別府の骨董蓋と共に今回の蓋旅のメインの目的蓋が大分市の下水人孔と書かれた蓋です。
縦書きというところにもしびれます。
このデザインの蓋、結構な期間使われていたようでいろいろなバージョンがありました。
ゴシック体の蓋。これは結構新しいのでしょうか?
下の「分」の字の左側に謎のマーク入りの蓋。メーカーロゴかもしれません。
以上の蓋は同心円が16分割されていましたが6分割の蓋もありました。おそらくこちらがオリジナルデザインに近いのではないかと思います。
さらに、穴の数が内側と外側の2つずつではなく内側、中間、外側の3つずつ並んだ蓋も。おおざっぱにいうと穴が多めで大き目が古く、新しい蓋ほど滑り止めの効果を高めるために地紋が細かくなっているという傾向があるので、この蓋が一番古いのではないかと思っています。
明石にも雰囲気の良く似た蓋があります。この骨董蓋の中央の明石市章(町章)の部分が大分の蓋では「下水人孔」という文字を入れる部分として使われています。
上記の蓋は穴が二列ですが、「明石町下水道略誌」(大正5年)の附録には穴が3列の蓋の図面があります。(国立国会図書館デジタルコレクションより)
林丈二氏の「マンホールのふた(日本篇)」にこの明石の蓋と大分の蓋の関連についての解説があります。