私がいた会社は
来年、国際線進出70年となる
私はそのうちの35年を
客室乗務員としてお世話になった
2,3日前に
下記のようなタイトルの記事が
目にとまった
「本当に「普通の着物」で乗務していた…1959年入社の元CAが語る「JALファーストクラス」のすごいサービス」
著者は航空ジャーナリストの北島幸司氏
1959年入社のスチュワーデス(当時)
福田さんのインタビューも交えて
国際線進出から現在まで
この記事に出てくる
スチュワーデス14期の福田和生(かずみ)さん
入社は1959年
当時のCA訓練は
1年に1クラス(期)か2クラス
せいぜい20~30人程度
どの期には誰がいて
誰々は何期で
この娘とあの娘は仲がいいとか悪いとか
新米や若手はかならず
「何期の誰々です」
先輩への挨拶のときは必ず期を伝える
そんな時代
私が飛び始めたのは
福田さんの10年後
14期の人はみな卒業していた
なにせ女性は30歳定年時代だった
30歳前でも結婚したら退職
そんな時代のスチュワーデスだった
(ポスター) DC-8ラウンジでくつろぐお客様
左側が操縦室、右側がギャレーそしてファーストクラス客席
私が同乗した一番古手は29期
そのような期のスチュワーデスは
大先輩過ぎて口が聞けなかった
とにかく大物っぽい人が多かった
ファーストクラスのお客さんを相手にしていると
そうなっていくのか
当時の日本では
大企業の社長でさえ
めったに海外にいけない時代
マナーとかエチケットとかで緊張
ワインのことも分からない
キャビアとかフォアグラってなんだ
海外慣れしている女性なんて
スチュワーデスくらいしかいない時代だったからか・・・
CA「お客様、このワインはとてもおすすめですよ」
客「そうか、それじゃそれにしよう」
皆さん、スチュワーデスの言いなり
こちらは
ファーストクラスギャレー担当の
新米スチュワード
「先輩、お食事を用意しました。どうぞ召し上がってください」
先輩スチュワーデスの食事の用意
それをするのも新米スチュワードの仕事
当時大物にみえた先輩スチュワーデスも
今から思えば25歳前後
政界、財界の大物が搭乗してきても
なんのその
DC-8のファーストクラスラウンジ
この写真を見ると思い出す
搭乗口でお客様をお迎えしていると
知っている顔が近づいてくる
商社に就職した大学時代の仲良し
サンフランシスコへの出張らしい
ファーストクラスとエコノミークラス
この2クラスしかない時代
まだ入社2,3年目の彼は
もちろんエコノミークラス
こちらもまだまだ新米スチュワード
最初の食事サービスが終わって
少し時間がある
先輩Crewに許可をもらい
ファーストクラスのラウンジにご招待
(左)筆者 (右)友人
また期の話しにもどろう
期を表示するのは
1990年代前半に
648期まででやめてしまった
1年に20期(クラス)も
30期(クラス)もラインアウト
何期のだれそれと言っても
だれも分からなくなってしまった
(昔は訓練1クラス20名、今は30名前後)
もし今でも期の表示をしていたら
1200期ぐらいになってしまう笑
「わたしは1232期の○○です」
なんて言われてもな・・・
チーフパーサーとしては
入社年次が知りたい
乗務経験がどのくらいなのか分かれば
仕事の割り振りがしやすい
T・K ♂
元CAで作家の中丸美繪さんの著書「日本航空一期生」中公文庫もあわせて紹介します。
「広瀬すず主演「エアガール」のモデル。戦後初のスチュワーデスを目指した女たち」~ ただ〈飛びたい〉という一心で応募してしまったの ~