非常識な経営に挑戦し生き残る | 中国で単身生活を楽しむ企画貿易会社 社長の独り言

中国で単身生活を楽しむ企画貿易会社 社長の独り言

2000年に起業、気付いたら創業24年!東京と中国に会社を構えている貿易商社を経営しています。今の目標は「30期年商30億円」有言達成をモットーに我要加油。

独学の経営道



いつもブログを読んでいただきありがとうございます。創業21年、11年前に儲からなくなった広告業に見切りを付け貿易業に転身、毎月東京オフィスと中国オフィスを行ったり来たりの日々、「下請け仕事一切御断り、大手メーカー直提案直取オンリー、中国工場直発注直輸入」をモットーに年160日間中国に滞在しているプチ単身赴任生活のブログです。



経営危機は会社がかかる
時と共に訪れる流行り病



東京連続滞在527日目、「企業生存率」とは会社が起業から生き残り経営を続けていられる経年毎の生存確率値ですが、一般的に企業10年生存率は6%と低い数字になっています。21年前に会社を起業した時は先ずは企業5年生存率15%の壁を乗り越えることを目標としました。私が初めて経験した経営危機は起業10年目のリーマンショック不況、経営危機の詳しい内容は6月8日の「何故広告業が儲からなくなったのか?」ブログにてアップしていますので割愛しますが、経営危機を乗り越える為に中国貿易に挑戦することにしました。



【企業10年生存率6%】
10年の壁を乗り越えるには
非常識な経営への挑戦



儲からなくなった広告業から企画貿易業に挑戦した時は周りから「貿易の素人では中国貿易は無理だ」と言われました。確かに広告業から貿易業への転身は非常識な経営への挑戦と言えなくもありませんが、下請け仕事一切御断り、大手メーカー直提案直取オンリー、中国工場直発注直輸入にビジネスチャンスが有ると思い単身中国に渡り貿易ネットワーク創りに活路を見いしました。もしも企画貿易業に挑戦せず広告業のまま経営していたら十中八九倒産していたと思います。。



2011年
組織刷新、若い社員達と中国貿易に挑戦
今考えても非常識の経営への挑戦でした


中国に渡り貿易ネットワーク創りの日々


2013年
広東省東莞に中国オフィスを設立
上海から広東省までネットワークを構築



【企業20年生存率0.4%】
20年目の壁は過去のしがらみ
古きを捨て新しい組織に刷新



そして、2度目の経営危機は会社設立20周年目に訪れたのは新型コロナ禍です。緊急事態宣言発令で会社から社員が消え、売上は5ヶ月連続大幅ダウンとなり18年振りに赤字に転落。。経営を立て直すのに会社を縮小し経費カットをするか?経営計画をどう修正するか?考えた結果、経費カットはせず成長路線に挑戦!例外なき経営改革「スピード経営・スピード改革・スピード営業」の下、役員改選と組織とシステムの刷新、積極的に社員を採用、10年先を見据えた新体制をつくり売上の挽回を図り今に至ります。



2020年4月
緊急事態宣言発令で約2ヶ月間
オフィスから社員が消え心折れそうになる

緊急事態宣言解除後に経営改革を実施
役員の改選と組織の刷新を行い新体制へ




【企業30年生存率0.02%】
会社設立30年の壁を越える



30年の壁は何?会社設立22年目の今は30期年商30億円を目標に一枚岩の組織で突き進んでいます。私の今の課題は「引き継がれる会社創り」に尽きます。50年企業を目指す為にも次期社長に如何にバトンタッチするのが私の仕事となっている。私が社長を退くことで会社は生まれ変わる!会社と共に歩んで来た訳であり退くのは寂しい気持ちは有りますが後継者が居る喜びも有ります。2代目、3代目に続く会社を創るのが私の新たな挑戦です。







当ブログを読んで下さる皆さんも新型コロナ禍の影響を受けて大変かと思いますが、明けない夜はない!明るい未来が有ると信じてこの難局を乗り切って行きましょう




◼️東京オフィス

’00年広告代理店起業→ ‘10年貿易業転身
営業・企画・デザイン・販売の拠点
資本金5,500万円

◼️中国オフィス
’11年進出 → ‘13年設立→ ’17年法人化
工場探し・品質管理の拠点
資本金100万元(約1,650万円※当時レート)

◼️埼玉&茨城倉庫
自社商品の保管及び全国出荷の拠点