ドーハ(カタール)へ直行便 | 東京Crew倶楽部 ~客室乗務員(CA)の世界~

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フライトにまつわることからCAたちのプライベートまで♪ 元ベテランチーフパーサーが語っています

また中近東へ飛ぶんだ

 

羽田・カタール間で直行便の運航開始

 

今はロシア上空を通過できない

とにかく時間がかかる

ロンドンに行くのでさえ

以前より3時間前後余計にかかる

 

協力関係にあるカタール航空が
羽田・ドーハ便の運航を中止

その部分をJALが就航
 

飛行時間

羽田・ドーハ 10時間30分(向かい風)

ドーハ・羽田 9時間25分(追い風)

 

行き便 羽田発23:50 ドーハ着04:40
帰り便 ドーハ発07:15 羽田着23:55

 

 

CAたちは大変かも
行き便は完徹フライト
帰り便は朝5時起きで真夜中に羽田着
 

 

中近東へ就航するのは34年ぶりだという

 

実は昔

羽田発南回りヨーロッパ線というのがあった

 

1960年代ころから

日本企業が中近東諸国へ進出

石油関連などの工場や機械を売り込んでいた

設置場所の選定から技術者の養成までも

面倒をみていた

 

いわゆるプラント輸出と呼ばれていた

 

それらの国は

イラン、イラク、クェート

エジプト、サウジアラビア、パキスタン

さらにはアラブ首長国連邦(UAE)などなど

 

当時の中近東は

ほんとうに砂漠とラクダの国という感じ

しかも戒律がきびしいイスラム教の世界

 

といっても

ほかの人に見つからないように

タバコ1箱を内緒に渡すと

税関検査は甘めになったりした(当時)

 

それらの国々へ

工場・機械メーカー、関連企業

商社、金融機関・保険会社などが

駐在員を送っていた

 

そして

日本人駐在員たちを運んでいたのが

南回りヨーロッパ便だった


そのお陰でCAたちも

テヘラン(イラン)、カラチ(パキスタン)、バクダット(イラク)、クェート(ウェート)、カイロ(エジプト)、アテネ(ギリシャ)、ローマ(イタリア)に滞在していた

1980年代終わりになると

中近東での日本の役割が

以前ほどでなくなった

その後湾岸戦争があったり

イラク戦争があったり

 

いつまでたっても

政治情勢が不安定な中近東

 

多くの企業も引き揚げ

それと同時に南回りヨーロッパ線も廃止となった

 

 

T・K ♂

 

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