Love for Real? | In The Groove

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1月12日(日本時間の13日)に、カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島(カリブ海で2番目に大きい島)のハイチ共和国で大地震が発生してから、
2週間が経過した。首都のあるポルトーフランスは壊滅状態に陥っているようなのだが、先進国を中心に金銭支援や救助活動が引き続き行われている。

先進7カ国の金銭支援の額は以下のとおりだ。

アメリカ…1億ドル
日本…7,000万7,500万ドル
イギリス…1,000万ドル
ドイツ…220万ドル

フランス…3,114万ドル
イタリア…70万ドル
カナダ…485万ドル

参考までに、新興国でBRICsと呼ばれる国々からの金銭支援の額はといえば、
ブラジル…1,000万ドル
ロシア…?
インド…500万ドル
中国…100万ドル

セレブリティによる金銭支援者を数名取り上げてみると、
ジョージ・クルーニー…5,800万ドル
(内訳:個人100万ドル、チャリティ5,700万ドル)
タイガー・ウッズ…300万ドル
レオナルド・ディカプリオ…100万ドル
ジゼル・ブンチェン(ディカプリオの元カノ)…150万ドル
ブラッド・ピット夫妻…100万ドル
ジェニファー・アニストン(ブラピの元妻)…50万ドル
マドンナ…25万ドル

金銭支援の額を見ていると、日本はアメリカに次いで2番目に大きい支援国であるのだが、個人による多額の支援者は見当たらない。日本は、国民の100人に1人の割合で、個人資産1億円以上を有している富裕層大国(世界2位)であるにも関わらず、個人による慈善活動に関しては後進国であることは否めないのだ。「認知度」向上のために、日本一の資産家(個人資産6,000億円)であるユニクロの柳井氏もポケットマネーで100億円ほど寄付すれば、世界の慈善活動家のひとりに仲間入りできるだろうし、中国やバングラデシュで作った(原価が数百円の)安価なユニクロの服は、街で着るよりも被災地で着るほうが適している商品だと思うのだが。

本日のブログで、「ハイチ地震」を取り上げた理由は、多様化する慈善の形として、金銭支援とは違った形で、ジョン・トラヴォルタ写真:上)が自家用ジェット機を自ら操縦して、現地に自ら救援物資を届けたという行動力に感服したから。

*このブログは、基本的には「政治経済」のネタは取り上げないようにしているのだ。あくまでも、ファッション(モード)、音楽、映画、グルメ、旅行、シャンパン、アート、デザインなどの分野に話題を絞って、独自の感性で“クール”を探究しているのだが…。

不透明な寄付金の行方が分からないのであれば、トラヴォルタのように、自家用ジェットで支援物資を確実に届けることは、ひとつの賢い方法だと思う。久々に、彼に関する話題をニュースで知ったわけだが、“セレブリティ”とは、本来こういった人たちを指す言葉じゃないのかなぁ、と。正に、彼は“ハリウッド・クール”を地で行く、“本物”なんだと思う。アメリカという国は、ある意味、他のどんな国よりもクールに映ることがたびたびあるのだが、私的には好きな国のひとつだ。

アメブロには数千名!?の有名人!?がブログを開設しているようだけれど、国内のマスコミの間では、なぜか?彼らの一部を“セレブ”と呼ぶようなことがある。私的には、彼らを“セレブ”だなんて思ったことは一度もないのだが、頭の悪い人には“本物”と“”の区別がつかないものなのだろうか、と。そもそも“セレブ”が、1日に何度もアホみたいな内容のブログを更新するものなのか、疑問だ(笑)。

アメブロの中には、個人資産100億円ほど有していると思われる人物が数名いるようなのだが、その数名を除けば、驚くようなことは何一つないのだ。私的には、都内のどこかしらの事務所に所属しているくらいの人なんだなぁ、としか考えていない。地方の人の目には、ブラウン管を通して、彼らがんちゃってセレブ”に映っているのかも知れないが、それは幻想にすぎないのだ。スーパーセレブと称している胡散臭いオバさんもいるようなのだが、アホすぎて笑うしかない、よね。

ところで、5年前に“JOHN TRAVOLTAという生き方”といったタイトルで、ブログを更新したことがあり、その中で取り上げたインタヴュー記事を、今回改めて紹介してみたい。


この地球上で、最も悩みのなさそうな男、それはジョン・トラボルタではないだろうか。食べることが大好きで、演技を心から楽しみ、その気になればプライベート・ジェット機の操縦棹を握って大西洋をひとっ飛び、パリでもロンドンでも好きなところへ行ける。あらゆる面で大物と呼ぶのにふさわしいのに、面と向えばきわめて礼儀正しく、微笑みを絶やさない。この2月に51歳になったトラボルタは人生を心ゆくまで楽しんでいる。

*5年前の記事なので、1954年2月18日生まれのトラヴォルタは、来月で56歳の誕生日を迎える。


「どの瞬間も大切なんだ」


「母に教わった。この世に生まれたからには、天から授かった自分の才能を活かせるチャンスを決して逃さないこと。そして夢を叶えるために精一杯努力すること。家族と過ごす時間は大切だし、仕事も大事だ。この二つのバランスがとれれば、素晴らしい満足が得られる。ここまで来るには、確かに時間がかかった。しかし、それを手に入れた今、まさに晴れ渡った空のような心境さ!」


「生きる原動力になるものをやめさせようとしたって無理に決まっている。食べ物とセックスは人を生かす力だ。それがあればこそ、生きる価値もある。」


■「享楽的と言われませんか?」


「それは厳しすぎだな。そもそも享楽的という言葉の意味は?自分の楽しみに浸りすぎるという意味だ。快楽を味わいすぎることが悪なのか?自分自身や他人を傷つけないかぎり、なぜそうしちゃいけないのか理解しがたいね。人々は往々にして、これをしちゃいけないと自己規制ばかりしている。生きるうえでの決まりが多すぎる。なぜだ?理解しがたいよ。俺としては、人生の楽しみと喜びをできるだけたくさん味わいたいと思うんだ。」


■「お母さんに甘やかされて、まるで王子様のように何でもやりたい放題だったそうですが、その名残が今でも?」


「好きなことにどっぷりふけるのは別に犯罪じゃないと思うよ。美しいものでも、食べ物でも、仕事でも、人生に情熱を傾け、快楽を得ればいい。快楽にふけるのは罪悪だという考えが根付いている文化もあるが、賛成はできないね。この世に生まれてきたのは、幸せになって、人生を楽しむためだと信じている。だから、パスタのお代わりでも、2個目のクリームブリュレでも、じゃんじゃん食べたらいい。ヨーロッパに憧れているなら、今すぐ飛び立とう。振られるに決まっているとあきらめていた彼女に思い切ってぶつかってみろ。もしかしたら、人生最高の瞬間になるかもしれないぞ!」

俺のブログの左側には、★オトナな遊び人像として、ジョージ・クルーニージョン・トラヴォルタの名前を挙げている。この2人のアルマーニマンは、俳優業以外に、慈善活動にも尽力している人物だ。特に、ジョン・トラヴォルタの生き方やスタイル、考え方には共感する部分が多くて、俺の眼にはクールに映るのだ。

トラヴォルタの出演作を振り返ってみると、彼は5歳の頃からタップダンスを習っており、1977年の映画『サタデー・ナイト・フィーヴァー』や1983年の『スティン・アライヴ』において、当時最先端のステップを披露し、世界中の人々を魅了したのだ。その後、停滞した時期が続いたわけだが、1994年の『パルプ・フィクション』で再び脚光を浴びるようになった。

翌95年の『ゲット・ショーティ』でゴールデン・グローブ賞主演男優賞を受賞。97年の『フェイス/オフ』ではニコラス・ケイジと死闘を演じてみせたのだ。2001年には『ソードフィッシュ』の中で、スタイリッシュでセクシーな悪役を演じてみせ、世界中の観客の度肝を抜いたのだ。

そして2005年。『ゲット・ショーティ』の続編『ビー・クール』において、『パルプ・フィクション』に続くダンスシーンを披露したのだ。『パルプ・フィクション』のハイライトで、コカインでハイになった状態のまま、ユマ・サーマンとツイストを披露したシーンは、俺の眼にはとてもクールに映った。

ビー・クール』について、トラヴォルタはインタヴューで次のように説明している。

絶対うまくいくという自信はあったが、やるとしたら文句なしのダンスでなくちゃいけない。クールなやつで、抑制がきいていて、ジェームズ・ボンドふうのね。最初は、あまりにも陳腐だとかなんだとか、いろいろな理由をつけて反対された。そのうちにブラック・アイド・ピーズの曲“SEXY”が見つかって、その途端、みんなこれはいいアイデアだと言い始めた。それに、ユマが役になりきって踊れるってことには、確信があったからね。意味なくダンスをしたってダメだ。そんなの馬鹿げている。『パルプ・フィクション』の二人は凧よりも高く舞い上がって踊っていた。破滅に向かって突き進もうとしているんだ。一方、『ビー・クール』の二人は行きたいと願っている。しぶとく生き延びる人間だ。それに愛情を抱きあっている。『パルプ・フィクション』のときと違って、二人の間を隔てる壁はない。
―ジョン・トラヴォルタ

本当にクールな男なんだと思う。彼の行動力を、どこかの国の首相も見習ってほしいところだけれど、背中についたゼンマイで動いているような操り人形みたいな彼には、到底無理な話だろうな。いっそ、ママにもらった10数億円をハイチ地震のために、個人的に寄付でもしたら、世界から彼に対する見方は少し変わるかも知れないのだが、そこまで政権も長続きしそうには思えないけれど…。政治資金で不動産を購入するような、もうひとりのバカ然り。

トラヴォルタのインタヴュー記事の中で、印象に残っている言葉を、どこかのバカ首相やバカ幹事長にもぜひ聞かせてあげたいのだ。遅々として進まない日本の構造改革を、こんなバカな政権に任せたのは誰なのか?

びくびくして生きていたら、人生を台無しにしてしまう、と。それで、自分にこう言い聞かせた。グズグズするな、やりたいことをやれ。それで結果がどうなるか見ればいい。自分の人生とは自分自身に責任を負いつつ、世界の扉を開こうと。頭の中の鍵を回すと、カチッと音がして、やっとわかる。「なんだ、いったい何を怖がっているんだ」とね。

人と会うのは大好きなんだ。そういうときは、ハーイと笑って、サインをするだけではつまらないからね。人生の悩みを聞いたり、できればアドヴァイスしたりする。この世の中、励ましの言葉をかけるだけで、人の助けになれることも多い。俺の場合、知らない人と会って、充実した会話を交わし、相手と言葉が通じあうという体験ほど嬉しいものはない。自分の持っているポジティヴなエネルギーを人にも分けたいんだ。友達が困っていたら、俺はどんなことをしてでも助けてやる。友達もそのことを知っている。
―ジョン・トラヴォルタ
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過去に慈善活動に関しては、何度か取り上げたこともあるかと思うが、ジョルジオ・アルマーニ、デヴィッド・ボウイ(写真:上)、ボノ、ビル・ゲイツなどなど名前を挙げたらきりがないとはいえ、“セレブリティ”だけが地球を救えるとは思えないのだが、慈善活動()は素敵なことだ。本物の愛ともいえるのかな。

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日本人にとって、今回の災害も、どこか遠くの出来事であり、異国の出来事であるのかも知れないが、ダルフール問題に取り組むアルマーニマン“ジョージ・クルーニー”は、必ずと言っていいほど、(世界中で困った国があれば)登場する救世主なのかも知れない。

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ディカプリオ(環境問題に取り組んでいる)とクルーニーの共通点は、アルマーニを身に纏っていることと独身であることなのだが、余裕ある男の行動力はとてもクールに映るのだ。

世界一の慈善活動家“ビル・ゲイツ”は、ダボスの世界経済フォーラムにおいて、「今日の資本主義は貧者にとって救いとはならない。現在の資本主義は、支払い能力がある人だけに機能する」と言い捨てた。

慈善活動が、自己満足的な「認知度」という概念をインセンティヴとして取り入れたところで、貧困が撲滅できるわけでもない一方で、被災地にとっても、貧困層にとっても、最大の希望は、利益に突き動かされた資本主義であることに違いはないのだ。
(ウォール・ストリート・ジャーナルより抜粋)

セレブであることがクレジット(信用)カードなら、私はそのカードを惜しみなく使うよ。
―ジョージ・クルーニー

Good Night !

【訂正】
日本の支援額
×7.500万ドル
○7,000万ドル