平成時代のCAたち | 東京Crew倶楽部 ~客室乗務員(CA)の世界~

東京Crew倶楽部 ~客室乗務員(CA)の世界~

フライトにまつわることからCAたちのプライベートまで♪ 元ベテランチーフパーサーが語っています

バブル崩壊から始まった平成時代

CAたちも荒波にもまれてきた

 

バブル時代の最後

一般企業もそうだったが

CAの給料も上がった

 

そして、1ドル80円台まで行った円高

 

ドル換算すると日本のCAの給料が

世界で一番高くなった

(一般企業も似たような感じだった)

 

当時、シンガポールやタイのCAたちは

ドル換算すると

日本人CAの1/5とか1/7とかの給料で

飛んでいた

 

日本の航空会社はアジアの航空会社とも

競争していかなければならない

しかし、人件費が高いのが悩みの種となった

 

CAたちの人件費を落とすために考えたのが

契約制CAの導入(1995年)

 

最初の3年間は契約社員扱い

3年過ぎるとやっと正社員

その間の月給は従来の2/3以下

ボーナスなし

あるのは皆勤手当だけ

 

そして1年ごとの勤務評価で

契約更新が決まる

 

この時代にCAになった人たち

一番嫌いな言葉は「契約制」

 

そこに9.11のニューヨークテロや

SARSや鳥インフルエンザの流行

 

旅客が激減

赤字に陥る航空会社もあった

さらなるリストラ策

 

ある社では

契約社員から正社員になったものの

また給料カットや滞在手当の見直し

そして、ロスアンジェルス便やサンフランシスコ便

の現地滞在日数が2日から1日に

 

JAL・ANA CA採用数推移

 

減便などでCAも余り気味

CAの採用を中止したり、最小限の採用人数にしたり

2000年代初頭、多くの大学生が

CAへの夢をあきらめざるを得なくなった

 

小泉政権になって

やっと景気が上向き

旅客も増えてきた

と思っていたらリーマンショックで

また後戻り

 

経営状態が悪化したJALでは

2000人近くのCAをリストラ

早期退職のお声がかかる毎日

 

残ったCAたちも給料3割カット

この先どうなるのだろう

そんな日々が続いた

 

加えて、東日本大震災も起きて

人々は旅行を控える

 

CAにとって、平成はそんな時代だった

 

そして景気が回復

2018年に

出国した日本人は1895万人

訪日外国人は3119万人

合わせて5000万人の日本発着人数

 

平成元年(1989年)は

日本人・外国人合わせて1200万人強

それに比べて

今や国際線は4倍の旅客数

 

そして、国内線を利用する旅客は1億人

 

パイロットもCAも整備士も足りない

そこで、毎年1500人以上のCAが誕生

 

航空会社も、もはや契約制などと言っていられない

正社員にしないとよい人材が確保できない

 

それで数年前、やっと契約制がなくなり

CA全員が正社員入社となった(除くLCC)

ボーナスもそこそこもらえている

 

                      T・K  ♂

 

1年前のブログ

「気持ち悪いときの嘔吐袋」

 

追記

その後、2020年にコロナでパンデミック発生

CAにとって冬の到来となる