテル御三家

 

9月の東京は、俺にとって<音楽の秋>で始まり、最高の時間を過ごしたが、月が替わり、10月はとりわけ、俺好みの映画が怒涛のように劇場公開される。この三連休から来月にかけ、俺にとって<映画月間>となるのはほぼ間違いないが、<映画の秋>というのも悪くない。

 

先日、秋の夜長に、ロバート・グラスパーのアルバム『アートサイエンス』をBGMに、ボランジェグランダネ・ロゼを注いだバカラのマッセナのシャンパングラス片手に、自宅の書棚を眺めていると、1996に購入した葉山孝太郎の飲みたい夜長の裏スノッブ指南書ワイン道』が目に留まり、ぱらぱらと斜め読みした。

 

そう、96の東京といえば、先日もブログで取り上げたジャミロクワイなどの音楽、いわゆるアシッド・ジャズ・ムーヴメントの最中で、仕事帰りに、美女たちとインコグニートブラン・ニュー・ヘヴィーズガリアーノジャミロクワイのライヴに足を運び、ワインバーで音楽、映画、旅行、そしてファッションなど等について、夜な夜な楽しい会話をした記憶が未だ鮮明に残っている。90年代に足を運んだ恵比寿ガーデンホールでの数々のライヴをはじめ、2001年に恵比寿ガーデンシネマで観たブレット・イーストン・エリス原作の映画『アメリカン・サイコ』は最高で、俺にとって生涯忘れられない傑作へと昇華した。主演を務めたクリスチャン・ベールが映画のPRのため、当時宿泊したホテルはウェスティンホテルだった。

 

今振り返ると、80年代後半のバブル期はさておき、ワインバーが東京で本格的に流行りだしたのは90年代半ば頃だったかもしれない。2000年代に入ると、シャンパンが一般的にも流行し、シャンパンバーが都心で続々とオープンし、昨今のシャンパンブームに至っている。なお、俺は昔から赤ワインはあまり飲まない主義ゆえ、もっぱらシャンパン白ワインブルゴーニュ産)に限定される。要は、高級などれを選んでも、赤ワインとは異なり、シャンパンにはほぼハズレがないのだ。

 

そう、91年の日本経済のバブル崩壊後の東京には、92に「フォーシーズンズホテル椿山壮東京(現:ホテル椿山壮東京)」、94に「ウェスティンホテル東京」「パークハイアット東京」、いわゆる外資系ラグジュアリーホテル御三家が誕生し、東京の垢抜けないホテル群に世界を代表する超高級ホテルが加わり、ホテル業界は一段と洗練されていくのだ。

 

当時、渋谷の松濤に住んでいた俺は、渋谷西武で買い物し、仕事帰りにはHMV渋谷に立ち寄り、好みのハウスミュージックを探し、週末は徒歩圏の代官山界隈のレストランで食事し、恵比寿のウェスティンホテルに宿泊するなど習慣化していた。

 

当時、フォーシーズンズパークハイアットもよく利用したが、ウェスティンホテルには、多い年には年間で50泊ほどしたが、今ではすっかり足を運ばなくなった。なぜなら、渋谷から銀座方面に転居したのが最たる理由のひとつだが、銀座界隈には、最高のホテル群・・・フォーシーズンズ(丸の内)、ペニンシュラ(有楽町)、コンラッド(汐留)、マンダリン・オリエンタル(日本橋)、シャングリ・ラ(丸の内)、アマン(大手町)等々の外資系超高級ホテル2000年以降に次々と誕生したからだ。今後も銀座界隈には、外資系デザインホテルなどが開業予定で、東京の未来地図は多様性に富み、より成熟した世界的な国際都市が完成するはずだ。そう、俺がかつて住んでいた渋谷の大規模再開発然りね。

 

中秋の名月

映画の秋>に私的に観たい5作品

 

前置きが長くなってしまったが、9月のブログでは「夏の終わり」として、今年ナダルが達成した「全仏オープンV10」及び「全米オープンV3」を取り上げた。そして昨日、北京で開催された大会でも優勝し、「中国オープンV2」を飾ったが、ナダルが同大会で初優勝したのは今から12年前の2005年(当時19歳)まで遡る。

 

104日の中秋の名月も過ぎたが、俺の過度な期待に応えてくれて、俺を魅了する、果てなく続く王者<ナダル>のテニス・ストーリーはまだまだ続くが、彼のテニスをワインに例えるなら、完璧に熟成した、最も偉大で、今年ゴージャスに変身した、芸術的ともいえるそれだろうか。昨今、男子テニス界は若手が台頭してきているとはいえ、偉大なナダルの引き立て役に過ぎず、彼らは若いだけで、淡白な印象が否めないワインのようだ。12年前に観たあのテニスの記憶がぼんやりとフラッシュバックされる今日この頃でもあるけれど。

 

一方、今の東京は、「俺好みの映画」が毎週末公開予定となっており、男心と秋の空ではないが、俺の関心は今月に限れば、「音楽」や「テニス」から「映画」にシフト気味なのだ。

 

アンダー・ハー・マウス (107日~公開中)

期待度★★★☆☆

VOGUE』日本版最新号(11月号)には、同作品で初主演を務めたユニセックスなモデル<エリカ・リンダー>のインタヴュー記事が掲載されていた。同誌によれば、同作品は「女性のセクシュアリティや、女性同士の恋愛を、女性の視点から描いた映画」だと紹介されていた。トロントを舞台にした映画だが、同誌のインタヴューでエリカは「自分らしく生きるということと、自分が何者なのかというのを隠さないでほしいです」と。

 

ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ (1014日公開予定)

期待度★★★★☆

六本木の国立新美術館開館10周年として「安藤忠雄展」が去る927日から始まったばかりだが、俺の自宅を飾る高級家具は、近代建築の巨匠ル・コルビュジエをはじめ、アイリーン・グレイのガラステーブル等々でモダンにまとめられている。本作は、そんな2人の名建築家にフォーカスした人生ドラマを描いた作品だ。そして、歌手のアラニス・モリセットちゃん(現在43歳)が端役で出演しているが、彼女の世界的に大ヒットした95の失恋恨み節ソング“You Oughta Know”(当時21)は不思議と覚えてるよ(笑)。

 

アトミック・ブロンド (1020日公開予定)

期待度★★★★☆

近年、アクション映画に傾倒している俺のお気に入り女優<シャーリーズ・セロン>ちゃんが、ベルリンの壁崩壊前の1989年のドイツを舞台に、MI6の美女スパイロレーン>役を演じ、暴れまくる作品だ。共演は、英国の人気俳優<ジェームズ・マカヴォイ>君だが、彼の主演作『スプリット』(人格の多様性を利用したスリラー作品)を今年5月に六本木で劇場鑑賞したが、呆れるほどに駄作だった、過去記憶にないくらいに(笑)。話を戻すが、アトミック・ブロンドのサントラは意外に豪華だが、ベルリンの壁崩壊であれば、デヴィッド・ボウイの曲“Heroes”は外せないと思うのは俺だけだろうか?

 

ブレードランナー 2049 (1027日公開予定)

期待度★★★★★

小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(1968)が原作で、1982に公開されたリドリー・スコット監督作『ブレードランナー』から35年もの歳月を経て、完成した続編だ。本作のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督によれば、デヴィッド・ボウイが当初ウォレス役の第一候補としてキャスティングされていたようだが、ボウイが★になったため、同役はジャレッド・レトに。前作公開時に40歳だったハリソン・フォードは現在75歳に。そして本作で主演を務めるのはライアン・ゴズリング君。色んな意味で、楽しみなSF作品だ。

 

ノクターナル・アニマルズ (113日公開予定)

期待度★★★☆☆

トム・フォード監督作品第2。前作の2009年公開作品『シングルマン』から7年。<要は、トム・フォードの初監督作品『シングルマン』同様、本作も「人生とは何か?」を主題にしており、今回もまた、彼らしい脚本の選択だと、俺の眼には映ったのだ>と記した20150625()付ブログ“Love is”の中で詳細に取り上げたので、興味がある方はどうぞ。ジェイク・ギレンホール君の演技も楽しみだが、トム・フォードらしい、美的センスや映像美をはじめ、音楽、ファッション等々、ディテールにまで注目したい作品だ。

 

 

最後になるが、ブログ冒頭に、RTしたロンドンのインターコンチネンタルホテルのツイート写真だが、同ホテルはロンドンのパークレーンに位置する、俺のお気に入りホテルのフォーシーズンズホテルの隣ゆえ、シャンパンをグラスに並々と注いでくれるのであれば、今度ぜひともお邪魔したいね。そう、ナイツブリッジに位置するマンダリン・オリエンタルからも徒歩圏の場所なのだ。夏に溺れるように口にしたブラン・ド・ブランのシャンパンから、秋はピノ・ノワール主体もしくはブラン・ド・ノワールのそれに変える時期なのか、たとえ、シャンパンを飲むのに慣れてはいても、ね。

 

Cheers!

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1977年は世界のディスコシーンにとって重要な年となった。1977426日、ニューヨークに「Studio 54」がオープンした。5カ月後、ストレートな観衆にディスコの息吹を届ける映画がハリウッドで公開された。ジョン・トラヴォルタがダンス(と過激なスーツ)に命をかけるブルックリンの青年を演じる『サタデー・ナイト・フィーヴァー』だ。

 

そのふたつに挟まれ登場したのが、ジョルジオ・モロダーとピート・べロッテがプロデュースし、ドナ・サマーが完璧に歌い上げた「I Feel Love」だ。40年前にリリースされ、いまだに未来的な音すら感じさせるこの曲の存在により、我々のディスコハウステクノ、そして次なる音への旅路が始まったのだ。まさにダンスミュージックの創世記だ。

 

デヴィッド・ボウイLow』レコーディングのためドイツにいたプロデューサーのブライアン・イーノが「I Feel Love」を聴いて言った。「俺は未来の音を聴いた。これだよ、間違いない。このシングルは、この後の15年間にクラブでかかる音楽を変えるだろう」。

—クラブ・カルチャー・マガジン『mixmag日本版の創刊号より

 

ダンスミュージックの変遷と

スペース・カウボーイ<ジャミロクワイ>の記憶

 

デヴィッド・ボウイがナイル・ロジャースをプロデューサーに起用し、世界的に大ヒットしたディスコティックな傑作アルバム『Let’s Dance』がリリースされた83、英国でクラブ・カルチャー誌『ミックスマグ』が創刊された。今年で34年を迎えた同誌は、今月7日に日本版を発行したのだ。

 

ニューヨークを舞台にした77の青春映画『サタデー・ナイト・フィーヴァー』公開から今年で40年を迎え、日本は戦後、1964東京五輪」、1970大阪万博」など、高度経済成長期を経験した。そして85、ニューヨークでの「プラザ合意」後、日本は過去記憶にないような「バブル景気」に突入し、それを象徴する夜遊びスポット<ディスコ>が次から次へとオープンし、絶頂期を迎えるのだ。そんなバブル前夜の85年に登場し、80年代を象徴する香水となったのが、クリスチャン・ディオールのプワゾンであり、その過剰なチュベローズの香りは、バブル景気で浮かれた東京の夜の街をエロティックに装い、アズディン・アライアのボディコンシャスなドレスを身に纏った多くの女性達でディスコは溢れ返るのだ。

 

バブル絶頂期の89には、港区の芝浦に、ファッションピープル御用達のディスコ『GOLD』がオープンするのだ。そんな東京のカルチャーやファッションを分析したムック本『What’s Next? Tokyo Culture Story』が昨年末に刊行され、当時のディスコカルチャーについて、次のように紹介されていた。 

かつて東京の遊び人たちが集まり、来日したビッグアーティストが必ず足を運んだ伝説の大箱が芝浦にあった『GOLD』だ。オープンは1989。バブル末期のこの頃、寂れた湾岸の倉庫街をウォーターフロントと呼び、人気スポットが多数誕生した。なかでも『GOLD』は一際クールだった。マドンナが貸し切りで誕生日パーティを開き、ミック・ジャガーがグルーピーと訪れ、デヴィッド・ボウイが裸で走り回っていたりするのだ。バブル崩壊の煽りを受け1994年にリニューアルを試みるも、1995年にクローズ。

 

付け加えるならば、バブル崩壊の1991に芝浦にオープンしたディスコが『ジュリアナ東京』だ。そんなバブル期のディスコでヘヴィロテされた音楽が、ドナ・サマーをはじめ、アース・ウィンド&ファイアーなどの黒人による<ソウル・ミュージック>いわゆる<ダンス・クラシック>であり、リック・アストリーカイリー・ミノーグ、そしてデッド・オア・アライヴ等々に代表される白人によるダンスミュージック<ユーロビート>だ。

 

同時期に登場したのが、<ハウス・ミュージック>であり、英国のクラブシーンから派生した踊れるジャズが<アシッド・ジャズ>だ。1990に渋谷にオープンした英国系レコード店<HMV渋谷>では当時、その音楽は<クラブ・ジャズ>とも形容された。その代表格が、インコグニートをはじめ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズガリアーノ、そして93にデビュー・アルバム『Emergency On Planet Earth』をリリースしたジェイ・ケイ(当時23歳)率いるバンド<ジャミロクワイ>、そう「未来の音」だ。なお、同アルバムのライナーノーツは、次のように始まる。

 

1992年の秋、ロンドンのクラブ・ランドの内側で、“新しいジャズ”―それは言葉通りのジャズのみならず、ソウル、ファンク、ヒップホップ、ラテン、そして少しばかりのレゲエまで広い範囲の音楽を示す―を支持する人々の間では、もうジャミロクワイという奇妙な名前は知れ渡っていた。

 

90年には、ミック・ジャガー率いるローリング・ストーンズやデヴィッド・ボウイが東京ドーム公演を行い、俺も足を運んだが、それ以降、ボウイの来日コンサート(首都圏)に俺はすべて足を運んだが、90年代に数多く足を運んだのが、先述したアシッド・ジャズを代表するミュージシャン達による小箱(渋谷オンエア、渋谷クラブクアトロ、恵比寿ガーデンホール、新宿リキッドルーム、赤坂ブリッツ等々)でのライヴだった。

 

新しく誕生したその音楽は、東京の音楽ファンの間でも人気が爆発し、アシッド・ジャズ・ムーヴメントが起こるまでに至ったのだ。91年のバブル崩壊後のムーヴメントだとはいえ、あの時代の東京はまだ、色んな意味でキラキラしていたと記憶している。そう、93年、地球に警鐘を鳴らし、音楽に革命をもたらしたバンド<ジャミロクワイ>の音楽は、当時とても新鮮に聴こえ、しかもお洒落で、踊れるという、独自の音楽スタイルを確立していたのだ。

 

ジャミロクワイ@日本武道館

90年代ファンクへの旅

 

前置きが長くなってしまったが、今年47歳となったジェイ・ケイ率いる英国のファンクバンド<ジャミロクワイ>が来日を果たし、俺は915日(金)及び16日(土)の両日、武道館公演に足を運んだ。

 

音楽好き(マニア)の俺が、人生で最も多く足を運んだコンサートは、他でもない<デヴィッド・ボウイ>であり、ティン・マシーン時代も合わせると、国内外で20回を軽く超えるが、その次に多いのがインコグニートブラン・ニュー・ヘヴィーズKaskade(カスケイド)であり、その次くらいがジャミロクワイだろうか。近年では、ロバート・グラスパーのライヴには飽きもせず何度も足を運んでいるが、彼の場合、来日が多すぎるため、今年6月の日本公演はスルーしたが、年末年始はブルーノート公演が控えている。

 

何度も言うが、デヴィッド・ボウイだけは俺にとって「特別な存在であり、彼以外のコンサートは、アシッド・ジャズジャズのそれが多くを占めている。とはいえ、全部は書かないが、今年はデヴィッド・ボウイ・トリビュート2月)をはじめ、ジェイムス・ブレイク2月)、ノラ・ジョーンズ4月)、コールド・プレイ4月)、ヘレン・メリル4月)、カスケイド4月)、ブリトニー・スピアーズ6月)、スティング6月)、マリア・シュナイダー6月)、インコグニート7月)、カルヴィン・ハリス8月)等々、ジャズやハウス・ミュージック(EDM)に限らず、ロック・コンサートにも足を運んだ。

 

ジャミロクワイの2日間のセットリストはほぼ同じで、上記のとおりだ。今年3月末、7年ぶりにリリースされた新作『Automaton』のツアーだったとはいえ、今回最も多く演奏されたのは他でもない「90年代」の楽曲群だったのだ。

なお、ジェイ・ケイがアントニオ・バンデラス主演作『Automata』(2014)を鑑賞したかどうかは知らない。

 

ファン層は、2月のデヴィッド・ボウイ・トリビュートのそれとは大きく異なり、ジャミロクワイの武道館公演のそれは30代と40代が中心で、20代と思われる若い世代も少なからず目にした、Cosmic Girlは見かけなかったけど、ね

 

ジャミロクワイの日本公演で誰もが気付いたのは、フロントマン<ジェイ・ケイ>の体型の変化だろうか(笑)。93年のデビュー・アルバム発売当時、彼は23歳で、身長170cmで、体重55kgくらいと思われる細身だった一方、あれから24年もの歳月が経過し、現在47歳となった彼は70kgを超えているであろうそのメタボ体型に驚きを隠せなかった。

90年代のダンスはもうできないであろう彼の動きがスローで、ステージ上だけ重力が強力なのかと思えたくらいだ(笑)。とはいえ、病み上がり(腰の手術後)のジェイ・ケイの声には、体重増のおかげなのか、声には厚みが増し、最高の歌声を2日間に渡り、披露してくれた。

 

もうひとつの変化は、ジャミロクワイの楽曲の歌詞にもあるような、テクノロジーの劇的な進化であり、彼を象徴するファッションのひとつでもある帽子が、発光ダイオードで光る開閉式の電子式のそれに進化していたことだ武道館の天井にミラーボールこそ無かったものの、武道館の会場内を、巨大なディスコに変え、ステージ上の巨大スクリーンに映し出される宇宙などの映像、そしてレイザービームによる光の束で観客席を盛り上げ、そこは「超空間」となり、我々観客をタイムスリップ体験へ、90年代を回顧させるファンクの旅」へと「超高速」で誘(いざな)ってくれたのだ。俺の90年代の甘い記憶を呼び覚ましてくれたのと同時に、その宇宙的な空間で、20数年間の記憶が走馬灯のように駆け巡ったのだ。そう、90年代に感じた未来の音も悪くないな、と。最高の世界だ!

 

最後になるが、ジェイ・ケイがアンコールで90年代のナンバーを2歌い上げた、秋の夜長のサタデー・ナイトは1950分頃に終演を迎えたが、武道館の外ではが降り続き、ライヴ会場外にも配されたスタッフたちは、暗い夜道の下、ベックの日本公演決定のチラシを配布していた。ひとつだけ言える確かなこと、それは俺も君もジェイ・ケイ同様、随分年齢(とし)を重ねたこと。そして彼は近い将来、また元気な姿で来日してくれるはずだ。

 

Dance, nothing left for me to do but dance,

Off these bad times I'm going through just dance

Got canned heat in my heals tonight baby

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もしも音楽が形を持ち、息をし始めたら、それはきっと、ジェイ・ケイになるだろう。ジェイは、生きる“音楽”そのものだ。彼を形づくる細胞のひとつひとつは、でできているに違いない。ジェイは本当に音楽を呼吸している。全身全霊で音楽を愛している。音楽が持つパワーを信じている。まじりっ気のない気持ちでそこに向かっていくジェイを見ているだけで、彼のお母さんがジャズ・シンガーであったことも、彼がお母さんのお腹にいた時から、彼の細胞のひとつひとつに音楽がしみこんでいったことも、生まれる前から彼のソウルの中に音楽が宿ったことも、そして彼が10年前でも10年後でもなく、この時代に生まれてきたことも、すべては起こるべくして起こったと思えるのだ。

—コンピレーションアルバム『JAY’S SELECTION』(1995)のライナーノーツより

 

 

夏の終わり

ラファエル・ナダル「全米V3

 

全米オープン』(828日~910日)は、31歳のスペイン人天才テニスプレーヤー<ラファエル・ナダル>のV3で幕を閉じ、2017年の夏が終わった。

 

同大会の決勝は、俺の予想通り、ナダルが優勝を決め、初夏に始まった『全仏オープン』(528日~611日)で、彼はV10の偉業を成し遂げている。ところで、東京の夏は、19778に記録した22日連続の雨に迫り、81日から続いたその記録は21日間も続いた。

そして9月に入ると、東京都心ではを知らせる恒例のイヴェント・・・『16回東京JAZZフェスティヴァル』(91日~3日)及び『VOGUE FASHION’S NIGHT OUT』(99日)がそれぞれ開催された。

 

のはじまり

ジャミロクワイ日本公演

 

ジャミロクワイの日本公演(525日)の突然の中止が発表されたのは、同公演の数日前の23日だったろうか。あれから3か月以上が経過し、今週末の15日(金)及び16日(土)に、ジャミロクワイがいよいよ武道館公演を行う。彼らのライヴには、もうかれこれ10回以上足を運んだが、近年の東京では「アシッド・ジャズ」の人気が再燃しており、日本のミュージシャン<Suchmos(サッチモ)>の登場などにより、東京における音楽の世界は或る意味、90年代に回帰し、「アシッド・ジャズよ、再び」というような雰囲気が漂っている。それゆえ、ジャミロクワイの今年の来日公演は、とりわけ意味があるように思えるのだ。要は、あの時代のファンにとっては、ある種の「確認」作業かもしれないが、ああいう時代もあったなぁ、と。

 

俺自身、ジャミロクワイの93年デビュー・アルバムの記憶が未だ鮮明に残っているが、当時はまだ、渋谷オンエア、渋谷クラブクアトロ、恵比寿ガーデンホール等々の小箱でライヴを行っていた彼らだが、90年代のアシッド・ジャズ・ムーヴメントの影響もあり、彼らは今からちょうど18年前となる「1999」に東京ドーム公演を行ったのだ。近年では、2012年のサマーソニックでの公演が記憶に新しい。という流れで、本日のブログは、ジャミロクワイ日本公演前に、(今年リリースされた新作『automaton』と2006年リリースのベスト盤『High Times: Singles 1992-2006』を除いた)過去7枚のアルバムを振り返ってみたい。

 

1993:『Emergency on Planet Earth

俺が大学生だった当時リリースされたジャミロクワイのデビュー・アルバム。アシッド・ジャズ・レーベルから92年にリリースされたシングル"When You Gonna Learn"をはじめ、ソニーからリリースされた同アルバム収録の"Blow Your Mind""Emergency on Planet Earth"等々、名曲揃いだ。

とりわけ、名曲"Too Young to Die"は、私的に思い入れのある曲だ。ジャミロクワイの初期メンバーの中心人物で、キーボード担当兼ハウスDJでもあった<トビー・スミス>(1970-2017)が今年411日に46歳の若さで亡くなったゆえ、私的には今週末のセットリストに入れてほしいナンバーなのだ。 

1994:『The Return of the Space Cowboy

デビュー・アルバムほどのインパクトはなく、最高には程遠い。J.ケイ独自の"Space Cowboy"のみ唯一5つ星評価で、トビー・スミスとの楽曲群も素晴らしいが、"The Kids""Stillness in Time"は私的なお気に入りだ。 

1996:『Travelling Without Moving

この3rdアルバムもまた、J.ケイとトビー・スミスの才能が交じり合ったそれだが、8枚のアルバム中、私的に1番のお気に入りなのだ。他にも、"Cosmic Girl"をはじめ、"Travelling Without Moving"等々、全体的に曲の完成度が高く、99年の東京ドーム公演を実現させた伏線となり得た1枚だろう。 

1999:『Synkronized

シングル曲"Canned Heat"は素晴らしく、"Supersonic"J.ケイらしさ炸裂だが、全体的にパッとしないアルバムなのは明白だ。なお、制作途中にベーシストのスチュアート・ゼンダーが脱退している。 

2001A Funk Odyssey

前作に比べると、このファンクの旅は、サウンド面で格段に良くなっており、新メンバーとして、ギタリストのロブ・ハリスが参加している。なお、トビー・スミスは同作品まで参加している。ジャミロクワイの全アルバム全楽曲中で、私的に最も気に入った楽曲"Little L"をはじめ、"Corner of the Earth""Feel So Good""Love Foolosophy""Deeper Underground"等々、トビー・スミスのセンスが光ったアルバムだ。 

2005:『Dynamite

過去リリースのアルバムは、1年もしくは2年のスパンで新作がリリースされた一方、本作は4年ぶりとなった6thアルバムだ。要は、ジャミロクワイにとって、トビー・スミス脱退後の初めてのアルバムとなったわけだが、☆を3つ以上つける曲がほとんど見つからず、日本盤のボーナストラックとして収録されている"Feels So Good" (Knee Deep Remix Edit)だけ☆4つとした。 付け加えるならば、前作『A Funk Odyssey』を200193日に英国でリリース後、プロモーションのため、ニューヨークを訪れていたJ.ケイは9.11の事件に遭遇するのだ。なお、同アルバムには9.11に影響を受けた意味深な曲"World That He Wants"も含まれている。したがって、この4年間という時間は、J.ケイの音楽を少しばかり変えたとも言えよう。参考までに、彼が宿泊していたNYの高級ホテルは「リーガ・ロイヤル・ホテル(現: The London NYC」だ。 

2010:『Rock Dust Light Star

前々作から9年、前作から5年もの時間を要した7thアルバムが、原点回帰したようなJ.ケイらしさが爆発したファンク色が強いそれであり、宇宙を意識したアルバムタイトル『岩石、塵、光、星』から何となくでも、その音楽性が想像できるはずだ。同アルバム2曲目"White Knuckle Ride"はグルーヴィーでジャミロクワイらしい最高のナンバーだろう。また、20105月に日本国内で放映された日清食品のCMで、1997年の曲"Virtual Insanity"が使用された。

 

 

以上、簡単に書いてみたが、2017年というこの時代に、90年代の東京で、渋谷系と形容されたJ-POP同様、一世を風靡したジャミロクワイの音楽を改めて、ここ東京で体感できるわけだが、ジャミロクワイは、最高に贅沢でグルーヴィーな<音楽の秋>を約束してくれるはずだ。

 

最後になるが、全米オープン期間中、ニューヨークではファッションウィークが開催され、トム・フォードのショーでは、デヴィッド・ボウイの名曲“Fame”が使用された。そしてこのタイミングでの、ジャミロクワイ日本公演は、俺を「90年代への旅」に誘(いざな)ってくれそうで、素敵だ。 

Can’t wait. DANCE!!

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ヴィクはワインを置きに奥のキッチンへ向かい、ぼくは音楽の流れている正面の部屋をのぞきこんだ。踊っている人たちがいた。ステラも入っていき、曲に合わせてひとりで体を揺らした。ぼくは彼をながめていた。ちょうどパンクが流行りだした頃だった。自分のレコードプレーヤーできくのは、アドヴァーツザ・ジャムストラングラーズセックス・ピストルズといったところ。よその家のパーティでは、ELO10ccロキシー・ミュージックなんかも耳にした。運がよければ、デヴィッド・ボウイも何曲かきけた。

 

パーティにきているの子はみんな、夕暮れどきの薄明りの中で、きれいにみえた。顔立ちも申し分なかったが、それ以上に、顔のパーツのバランスがちょっと悪かったり、どこかこっけいで人間くさいところがあったりして、美人だけど店のショーウィンドウのマネキンにはない魅力があった。ステラがいちばんきれいだったが、もちろん彼はヴィクのものになり、一緒に二階へいった。いつもの展開だ。

ニール・ゲイマン短編集『壊れやすいもの(原題: Fragile Things)』収録の

パーティでの子に話しかけるには”より

 

青春映画『サタデー・ナイト・フィーヴァー』(1977/米)公開から40年。

今年、サマー・ソニックの主役は、

80年代末の日本経済のバブル期に一世を風靡した、

英国の<リック・アストリー>その人だった。

 

前回のブログで、カルヴィン・ハリスの新作『FUNK WAV BOUNCES VOL. 1』を取り上げてから、早いもので1か月以上が経過した。周知のとおり、夏の音楽フェス「サマー・ソニック」が先週末、幕張(千葉)と大阪の両会場で開催され、千葉会場の1日目のヘッドライナーは<カルヴィン・ハリス>が、2日目のそれは<フー・ファイターズ>が務めたのだ。なお、同フェスでの両アーティスト等のライヴは、1014日(土)のWOWOWで放映される。

 

まず初日。フォーブス誌の「世界で最も稼ぐDJ」として5年連続首位を飾った<カルヴィン・ハリス>のセットは約1時間3分ほどでまとめられ、5枚目となる新作(2017年)からの披露は“Slide1曲のみで、全体的には自身の過去の代表曲のオンパレードで、他のアーティスト(フローレンス・ウェルチ、ドクター・ドレー、スヌープ・ドッグ、DJスネーク、ブルーノ・マーズ、トラヴィス・スコット、ベースメント・ジャックス等々)の曲も随所で取り入れるなど、新旧織り交ぜながらも、世界を代表するスーパースターDJらしさ」を前面に押し出したかのような、バランス感覚に長けた構成だったように思え、とても興味深かった。

 

1時間強という枠組の中で、1曲をフルタイムで流すことがないため、ほとんどの曲は1、2分だったろうか。ハウスミュージックの本質を知らない「にわかEDMファンや、サマソニのロックファンを、異論はさておき、煙に巻いた圧巻のステージだったとも言えよう(笑)。

 

全部は書かないが、ジジ・ハディドちゃんをMVに起用したHow Deep Is Your Love(2015年7月)をはじめ、当時の恋人<テイラー・スウィフト>が作詞で協力し、リアーナをフィーチャーさせたThis Is What You Came For(2016年4月)は勿論のこと、2009年にリリースしたセカンド・アルバム『Ready for the Weekend』の中から“Flashback”の1曲、

 

2012年にリリースした傑作サード・アルバム『18 months』の中から、最高に心地良い曲“Bounce”、エリー・ゴールディングをフィーチャーさせた“I Need Your Love”、“Feel So Close”、リアーナをフィーチャーさせたクラブ・アンセム“We Found Love”、フローレンス・ウェルチをフィーチャーさせた“Sweet Nothing”、“Thinking About You”の計6曲、

 

そして2014年にリリースした4thアルバム『Motion』の中から、私的なお気に入り曲“Blame”、“Outside”、カルヴィン・ハリスの定番“Summer”の計3曲がそれぞれ披露された。

 

したがって、デヴィッド・ボウイに影響を受けたカルヴィン・ハリスが、2007年にリリースしたデビュー・アルバム『I Created Disco』からの選曲は今回なかったわけだが、私的には“Acceptable in the 80s”(2006年)も聴いてみたかったし、

 

 

3rdアルバム『18 months』の中の私的なお気に入り曲“Drinking from the Bottle”(2013年)もミックスして欲しかったというのが本音だろうか、シャンパンがとてもよく似合うこの季節に。

とりわけ、ブラン・ド・ブランのシャンパン、そして冷えたシャブリはこの時期には欠かせないそれだ。

 続いて、2日目のヘッドライナーを務めたのは、ニルヴァーナのドラマー<デイヴ・グロール>が1995年に結成したアメリカのロックバンド<フー・ファイターズ>だ。そう、日本経済のバブルが崩壊した1991年にリリースされたニルヴァーナのセカンド・アルバム『ネヴァーマインド』は、ロック史上で無視できないそれであり、同バンドのヴォーカル<カート・コバーン>は、MTVのアンプラグドで、デヴィッド・ボウイの“The Man Who Sold The World(邦題:世界を売った男)”をカヴァーするなど、彼らはボウイから多大に影響を受けている。また、ボウイが★になってから、デイヴ・クロールがSNSをはじめ、音楽フェスなどで、ボウイを偲び、何度となく、トリビュートしたことを俺は今でも忘れていない

今回、フー・ファイターズはサマソニで、(1981年のクィーンとデヴィッド・ボウイのコラボ曲)“Under Pressure”をお披露目したまでは想定内の出来事だったわけだが、その後、同バンドのライヴにリック・アストリーが飛び入り参加するなど、伏線があったにせよ、それを誰が想像できただろうか?

 

そしてリック・アストリーは、80年代末に世界的に大ヒットした名曲“Never gonna give you up”を、『ネヴァーマインド』収録曲“Smells Like Teen Spirit”をイントロで使用したロックヴァージョンで歌い上げたのだ。これは、或る意味、(良い意味での)事件だろうね(笑)80年代のディスコでヘヴィロテされた曲を、フー・ファイターズの演奏で、ロックヴァージョンで披露するなんて、アメージングな演出であり、今年のサマソニの主役は、他でもない<リック・アストリー>その人だったことに気付かされたのだ。正に、デヴィッド・ボウイ・チルドレンによる世紀のコラボレーションだとも言えるが、リック・アストリーの80年代の音楽は、俺のバブル期の甘い記憶を呼び覚ましてくれたのは確かだろうなお、誤解のないように付け加えておくが、俺は70年代生まれゆえ、バブル世代(1986年から1991年に就職した世代)ではないので、あしからず。

 

パーティで女の子に話しかけるには

 

話は変わるが、英国を代表するSF作家<ニール・ゲイマン>をご存知だろうか? 同作家について、過去にブログで数回取り上げたが、興味がある方は、2013121() 付のブログ“Can't repeat the past?”(テーマ: 映画)、20141130()付のブログ“Tick tock, tick tock, tick tock”(テーマ: ファッション)をどうぞ。

 

今回、ブログ冒頭で、ニール・ゲイマンの短編集から一部抜粋して引用したが、その理由は、今年の121日(金)から日本でも劇場公開される映画『パーティで女の子に話しかけるには』の原作だからだ。しかも、監督を務めるのは、俺好みのミニシアター系の作品・・・2001年の『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』や、2006年の男の群像劇『ショートバス』で、若者の支持を集めた<ジョン・キャメロン・ミッチェル>その人であり、前者はブロードウェイでミュージカル化され、デヴィッド・ボウイがグラミー賞を欠席してまで観劇したというのは有名な話だろう。

 

映画『パーティで女の子に話しかけるには』のヒロイン役には<エル・ファニング>が起用されており、1977年のロンドンが舞台だ。彼女に関しては、今年日本でも劇場公開された映画『ネオン・デーモン』が記憶に新しい。最新作では、デヴィッド・ボウイの楽曲が使用されているのかが、私的には気になるところだが、映画『ドア・イン・ザ・フロア』(2004年/米)で子役(当時6歳)だったエル・ファニングちゃんがもう19歳ということに、時間の流れをとても強く感じる

 

色んな意味で、本作に過度な期待を寄せるつもりはないが、ニコール・キッドマンもキャスティングされる一方、謎の日本人女性<Hinako Matsumoto>の役どころも少しばかり気になるところか。

 

最後になるが、本日のブログのテーマは「デヴィッド・ボウイ」に決め、徒然と書き始めた。先述した作品は、ニール・ゲイマンの短編集のタイトルが示す「壊れもの」のような多感な時期の男を主役に据え、映画化させているため、ティーン向けのそれなのだろうが、それは大した問題ではない。そして、今から時代を40年遡り、1977年のロンドンをスクリーン上で体感し、デヴィッド・ボウイ20代を全速力で駆け抜け、グラム・ロックが生まれた、70年代というあのキラキラした時代を回顧するいい機会になるかもしれない。そう、リック・アストリーが先日、ディオールのプワゾンの危険な香りが漂っていた東京の、カラフルな80年代バブル期の甘い記憶を呼び覚ましてくれたように、ね。

 

Good night!

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進化するスーパースターDJカルヴィン・ハリス

 

1934年生まれのジョルジオ・アルマーニが、7月11日に83歳の誕生日を迎えたばかりだが、その50年後の1984年に生まれたのが、他でもない英国のスーパースターDJカルヴィン・ハリス>その人であり、現在はロサンジェルスの街を眼下に見下ろすウエスト・ハリウッドのプール付き大豪邸に住む33歳の天才音楽プロデューサーだ。 

 

彼のサクセス・ストーリーに関しては、2014年12月29日(日)付ブログ“EMPORIO ARMANI for Calvin Harris”(テーマ: 音楽)の中で詳細に綴ったので、興味がある方はどうぞ。周知のとおり、彼はジョルジオ・アルマーニのセカンドライン<エンポリオ・アルマーニ>の2015春夏キャンペーンの広告にも起用された。

 

 

カルヴィン・ハリスの新作<FUNK WAV BOUNCES VOL. 1

 

2013年(当時の年収約68億円)から4年連続で、米雑誌『Forbes』が選ぶ<世界で最も稼ぐDJ>ランキングで1位に輝いているカルヴィン・ハリスが、前作『Motion』(2014年)から3年ぶりとなる5枚目のアルバムを先月30日に、

フィジカルコピー(CD)及びデジタル配信で同時リリースしたのだ。

 

新作の特徴はいくつかあるが―、

 

まず1つ目。新作には、ジジ・ハディドちゃんをMVに起用した“How Deep Is Your Love”(2015年7月)も、当時の恋人<テイラー・スウィフト>が作詞で協力し、リアーナをフィーチャーさせた“This Is What You Came For”(2016年4月)も、そしてカルヴィン・ハリスが作詞作曲し、自ら歌い上げる“My Way”(2016年9月)も収録されておらず、別コンセプトのアルバムになっている点だ。

 

2つ目。前作までは、女性ヴォーカル(全部は書かないが、例えば、“We Found Love”でリアーナ、“I Need Your Love”でエリー・ゴールディング、“Sweet Nothing”でフローレンス・ウェルチ)をフィーチャーし、自らヴォーカルも担当するなど、リスナーの感情に訴えかけてくるような、洗練されたハウス・ミュージック一辺倒の作りであった一方、

 

新作では自ら歌うこともなく、主にアメリカの黒人ミュージシャン(HIP HOP/R&B)ばかりを起用したアメリカ市場を強く意識した、従来のディープなハウス・ミュージックとは一線を画す、(アルバムジャケットそのままの)夕暮れ時のビーチで聴きたくなるような、チルアウト系のトロピカルなハウス・ミュージック・サウンドに仕上がっている点だ。 

したがって、前作までのカルヴィン・ハリスの音楽を期待して、新作を手に取ると面食らってしまう音楽ファンも少なくないはずだ(笑)。新作のタイトル『FUNK WAV BOUNCES』に注目すると、<FUNK><WAV>BOUNCES>の3つに分かれるが、音やビーチの波を意味する単語は<WAVE>だが、同タイトルは<WAV>になっているように、同アルバムには、色んな意味で“Eが足りないサウンドに仕上がっているのは明白だろう。それが“Electonica”なのか、“Ecstasy”なのか、Edge”なのか、“Emotion(感情)”なのか、“Epoch”なのか、“Experiment”なのか、“Exploration”なのか、“Evolution”なのか、その解釈は人それぞれだろうが、唯一本作をうまく形容できるそれは“Enjoy(楽しい)”だけだろうか。

 

近年、異なる音楽ジャンル毎の化学反応が功を奏し、成功している。そして今回、カルヴィン・ハリスが新作に黒人ミュージシャンばかりを起用したわけだが、その20組の面々の名前を見て、時計の針が逆回転したような感覚に陥ったのは俺だけだろうか。この流れは、カルヴィン・ハリスと人気を二分するデヴィッド・ゲッタの近年(2009年及び2011年)のアルバム制作での起用にも似たそれだが、この2人は共にデヴィッド・ボウイに影響を受けている。

 

今回の起用でまず目に留まったのが、黒人ではないが、5曲目“Prayers Up”にフィーチャーされたカナダ人のA-トラック(35歳)だ。なぜなら、彼はカニエ・ウェストのツアーにも同行するなどしていたDJのひとりであり、俺のブログでは、今から11年前となる2006年4月6日付ブログ“Forever ever? Ever, ever? Ever, ever?”(テーマ: 音楽)で取り上げた人物だが、あの日は雨が降りしきる中、横浜BLITZまで足を運んだのだ、カニエ・ウェストの日本公演<Touch The Sky Tour 2006>のために。カニエ君は今ではすっかり過去の人となり、音楽家ではなく、ファッションの人と呼ばれるまでに落ちぶれた感は否めないが、あの当時の彼は正に時代の寵児だった。

 

付け加えるならば、同公演で紹介されたのが、今のアメリカを象徴する超売れっ子のファレル・ウィリアムスその人だ。1973年生まれで、現在44歳の彼は遅咲きのミュージシャンだとも言えるが、ダフト・パンクが2013年にリリースしたアルバム『Random Access Memories』でコラボし、彼は世界的に名が知れ渡るまでに至ったよね。彼を知らない人には、彼もカニエ同様、ファッションの人だと思っている人も少なくないかもしれない。

 

そして、今から24年前となる1993年に、アルバム『Doggystyle』でデビューを果たしたスヌープ・ドッグが懐かしい今日この頃でもあるが、当時俺は大学生だったが、同アルバム収録の“Who Am I? (What's My Name?)”は未だ鮮明に憶えている。1971年生まれのスヌープ・ドッグは現在45歳であり、ハリウッドのB級映画にもよく出演している。

 

要は、カルヴィン・ハリスが、このアメリカを代表するラッパーでもあるファレル・ウィリアムスとスヌープ・ドッグを新作に同時起用し、アルバムタイトルの<FUNK>からも想像できるように、今作はEDMとは距離を置いた、或る意味、抜け感のある、70年代及び80年代風を意識したような、チルアウト系トロピカル・サウンドを創り上げたのだ。自ら歌うことも作詞することもなく、作曲、プロデュースに専念しているのが特徴だ。

 

もう2つ補足するならば、以前のブログでもオススメした<フランク・オーシャン>(29歳)が同アルバムのオープニング曲“Slide”で、2曲目“Cash Out”にはケンドリック・ラマー率いるブラック・ヒッピーのメンバーのひとり<スクール・ボーイ・Q>(30歳)が、9曲目“Faking It”にはカニエ・ウェスト繋がりの<リル・ヨッティ>がそれぞれ起用されているのだ。

 

そして今回参加した女性陣に目を向けると、3曲目“Heatstroke(熱中症)”にはアリアナ・グランデ(24歳)が、7曲目“Skrt On Me(スカート・オン・ミー)”にはニッキー・ミナージュ(34歳)が、8曲目“Feels”にはケイティ・ペリー(32歳)がそれぞれフィーチャーされている。

 

歌詞に注目しても、意外と面白い。例えば、1曲目にはピカソの有名な絵画「パイプを持つ少年」に、ゴヤールのバッグ、2曲目にはフェラーリロレックス、3曲目にはアルマン・ド・ブリニャックのシャンパンイエローダイヤモンドポルシェエルメスのバーキン、4曲目にはグッチエミリオ・プッチメルセデスクリードの香水、7曲目にはエミリー・ブラントの名前も。

 
 

 

最後になるが、カルヴィン・ハリスの新作は“遊び”心に溢れた万人受けするオススメ作品だ。続編があるとも考えられるが、同作品は、収録曲名の“Holiday”や“Heatstroke”が象徴するように、中毒性のある心地良い向けのスイートレゲエ(例えば、キャロル・トンプソンの名曲“Free”)を私的にはイメージさせるアルバムゆえ、「熱中症にくれぐれも気を付けて、(昼間ではなく)夕暮れ時に聴いてほしい。Enjoy!」なのだと、俺は勝手に解釈している。今作は、“魔法”でも何でもなく、凡人には真似できないただの“遊び”であり、進化する彼がクリエイトする音楽の断片にすぎないとはいえ、次回作が今からとても楽しみだ。

 

Have a nice day!

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イタリアの現場では、仕事が終わったらその場でみんなでワインを飲んで家に帰っていきます。片や日本はまっすぐ家に帰る。どちらが面白い人生を歩んでいると言えるでしょうか? イタリア人は生まれた時から生活は楽しむものだと思っているのです

 

イタリアの経済は正直、破綻寸前と言ってもいいですが、ファッション、フード、インテリアなど、生活文化にまつわる企業は今も元気いっぱいです。イタリア人たちは生活を豊かに楽しむためにはお金を惜しみません。ですから国も会社も個人も、みんなお金を貯めず、すぐに使ってしまいます。一方、日本人は先行きに対する不安からお金を貯めこみます。企業は内部留保、個人は貯蓄に走ってお金を使いません。長い人生を考えた時に、はたしてどちらがよいでしょうか。考えてみるのも面白いと思います。

 

イタリア人の美に対するこだわり、そして誇りにはすごいものがあります。小さい頃からコロッセやパンテオンを見て、ミケランジェロが近くにある生活を送ってきた人たちだからでしょう。現場の職人たちもそうです。だから、私は彼らの仕事、誇りに対して敬意を払います。彼らは、できあがった建築に強い愛着を持っています。自分たちのつくっているものが美しいもの、そして生活のために役に立つと信じている。アルマーニの建物も、完成してから15年が経っていますが、今もきちんと手が入っていて、ピカピカですよ。

安藤忠雄(雑誌『GOETHE』2017年1月号より)

 

2018年夏メンズ・ミラノコレクション

 

ミラノ・ファッションウィークが、先月16日から20日まで開催され、全部は書かないが、

 

17日にエンポリオ・アルマーニ、18日にフェラガモ、モンクレール・ガムブルー、ディースクエアード、19日にジョルジオ・アルマーニ、フェンディのショーがそれぞれ行われた。

 

ショー以外のプレゼンテーションとして、17日にジミー・チュウ、ブルネロ・クチネリ、キートン、カナーリ、ジュゼッペ・ザノッティ、ラルフ・ローレン・パープルレーベル、18日にサントーニ、エトロ、トッズ等々。

 

私的に最も気になった同ファッションウィークのイヴェントが、現地時間17日夕方にアルマーニホテルのバーで行われたパーティだ。なぜなら、エンポリオ・アルマーニのショーにモデルとしてデビューを果たしたのが、俺のお気に入り元祖スーパーモデルのひとり<シンディ・クロフォード>の息子だったからだ。

この話題は、国内外のファッションニュースでもほとんど取り上げられていないが、あれからもう17年もの歳月が経過したのかと、私的には驚きと共に嬉しいニュースだった。

 

そして本日、7月1日(土)を迎えたが、早朝には、東京都心の上空は雲に覆われ、梅雨らしい鬱陶しい空模様が広がっており、小雨が降っていた。ここ10数年、朝のルーティンとなって久しいモーツァルトのクラシック音楽をBGMに選択し、日経新聞に目を通したが、同紙1面には「香港が英国から中国に返還され20年を迎えた」と。3面には「iPhone発売10年」、そして5面の「5月家計調査」・・・レジャーに関しては「支出増」である一方、衣料・外食に関しては「根強い低価格志向」で、消費はまだら模様だと形容されていた。 

とはいえ、先々月ブログで取り上げた銀座の巨大複合商業施設「銀座シックス」の売り上げは好調のようだ。消費における二極化現象とも言えるが、それはよいことではないのか。

 

ところで、岡田暁生著『恋愛哲学者モーツァルト』のまえがきは、<モーツァルトは「語る」ことが本当に難しい作曲家である>で始まるが、ファッションはとりわけ「語る」ことが比較的易しいそれだと俺は理解している。 

俺のファッション熱は、小学生の頃に目覚めたが、具体的なブランド名を挙げるならば、中学時代にコム・デ・ギャルソンの黒シャツに袖を通し、高校時代にラルフ・ローレンのボタンダウンシャツを愛用し、大学時代にはエンポリオ・アルマーニのジャケットを羽織り、就職活動にはラルフ・ローレンの真面目なネイビースーツで挑み、成人式にはジョルジオ・アルマーニのスーツを身に纏い、それ以降、俺のワードローブはほぼ100%が“MADE IN ITALY”のモノで溢れかえっており、地球上にこれ以上の製品は存在しないとも断言できるが、アルマーニに限らず、メンズファッションにおいて、イタリアを超えるような洗練されたファッションを創出する国は存在しないのが現実だろう。成熟したラグジュアリーブランドの市場でね。

 

付け加えると、俺自身、世界中の大都市を旅したが、最もお洒落な人がいるのは、他でもないイタリアだった。あの独特のお洒落の感覚は生れ育った環境のおかげなのかもしれない。ニューヨークやロンドン、パリにもお洒落で洗練された人はいたが、ミラノの伊達男たちのそれは特別だった。

 

「知識のあるえり抜きの人々」は「表示が控えめな製品、繊細でいて特徴的なスタイル、目立たない高級ブランド」を好むことがわかった。

―ハーバード・ビジネス・レビューのコラム「非顕示的消費に対抗する高級ブランド」より

 

             コラム<ダメリーマンが着ている「スーツ」3つの残念な特徴>         

 

そんな矢先、先日Yahoo!ニュースで目に留まったダイヤモンド・オンラインのコラム“ダメリーマンが着ている「スーツ」3つの残念な特徴”は、メンズファッションに無知な、結婚相談所の(60歳前後と思われる)おばちゃんが書いたそれであり、それについた怒り?のコメントが647件にも上り、その炎上ぶりが殺気に満ちていて面白かった(笑)。先述した日経朝刊の衣料に関する「低価格志向」はさておき、同コラムに対しての、俺の意見をまず述べたい。

 

彼女が書いたコラムはナンセンスだと前置きしておくが、スーツを購入する際・・・「サイズ感が大事」という部分は正しい一方、間違っているのは、「吊るし」のスーツに関しての知識の無さだろう。

 

普通体型であれば、ほとんどの男性は、百貨店をはじめ、セレクトショップ、量販店に並べられた既製服(プレタポルテ)のスーツは良かれ悪かれ似合うはずだ。極端な痩せ型や肥満型でなければ、ね。付け加えるならば、スポーツをやっていて、胸筋や肩回り、そして太ももが異常に発達した方々もまた、既製服の選択は厳しいかもしれない。したがって、彼女が例を挙げた「オーダーメイド」の某仕立て屋のスーツは4万円と異常に安いのが魅力的なのかもしれないが、普通体型の男性が「オーダーメイド」でスーツを仕立てる必要性など全くないのだ。安いオーダーメイドのスーツが一部の男性の間で流行しているようだけれど・・・。

 

安価なスーツを身に纏った成功例は、フランスの若き大統領マクロン氏の格安スーツだろう。参考までに、そのネイビースーツはフランスの「ジョナ シー(JONAS ET CIE」のもので、価格は340ユーロ(約4万1000円)だとWWD紙で紹介されている。付け加えるならば、彼のスタイルの特徴は、そのネイビースーツにナロータイを合わせている点であり、それゆえ、モダンな印象を与える一方で、大統領らしからぬカジュアルテイスト(粋がった印象を与えるかもしれない)のその遊び心がアンバランスゆえ、トゥーマッチなスーツスタイルだとも言えよう。

したがって、サルコジ元フランス大統領のプラダのネイビースーツにネイビータイのスタイルは退屈だった一方で、クラシックで普遍的なそれだったのかもしれない。

ブリオーニを身に纏った元気なベルルスコーニが懐かしい今日この頃だ。 

コラムに話を戻すが、この筆者はスーツをかっこよく着こなすルールのひとつとして、「サイズ感」にフォーカスし、「プレタポルテ(既製服)」ではなく、「安価なオーダーメイド」をお薦めしたまでは理解できるが、後半部分では、ニューヨークの弁護士事務所を舞台にしたアメリカドラマ「SUIT」の中で、エリート弁護士で高収入な主人公が身に纏っているトム・フォード(アメリカ)のスーツを、ビジネスマンにお薦めのスーツだと紹介しているのだ(俺のブログで、5、6年前に取り上げた同ドラマのそれだね)。

 

そして、同ブランドをはじめ、ブリオーニアルマーニラルフ・ローレン等々、4ブランドの名前を挙げ、「自分の目指す収入に合わせて、スーツを選んでみてください」と提案しているのだ。私見だが、ラルフ・ローレンのスーツはないと思うが、同ブランドの最高峰モデルの「パープルレーベル(イタリア製)」であれば、上質の生地に縫製も素晴らしく、1着50万円前後するため、先述した3ブランドと同価格帯になるとはいえ、この価格帯のスーツを日常的に何着も着回すビジネスマンの想定年収は3000万円以上だろうね。それに超高級な・・・シャツ、タイ、靴、バッグ、腕時計、クルマ、住居等々を合わせるとなれば、理想の年収は1億円か!?

 

そう、647件(RT時点)のコメントにも興味本位からすべて目を通したが、ヤフー!のコメント欄に書き込みするくらい、みな暇人なのだろうが、ラルフ・ローレンを除いて、他の3ブランドをすべて所有している人は皆無だと思われ、それぞれのスーツに袖も通したことがない人がブランドイメージや雑誌などで得た知識で書き込んだそれなのだろう。トム・フォードのスーツは悪くはないが、英国調スタイル(チェンジポケットが特徴)で、イタリアのブランドに置き換えると、エルメネジルド・ゼニアと同等(もっと詳しいことも書けるが、長くなるので今回省略する)であり、それ以下でもそれ以上でもない、ただそれだけ。したがって、トム・フォードのスーツが、ブリオーニやキートンのスーツ、ハンドメイドラインのアルマーニより、色んな意味で、上であることは100%ないことは、ファッションに精通している人であれば、容易に理解できるはずだ。

 

結論。この結婚相談所の筆者が書いたコラムは、俺が推測する限り、相談所に来店した男性客のスーツのサイズ感が合っておらず、サイズ感を合わせるため、安価なオーダーメイドの仕立て屋を提案したと思われる。また、プレタポルテのお薦めを4ブランド(すべてラグジュアリーブランド)紹介しているが、電車通勤するビジネスマンが着るそれでないことは明白であり、多くの男性から反感を買ったのだろう。メンズファッションに疎い、その昭和的感覚を除いても、ね。

 

なお、トム・フォード(ブリオーニ)のスーツに、アストン・マーティン(BMW)の組み合わせだと、映画『007』シリーズのジェームズ・ボンドの世界そのものだが、それが理想だとすれば、結婚は無理な話だが、同コラムの筆者はバツ3なんだよね(笑)。

 

白シャツ

 

メンズ・プレシャス最新号の「白シャツ」特集は、とても興味深かったが、すべて知っているブランドばかりで、シャンパン片手に、その歴史や蘊蓄に目を通すその時間はとても楽しかった。

全部は書かないが、スーツスタイルを格上げするドレスシャツ・・・シャルベをはじめ、フライオリアンルイジ・ボレッリバルバターンブル&アッサープラダエルメスの白シャツも取り上げられていたのは愛嬌だろう。

 

帝国ホテルが誇るランドリーの「白シャツを洗う工程」はとても貴重なそれだったし、白シャツの奥に潜むダンディズムの真髄はさておき、究極のシャツ生地<カルロ・リーヴァ」社の社長インタヴュー、ブリオーニのスーツが完成するまでの工程などなど、同雑誌は今回も俺の期待を裏切ることなく、俺のファッションへの想いを掻き立ててくれた。ブリオーニの1着60万円ほどするプレタポルテ(既製服)のスーツが完成するまでには、220工程、そして6000ものハンドステッチを要している、と。なお、同ブランドの工房では、約1000名の職人(うち75%が女性)が働いているそうだ。

 

KENZO

 

最後になるが、同誌に掲載された日本を代表するファッション・デザイナーのひとり<髙田賢三>氏のインタヴュー記事から、意外だった彼の一面を一部抜粋して紹介したい。

 

サンローランのミューズだったルル・ド・ラ・ファレーズとよく遊んでいました。朝4時とか5時まで踊り明かして。だから、イヴのパートナーのピエール・ベルジュが、僕がルルをサンローランから引き抜くじゃないかと警戒していたらしいです。それに、サンローランが、カールの恋人のジャックを好きになってしまって、クラブで彼を捜す姿も見かけましたね。イヴ・サンローラン時代のエディ・スリマンはよかった。クラシックなものを現代的に変える力がありました。ベルルッティも、今度ハイダー・アッカーマンがきたので面白くなるかもしれない。

―髙田賢三

 

 

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観客は油断しがちだけど、『トレインスポッティング』には驚くべき量の感情が込められているんだ。『T2 トレインスポッティング』は年月が経過したことで、もっと感情的なものになる。これは避けられないことだよ。前作は少年時代についての映画だった。若さの祝福だね。本作は大人になるということ、またいかに僕たちはそれに対処するのが下手か、についての映画だ。そして、子供がいるということや子供がいないということ、もしくは父親たちに失望させられる子供たちの物語だ。この映画はどれだけ彼らが変化したのか、そしてどれだけ変わっていないのかを描いている。

―ダニー・ボイル(監督)

 

戦後のある時期までは若者たちといえば、無軌道というイメージがすぐ浮かんできたほど、よかれあしかれ、エネルギーに満ちあふれたものでした。「アプレ・ゲール」、「太陽族」、「かみなり族」、そしてまた「全学連」が、それであります。その頃の若者たちの顔には、どことなく暗い翳りがあり、凶暴な目つきがあり、不敵なシニカルな唇がありました。べつに悲壮感をよしとするつもりはありませんが、わたしは、現在、それをなつかしく思い出します。よくテレビ・ドラマなんかに出てくる、すなおな、従順な、まじめな、いかにもおとなから気に入られ、「いい子、いい子。」と頭を撫でられるような優等生的な青年―そういう青年が、近ごろやたらにふえてきたことは、じつに嘆かわしい傾向だと思わないわけにはいきません。

 

わたしはいつも疑問に思うのですが、新時代のエネルギーに満ちあふれた若者が、そんなカビくさい「幸福論」なんぞに満足していられるのだろうか。そんな本を読んで、ますますお行儀のよい、ますます飼い馴らされた社会人になっていくのは、じつに嘆かわしいことではないだろうか。人生に目的がなければ、覚悟をきめて、自分でつくり出せばよいのです。欲望を満たそうとする努力こそ、人間が生きている以上避けて通ることのできない、人生の目標だともいえましょう。

―澁澤龍著『快楽主義の哲学』より

 

映画『トレインスポッティング』公開から21年、そして90年代

 

俺のお気に入り作家のひとり<アーヴィン・ウェルシュ>原作(1993年)の、ダニー・ボイル監督作『トレインスポッティング』が日本で公開されたのは、今から21年前となる1996年まで遡る。当時の俺は大学を卒業し、社会人となり、某金融機関に勤め、20代という青春を、そして人生の愉快の絶頂を愉しんでいた。

俺のファッションもまた、大学時代から愛用していた<エンポリオ・アルマーニ>から<ジョルジオ・アルマーニ>へとワンランクアップした時期だ。 

あの時代を振り返ると、(俺のお気に入り小説のひとつ『アメリカン・サイコ』がアメリカで刊行された)1991年に日本経済のバブルが弾け、

同年西麻布にオープンしたのが伝説のクラブ『イエロー』であり、芝浦に誕生したのが英国系ディスコ『ジュリアナ東京』だ。後者はナンパ箱と形容され、ボディコンシャスなドレスを身に纏ったワンレンの女の子たちが扇子片手にお立ち台で踊り狂い、社会現象とまでなったが、1994年に閉店。そして、ジュリアナ東京が閉店した1994年の末に六本木にオープンしたのが巨大ディスコ『ヴェルファーレ』だった。 

付け加えるならば、バブル絶頂期(1989年)に芝浦にオープンしたファッションピープル御用達となった伝説のクラブ『ゴールド』が1994年に、『ヴェルファーレ』が2007年元日に、スーパースターDJのパーティ箱として名を馳せた伝説のクラブ『イエロー』が2008年6月に、それぞれ閉店した。俺の頭の中の、東京のキラキラした夜のパノラマは、2008年に終焉を迎えているのだ。

 

ところで、90年代の東京は、アシッド・ジャズの全盛期でもあり、当時一世を風靡したのが他でもない英国の<ジャミロクワイ>であり、<インコグニート>であり、そして英国のクラブカルチャーを盛り上げた立役者のひとりが<アンダーワールド>だ。今年は、ジェイムス・ブレイク、ノラ・ジョーンズ、コールドプレイ、ヘレン・メリル、EDC JAPAN、ブリトニー・スピアーズ、スティング、マリア・シュナイダー等々のライヴに足を運んだが、とりわけ記憶に残っているのは、コールドプレイ(東京ドーム)とスティング(武道館)だ。

 

ジャミロクワイの日本公演(5月)は突如中止が発表された一方、先日足を運んだスティングの日本公演は、俺が1995年6月に足を運んだ今から22年前の武道館公演と比較して、(いい意味で)何も変わっていなかった。

 

スティングの日本公演セットリストは、新作アルバム収録曲などを除けば、“Synchronicity II”、“Englishman in New York”、“Fields of Gold”、“Shape of My Heart”、 Message in a Bottle”、“Walking on the Moon”、“She’s Too Good for Me”、“Roxanne”、“Every Breath You Take”、 そしてアンコールの最後に“Fragile”は22年前と同じだ。

 

今回、特筆すべきことは、スティングがデヴィッド・ボウイの名曲“Ashes to Ashes”を披露したことなのだが、ボウイの追悼として何か歌うだろうと期待していた矢先、その選曲はとても予想外で、俺のハートを鷲掴みにしたのだ。先述した22年前に同じ場所で耳にした10曲を、25年もの歳月が経った今年耳にしたわけだが、その変わらない、哀愁漂う、素晴らしく力強い歌声に感動を覚えたのは俺だけではないはずだ。

95年当時20代だった俺は現在40代となり、日本公演当時43歳だったスティングは現在65歳となった。デヴィッド・ボウイが未だ健在であれば70歳であり、そして今年は、ボウイと親交があったアンディ・ウォーホル(1928-1987)没後30年だ。

或る意味、音楽家はみな「ボウイ・チルドレン」であり、写真家はみな「ウォーホル・チルドレン」だとも形容できる。そう、人生を変えてくれたヒーローは、人それぞれなのだろうが、音楽は甘い記憶を呼び覚ましてくれるから素敵だ。

 

T2 トレインスポッティング

 

1996年11月に日本公開となったユアン・マクレガー主演作『トレインスポッティング』を渋谷スペイン坂上のミニシアター「シネマライズ」で劇場鑑賞してから、早いもので20年もの歳月が経過した。同劇場は、渋谷パルコの再開発に伴い、昨年閉館した。そして今年、同作品の20年後を描いた『T2 トレインスポッティング』(以下「T2」)を、渋谷西武に隣接した映画館「シネパレス」で劇場鑑賞した。両劇場は小規模で、2階席があるという意味合いにおいて、とても似通った映画館だともいえるが、同劇場で特筆すべきなのは、メンズデーが設けられている点であり、毎週木曜日、男性は1000円なのだ。日本はとても治安が良く、そして世界でも稀に見る女性優遇のサーヴィスが数多く設けられた国(こんな国は他にはない)の筆頭だが、同映画館のそれはとても珍しい。

 

本題に入るが、『T2』の感想について―。

 

英国社会の底辺に生きる、無学で、将来に希望もない、そんな若者たちが欲望の赴くまま、青春時代を過ごした結果、彼らのその20年後の未来はどうなっているのかを本作は描いているが、人間の生成はさまざまな可能性の枯渇の歴史であるとはいえ、彼らは何も変わっておらず、昔のままクズだったという話に帰結する(笑)。本作は、エリートの没落を描いた物語とは真逆であり、登場人物たちの会話の程度が低く、したがって単純で、中身がないため、観ていて正直疲れるのだ。劇中、知的な会話も、シャンパンも、高級車も、高級アパートメントも、そしてアルマーニの服も登場しない。彼らの現実は、ボロアパートに安酒、そしてドラッグ漬けの毎日なのだ。

 

このどうしようもなく救いようのない彼らの生き方は、ブログ冒頭で一部引用した澁澤龍快楽主義の哲学』とも異なるそれなのだが、アーヴィン・ウェルシュが描く世界はドラッグに走り、現実逃避するのが彼らの日常であり、それが彼らの唯一の楽しみであり、目的なのだ。ウェルシュの中編三本で構成された小説『エクスタシー』のあとがきには、彼について「16歳で学校を辞め、電機修理などの仕事を転々としながらロンドンに移り、ヘロインとパンクの日々を送る。その後、禁断症状との闘いの末にヤク中から抜け出し、不動産ディーラーの職に就き、結婚。」とあるように、トレインスポッティングで描かれた世界と似通っている。

 

そう、2013年11月18日()付ブログ“You're so fucking special!”(テーマ: 映画)で、アーヴィン・ウェルシュの小説『フィルス』を映画化させた同名タイトルの作品について感想を綴ったので、興味がある方はどうぞ。

 

映画『トレインスポッティング』も『T2』も、俺の趣味でないのは確かなのだが、劇中で使用された音楽を含め、総合的に判断した場合、俺好みのアシッド・ムーヴィーという結論に至るわけだが、ユアン・マクレガー演じるジャンキーは<デヴィッド・ボウイ>に憧れており、音楽にはボウイと親交が深い<イギー・ポップ>や<ルー・リード>の曲が使われ、その場面毎の使われ方が最高ゆえ、前作が公開された96年当時、世界中の若者たちの共感を得、世界的に大ヒットしたのだろう。が、どうしようもない懲りない連中を描き、最高の音楽を劇中に使用するという意味合いでは、近年高い評価を得ているのが、他でもないカナダの若き鬼才<グザヴィエ・ドラン>その人だろう。以前のブログでも書いたが、彼は劇中、デヴィッド・ボウイの楽曲を最高の場面で使用するのだ。過去のデヴィッド・リンチ作品やデヴィッド・フィンチャー作品のように、ね。

 

澁澤龍は、「人生に目的がなければ、覚悟をきめて、自分でつくり出せばよいのです。欲望を満たそうとする努力こそ、人間が生きている以上避けて通ることのできない、人生の目標だともいえましょう」と言ったが、それをできるのは天才といえる限られた人達であり、例えば、それは情熱を音楽に変えた<デヴィッド・ボウイ>であったりするのかもしれないが、アーヴィン・ウェルシュが描く世界に登場する人物にはそれは到底無理な話だ。

なお、ウェルシュは、両作品ともに端役で出演している。前作で女子高校生だった知的なダイアンは、クズの彼らとは対照的に、

彼女は現在弁護士としてまっとうに生きている。

 

彼らが置かれた環境が悪い、育った環境が悪いといえば、それまでなのだが、ダニー・ボイル監督が描いたそのサイテーな世界にも、ユアン・マクレガー演じるレントンを助けていたのは、彼の両親であり、それが救いのひとつでもあったのは明白であり、20年経った続編では彼の母親は他界している。こんなサイテーな息子を家族は見捨てず見守り続けたが、先述したグザヴィエ・ドランは家族の在り方に注目し、低予算ながらも、家族の物語を描き続け、最高の音楽を劇中で使用するといったカタチで、ヒット作を近年立て続けに世に送り出している。

 

最後になるが、全仏オープン準決勝のナダルの試合をTV観戦しながら、時計の針は6月9日(金)の26時を回ったが、ウェルシュの『エクスタシー』は、現代の不安と焦燥をテーマに構成されており、『懲りない』といった章の中の台詞が、私的にとりわけ印象に残っている。

 

君があいつを“しごくまっとう”に変えてくれるといいんだけどな。

 
 

 

Have a nice weekend!

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今日は見事な空だ。くつわも拍車も手綱もないが、葡萄酒という名の馬に乗って飛び立とう、夢のような神々しい天空へ。ひどい熱に浮かされた二人の天使になって、朝の澄んだ青空に、彼方の幻を追い求めよう。御しがたい風の翼の上で、軽やかなバランスをとり、ともに妄念を抱きつつ―。愛しい君よ、二人並んで空を漂い、休むこともなく、逃げて行こう、僕の夢の楽園へ。

―ボードレール著『悪の華』より

 

グレン・グールドの<ゴルトベルク変奏曲

 

ゴールデン・ウィーク後半を迎えた5月3日(水)、先日の会食で久々に耳にしたスーパーモデル<リリー・ドナルドソン>も30歳かと、ふと思い出した早朝。

ディプティック期間限定の香り『TOKYO』の檜の香りで満たされた、超高層階に位置する自宅マンションの窓を開けると、心地良い風がリビングへと吹き抜け、昨日同様、気持ち良い朝を迎えた。都心上空には無限に青空が広がっていた。

 

グレン・グールドが演奏したモーツァルトの音楽(ピアノ・ソナタ)を聴くのは、毎朝のルーティンになって久しいが、今朝はグールドの演奏で最も有名な、バッハの『ゴルトベルク変奏曲』をBGMに、日経新聞朝刊に目を通した。英国を代表する超高級車<アストン・マーティン>社の、CEOの的を射た発言「価格を下げて顧客層を広げる戦略には出ない。超富裕層の人口は中国を筆頭に年10%前後で増えている。彼らの消費は短期的な不況などに左右されず非常に底堅い」が目に留まった。

 

話を戻すが、グレン・グールド(1932-1982)を取り上げた文藝別冊の増補新版『ゴルトベルク 遺作録音30年』(2011年発行)に掲載された、『グレン・グールド論』の著者によるグールドと《ゴルトベルク変奏曲》の考察がとても興味深かったので、一部抜粋して紹介したい。

 

グレン・グールドの生涯とその音楽活動は、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》によくなぞらえられる。主題のアリアで始まり、各種の変奏を経て、ダ・カーポのアリアが回帰して終わるように、グールドは1955年録音の《ゴルトベルク》でデビューし、1981年に《ゴルトベルク》の再録音を終え、翌年急遽した。

 

ただし、《ゴルトベルク変奏曲》は「睡眠薬」ではない。これは今なお多くの人が誤解している点であり、グールドでさえ誤解していた。グールドはデビュー盤に自ら寄せたライナー・ノーツに書いている―「カイザーリンク伯爵がバッハに作品を依頼した話である。伯爵はザクセン宮廷に駐在するロシアの外交官で、おかかえの音楽家にヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクがいた。彼はバッハの最も優秀な弟子のひとりだったのだ。伯爵は頻繁に不眠に悩まされていたらしく、睡眠薬代わりにゴルトベルクが弾ける落ち着いた鍵盤曲を書くように頼んだのである。この治療法が成功したとすれば、私たちはこの鋭敏で小気味よい作品に施したゴルトベルク巨匠の正当性に疑念をはさまずにはいられない 

この逸話はフォルケルの『バッハ伝』(1802年)に由来するが、同書によれば、伯爵の求めたのは「眠れぬ夜を楽しく過ごせる穏やかで快活な音楽」だったのであって、直接の「睡眠薬」ではなかった。ライナー・ノーツの記述から判断する限り、グールドは逸話を誤解していたと同時に、《ゴルトベルク変奏曲》は本質的に「睡眠薬」になり得ない「鋭敏で小気味よい作品」であるという認識を演奏者の立場から得ていたことになる。だとすれば、彼の演奏のアグレッシヴな性格(スピード感やドライヴ感)には、睡眠薬であるという「事実」に逆らおうという意図が働いていた可能性すらあり得る。

 

グールドは総括する―「要するにこれは、始まりも終わりもない、真のクライマックスも真の解決もない音楽、ボードレールの恋人たちのように、“御しがたい風の翼に軽やかに乗った”音楽なのである。」そして「ここには直感による統合がある」と。

 

結局彼は、熱に浮かされた恋人たちの飛翔の危ういバランスの中に、“今=ここ”の瞬間に存在する芸術の法悦の境地と永遠性を読み取ったのであろう。ただバッハの書いた《ゴルトベルク変奏曲》そのものにこのイメージを押しつけるのはやや難がある。しかし少なくともグールドのデビュー盤にならば、この比喩はふさわしいと思う。いたずらなつむじ風のように私たちの心を駆け抜けたあの演奏にならば。

 

ラファエル・ナダル復活

 

ところで、エンポリオ・アルマーニ・アンダーウエアの2011年夏キャンペーンに起用されたスポーツ選手が誰だったのか憶えているだろうか?

 

そう、他でもない、今年完全復活を果たしたスペイン人プロテニス選手<ラファエル・ナダル>その人だ。2010年のナダルは、「全仏オープン」「ウィンブルドン選手権」「全米オープン」で優勝し、ロジャー・フェデラーから世界ランク1位の座を奪い取るなど、若き天才テニスプレイヤーの時代の到来を告げ、それを世界中のテニスファンに強烈に印象付けた1年だった。

 

ナダルがアルマーニの広告に起用された当時はまだ24歳で、現在は30歳となり、来月3日に31歳の誕生日を迎える。そして今年は、マイアミ・オープン決勝でフェデラーに敗れはしたものの、モンテカルロ大会に続き、

バルセロナ・オープンでも優勝を果たすなど、ナダルの復活劇は、私的には嬉しい限りであり、彼が出場する試合月は今後も眠れない夜になりそうだ。

なお、エンポリオ・アルマーニのアンダーウエア広告キャンペーンには、過去にデヴィッド・ベッカムクリスティアーノ・ロナウドも起用されるなど、スポーツ界を代表する華のある男が抜擢されているのが特徴なのだ。ナダルには、今後益々の活躍を期待したい。まだまだ老け込む年齢ではないはずだ。

 

銀座丁目の大型複合商業施設

GINZA SIX(銀座シックス)>

 

もうかれこれ3、4年になるだろうか。銀座の再開発に関しては、過去度々ブログで取り上げてきたが、銀座5丁目に位置する「東急プラザ銀座」(2016年3月開業)と「銀座プレイス」(同年9月開業/主なテナントは、日産自動車のショールーム及びソニーのショールーム)に続き、先月20日(木)、同6丁目に大型複合商業施設「銀座シックス」が開業した。

 

なお、森ビルの発表によれば、オープン初日となった先月20日の来館者数は約9万人に上り、年間来館者を2000万人、年商600億円を目標としているようだ。

平日の木曜日にも関わらず、東京ドーム満員(野球開催)時の2回分だとも言える、驚きの9万人の来館は、正に春のフィーヴァーとも形容でき、日本が世界に誇る高級ファッションストリート<GINZA>にふさわしい盛り上がりを連日見せている。

 

付け加えると、銀座の再開発に関しては、例えば、2014年3月17日(月)付ブログ“Ginza meets Luxury

2015年9月14日(月)付ブログ“Bubble Againの中でそれぞれ詳細に触れたので、興味がある方はどうぞ。

 

とりわけ、銀座6丁目の再開発に関しては、2014年4月18日(金)付ブログ“Life At Its Best”(テーマ: ファッション)の中で取り上げ、ブログ冒頭では、ダン・アリエリーの著書から引用するなど、興味がある方はどうぞ。あれから早3年、同再開発は「銀座シックス」として生まれ変わったわけだが、俺自身、先週の平日に2度ほど足を運んだ感想をツイートしたので、それをいくつかここに張り付けておきたい。

なお、同施設のコンセプトは、3年前のブログでも書いたように「Life At Its Best 最高に満たされた暮らし」だ。

 

ブライト・ライツ・ビッグ・シティ

 

最後になるが、俺のお気に入り小説のひとつ『ブライト・ライツ・ビッグ・シティ』より、季節と場所こそ違えど、銀座の歩行者天国をイメージさせる一節を一部抜粋して紹介したい。

 

空は青く、そして眩しい。勿体ないほどのいい天気だった。運よく、今日はサングラスも忘れてはいない。昼飯時のパーク街は人の波で溢れそうだ。脅えた表情でじっと見つめている者がいないか、きみは辺りをぐるりと見回す。だが、きみに注意を払う人間など一人もいない。街角では、肥った男がヤンキースの野球帽をかぶって、手押し車に積んだプレッツェルを売り、毛皮のコートを羽織った女は右腕を真っ直ぐ立て、魔法でタクシーを呼び出そうとしている。バスが轟音と共に通り過ぎていく。何年ぶりかでプールに飛び込む時のように、きみはためらいがちに歩行者の波に入り込んでいった。

―ジェイ・マキナニー著『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』(1984年/米)より

 

Have a beautiful day!

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子どもを持とうと真剣に考えたことはなかったし、そのことへのロマンティックな憧れもなかった。エヴァ・メンデスの妊娠は計画したわけじゃなく、自然な流れだった。子どもを持てば人生が変わるよ、なんていうのは古臭い言い草だと思っていたけれど、でも、本当にその通りのことが起こっている。エヴァは理想の母親だし、娘たちも素晴らしい。子どもを見るたびに『立派な両親にならなくては』と思うし、人生の優先順位もおのずと変わってきた。

―ライアン・ゴズリング(雑誌『GQ JAPAN』5月号のインタヴューより)

 

ライアン・ゴズリングとエヴァ・メンデス

 

 

2004年末にブログを気まぐれに始めてから、今年で早13年目になるが、俺自身、2007年2月に結婚し、翌3月末を最後に、1年間ブログを休止した一方、その翌年にはブログを再開し、現在に至っている。

俺自身、今年が結婚10周年というアニヴァーサリーな年なのかどうかはさておき、先月は1度もブログを更新することなく、4月を迎えた。

ところで、2002年4月にブリトニーズ・スピアーズちゃん(当時20歳)が東京ドームで初来日公演を行い、俺も足を運んだわけだが、あの当時の面影は消えたわけではないが、そんなアメリカのスーパーアイドルは現在35歳(1981年生まれ)となり、2児の母親となった。そしてブリちゃんの15年ぶりとなるジャパンツアー(6月3日・4日/国立代々木競技場第一体育館、6月6日/大阪城ホール)が決定した。

ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙の3月28日付コラム「ロックの神々の黄昏、その先にあるものは 膨大な売り上げを誇った創生期の「メガスター」たちが相次いで死去、業界の未来は」はとても興味深い内容のそれだった。以下、一部抜粋して紹介したい。

 

米調査会社ニールセンによれば、1991年から現在まで最も多くアルバムを売った上位25組のうち、現在40歳以下なのはブリトニー・スピアーズただ1人だ。一方で25組中19組が50歳以上だという。またWSJが業界誌ポールスターのデータを分析したところ、コンサートの興行収入が最も多かったアーティスト上位100組は、2016年に合計で45億ドル(約4960億円)の売り上げを記録していた。だがこの金額の半分は、50歳以上のアーティストが稼ぎ出したものだ。

 

ロックの終焉の話はさておき、3月下旬、都心の大型書店に立ち寄った際、1980年にカナダで生まれたハリウッドスター<ライアン・ゴズリング>君が表紙を飾った、米コンデナスト社の雑誌『GQ』日本版が目に留まり、同誌を久々に手に取った。その写真は、海外版『GQ』誌の中で昨年すでに目にしたラルフ・ローレンの衣装を身に纏ったライアン・ゴズリングだったのだ。俺にとっては、正にデジャヴだ。

 

ブログ冒頭、同誌のインタヴュー記事から一部抜粋したが、ライアン・ゴズリングの出演作を初めて見たのは、もうかれこれ12年前の2005年頃まで遡るが、それは彼がレイチェル・マクアダムスちゃんと共演した映画『きみに読む物語』(2004年・米)だ。

 

同作品の感想は省くが、ライアン・ゴズリング出演作で、私的に最も記憶に残っているのは寧ろ、マーク・フォースター監督作『ステイ』(2005年・米)だろうか。ユアン・マクレガーが主演を務め、ナオミ・ワッツとも共演を果たした作品なのだが、当時ロン毛のライアン・ゴズリングの身体(からだ)の線が異常に細かったことを鮮明に記憶しており、そして劇中で、トム・ブラウン(今でこそ有名なファッションデザイナーのひとりだが、公開当時では、日本人のほとんどの人は彼の存在を知らなかったはずだ)のスーツが登場するなど、同作品は色んな意味で、当時俺に強烈な印象を残したものだ。デヴィッド・ボウイと、ニューヨークの新星<トム・ブラウン>との出会いもちょうどその頃だろうか。

 

また、2012年4月23日(月)付ブログ“Oh My Love”(テーマ: 映画)では、ライアン・ゴズリング主演作『ドライヴ』に関して、「2011年の第64回カンヌ国際映画祭で、監督賞を受賞したデンマーク人<ニコラス・ウィンディング・レフン>監督作『ドライヴ 』の鑑賞に、劇場まで足を運んだのは、都心で桜が満開の4月上旬頃だった」と当時のブログで綴った。そして今年1月、六本木ヒルズで劇場鑑賞した同監督最新作『ネオン・デーモン』の劇中、エル・ファニングちゃんが身に纏っていた華やかなブルーのドレスはエンポリオ・アルマーニだった。

 

そう、2005年5月のブログでは、1970年にマイアミで生まれたハリウッド女優<エヴァ・メンデス>がウィル・スミスと共演した恋愛映画『最後の恋のはじめ方』(2005年・米)について取り上げたが、エヴァは当時31歳で、現在43歳だ。付け加えるならば、2005年頃にライアンが交際していた、1978年にカナダで生まれたハリウッド女優<レイチェル・マクアダムス>は現在38歳となり、俺も彼女達同様、1970年代生まれの世代なのだが、お互い歳(とし)を重ねたなぁ、と。

 

一方、ライアン・ゴズリング君の恋愛遍歴に興味はないと前置きしておくが、彼はジェイク・ギレンホール君同様、ここ10数年の間で、私的に最も注目していたハリウッドスターのひとりであり、偶然にも、ふたりとも1980年生まれゆえ、今年で37歳なのだが、若手俳優の中ではハリウッドで最も成功した俳優だろう。

今年1月にライアン・ゴズリングと共に来日を果たしたデイミアン・チャゼル監督は、映画『ラ・ラ・ランド』に関して、記者会見の席で「叶う夢もあるが、叶わない夢もある。究極のテーマは、夢を追いかけるということだよ。星に向かって手を伸ばし続けるのは、それ自体が美しいことなんだ」と名言を残したが、先述した2人の俳優は「ラ・ラ・ランド」な世界で夢を叶えたのは確かだろう。

 

そして来週4月8日(土)、ユアン・マクレガーふたたび登場する、1996年に日本でも劇場公開された青春映画『トレインスポッティング』の続編『T2 トレインスポッティング』がいよいよ日本公開だ。また今秋、10月27日(金)には、ライアン・ゴズリングハリソン・フォードが競演した映画『ブレードランナー2049』も公開を控えている。

来月5日(金)から『カフェ・ソサエティ』、12日(金)から『パーソナル・ショッパー』、6月には『フィフティ・シェイズ・ダーカー』、

そして現時点で公開月は未定だが、トム・フォード監督最新作『Nocturnal Animals(原題)』も待機している。なお、同監督最新作に関しては、2015年6月25日(木)付ブログ“Love is”(テーマ: 映画)の中で取り上げたので、興味がある方はどうぞ。

もう1作品、日本公開は未定だが、シャーリーズ・セロン主演作『アトミック・ブロンド』も期待大だ!

 

アルマーニ再編

 

 

ところで、本日のブログのテーマは「ファッション」に決めたが、WWD紙(3月6日号)の「2017-18年秋冬 ミラノ速報」特集号について―。

 

同号では、「LVMHの投資会社<L Catterton Asia(Lカタートン)>が日本に本格進出」「エルメスの妥協なきモノ作り」「2017‐2018秋冬ニューヨークコレクションにおける突然のエレガンス回帰、背景にはアイツの影!? トレンド素材はべルべット&べロア」「ラ・ぺルラが描くブリティッシュガーデン」などなど、久々に面白い話題が揃っていた。付け加えるならば、マイケル・コースのインタヴュー記事も面白かったので、一部抜粋して紹介したい。

今年、正月を京都で過ごした時、若い女性たちがキャメルのコートに黒いインナーを合わせていたのが魅力的だった。そこから着想し、今季のファーストルックを飾ったエディ・キャンベルにはキャメルのコートにブラックシャツを合わせた。

―マイケル・コース

そしてもうひとつ、俺のお気に入りの都市<ニューヨーク>と<ファッション>の関連性について、湯山玲子の著書『クラブカルチャー!』には以下のように説明されているので、一部抜粋して紹介したい。

 

ニューヨークの住人は自分が社会のどの「センス」に属するのかを、まずファッションで示し、口で伝え、他人にコミュニケートする努力を一瞬も欠かすことがない。周囲への目配りこそが彼らの自己主張であり、その気構えや、人に弱みを見せない冷静なありようが、「クール」という、彼らの会話にハンパではない頻度で発せられる単語に集約されている。

―湯山玲子

昨年秋から今冬における俺のファッションは、ジョルジオ・アルマーニのカシミア混のキャメルジャケットに、ロロ・ピアーナのグレーやブラックのカシミア製タートルネックを合わせたり、ジョルジオ・アルマーニのブラックシャツに、ジョルジオ・アルマーニのグレーのカシミアコートを羽織ったりと、いつもと変わらずのスタイルだった。それゆえ、先述したマイケル・コースの意見には共感を覚えたわけだが、以前にも書いたと思うが、彼はワインではなく白ワインを好むように、彼の趣味嗜好や考え方は俺ととてもよく似通っている部分があり、また彼が創造するその「普遍的な洗練美」は、正に俺の好むスタイルそのものなのだ。彼はその外見とは異なり、とてもクールな人物であり、とりわけ彼のインタヴューでの発言は面白い。

前置きが長くなってしまったが、同号で私的に最も驚きだったのが、「アルマーニ再編」のニュースなのだ。何かと言うと、ジョルジオ・アルマーニ・ブランドは現在、

ハリウッドセレブや欧米社交界向け!?のオートクチュールライン<アルマーニ・プリヴェ>(ドレスが数百万円~数千万円)をはじめ、

ファーストライン<ジョルジオ・アルマーニ>(既成スーツが40万円台~/写真上)、

セカンドライン<エンポリオ・アルマーニ>(既成スーツが20万円台~/写真上)、

ディフュージョンライン<アルマーニ・コレツィオーニ>(既成スーツが20万円前後/写真上)、カジュアルライン<アルマーニ・ジーンズ>、エンポリオ・アルマーニのスポーツライン<EA7>、そしてアルマーニ版ファストファッション<アルマーニ・エクスチェンジ>などなど、複数ものブランドを展開しているが、アルマーニの熱心なファンならともかく、ファッションに疎い(興味がない)一般の方々には先述したブランドの違いが分からないのが現状だろう。価格の違いは、素材であるとか、イタリア製なのかインポートなのか、そしてマシーンメイドなのかハンドメイドなのか等々、チェック項目は多岐にわたるが、10代の頃から20数年も飽きることなく、毎シーズンチェックしていると、その違いが歴然と分かるわけだが、トレンドだとか、そのビミョウな違いを楽しむのが、ファッションの醍醐味のひとつなのかもしれない。まずは実際、袖を通してみないと、ね。

 

で、アルマーニブランドはどうなるのか? <アルマーニ・コレツィオーニ>(世界に754店舗)と<アルマーニ・ジーンズ>(世界に880店舗)が「2017-2018秋冬」で終了し、その両ラインが<エンポリオ・アルマーニ>(世界に338店舗)に1本化されることが決定。要は、今後(来年以降)、先述した両ラインの店舗はなくなり、両ラインの流れを組むアイテムはすべてエンポリオ・アルマーニに統合されるということを意味する。したがって、アルマーニ帝国のブランドは再編され、(一般人にはほとんど関係のない)「オートクチュールライン」をはじめ、超高級価格帯の「ジョルジオ・アルマーニ(ファーストライン)」、そして高級価格帯の「エンポリオ・アルマーニ(セカンドライン)」の2つのハイブランドを中心に今後展開されるようだ。また、先述したハイブランドとは対照的に若者向けの超低価格帯のファストファッション「アルマーニ・エクスチェンジ」(世界に238店舗)も引き続き、世界展開される。大まかに分類すると、3ブランドだろう。

 

デニム

 

 

ところで、『GQ』5月号の43頁に、春のデニム事情として、<トレンドキーワードを抑えたい。この春は「ブリーチ」「スキニー」「カラー」の3本柱>だと紹介されていた。デニムは学生時代を除けば、今の年齢まで履いたことが一度もなかったが、ジョルジオ・アルマーニトム・フォードディオール・オムサンローランディースクエアード等々、色々試着した挙句、先述した中からホワイトジーンズを今年海外で2着購入した。ジーンズはここ20数年間、スルーしてきたアイテムだったゆえ、価格推移が正直全く分からないのだが、ジーンズ1着が当時10万円前後もしたのか甚だ疑問である一方、都心でいただけるグラスシャンパン1杯の価格推移に限れば、日常的にいただいているゆえ、誰よりも詳しいつもりだ。洗練されたファッション然り、美味しいシャンパン然り、それらは人生に豊かさをもたらし、人々をとても幸せな気分にさせてくれるから素敵だ。

 

価格の話題でふと思い出したのだが、先日、雑誌『ワイナート』で「モンラッシェ」が特集された2008年11月号を読み返した際、最後の頁の「価格論とは幸福論なのか?」と題したコラムが、先述したジーンズのそれと少しばかり重なったので、一部抜粋して紹介したい。

 

価格とは心理学なのだ。「幸福感」の対価たる「金額」に「お値打ち感」を感じうるなら、お店はお客に二重の「幸福感」を提供しうるのだ。ところがこのところ、高級ワインの暴騰や、価格戦略を巡る飲食企業の迷走を見るにつけ、天を仰ぎたい気分になる。

 

「そこにはあるのかい?」

 

価格論とはあるいは幸福論か。幸福をゆがめる罪は重い。

―コラム「ワイン・エコノミクス講座」より

俺自身、ファッションのスタイルは、学生時代も今もほとんど変わらないが、ラッキー・ブルー・スミスくん(写真: 上)が身に纏っているような、シャツ(9割はアルマーニ、その他はトム・フォードグッチドルチェ&ガッバーナバルバ他)にパンツを組み合わせるのがほとんどで、それにジャケット(9割はアルマーニ)を羽織るスタイルが定番となって久しいが、俺は胸元のボタンは3つも4つも外さないよ(笑)。秋冬だとカシミアやフランネル、ヴェルヴェット素材のジャケットにシャツまたはニット、春夏だと麻素材のジャケットにVネックニットやVネックTシャツ、そして麻のシャツなどを組み合わせるのが俺の永年のスタイルだ。若い頃と何が違うのかといえば、ブランドの流行などはどうでもよくて、各ブランド毎の上質な素材に関して、こだわりがいっそう強くなったような気がしてならない。敢えて書くなら、ブランドの諸事情はさておき、俺自身、トム・フォードブルネロ・クチネリのアパレル製品の価格設定は2割ほど高い(他にもたくさんある 笑)と感じている一方、グッチルイ・ヴィトンの革製品の価格帯はとても適正だと感心している今日この頃だ。後者の製品には「お値打ち感」を感じ得るとも言えよう。

例えば、足元がスキニーなホワイトデニムであれば、ジミー・チュウクリスチャン・ルブタンジュゼッペ・ザノッティサンローラン等々のハイカットレザースニーカー(黒)を合わせるのが今の気分なのか、それともベルルッティコルテなどの超高級紳士靴のローファーを合わせるのがオトナの粋なのか、それは好みの問題だろう。そう、学生時代や20代前半の若かりし頃は、海外で毎年購入したフェラガモグッチのローファーにデニムをよく組み合わせたものだが、グッチ時代のトム・フォードのスタイルを振り返ると、あの時代のそれがとても懐かしい今日この頃だ。

 

マイアミ・オープン

 

 

話は変わるが、今年のマイアミ・オープンは、自己主張が強いイタリアンブランド<ハイドロゲン>を身に纏った伊達男<ファビオ・フォニーニ>君のプレーが私的に記憶に残った一方、

錦織くんは残念な結果に終わったが、

毎年この時期には、超高級ヘッドフォンを耳に装着し、同大会をラナ・デル・レイ(またはジャック・ジョンソン)の音楽を大音量で流しながら、早朝テレビ観戦&ツイートしている。

したがって、まだまだ寒い東京のこの時期に、意識だけマイアミにトリップしたような、近年のこのスタイルに不思議と快感を覚えているのだ(笑)。

最後になるが、先日、ファッションピープルの女の子たちとゴッセのシャンパン片手に会食しながら、俺が<アレッサンドロ・デラクア>と<アレッサンドロ・サルトリ>について話していた際、何か話が嚙み合わないなぁと思っていたら、ある若い女の子が頭の中で思い描いていたファッションデザイナーが<アレッサンドラ・ファッキネッティ>その人だったというオチ。

とはいえ、俺がベルルッティの新作靴とブリオーニの春夏ジャケットの魅力ついて話していた矢先のそれだったのだが、ファッキネッティというその懐かしい名前を耳にした瞬間、トム・フォードがディレクションしていたセクシーだった頃のグッチ・ファッションと、その当時の甘い記憶を呼び覚ましてくれた、あの忘れかけていた記憶を、ね。

結論、いくつになってもファッション選びは楽しくて、その日のファッションのスタイルで気分が変わるのも確かだし、自己満足だとはいえ、これからも幸せな気持ちにしてくれる素敵なファッションを身に纏いたい。なぜなら、人生は短いから。

 

そして今、時計の針は、4月1日(土)の26時25分を回った。

 

 

 

Spring goes sexy.

Have a nice weekend!

 

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