醤油の町、千葉県野田市に古そうな水道の蓋がいくつかありました。
「マンホールのふた〈日本篇〉」にも載っている右書き消火栓です。同書では、野田の他に旧東京市15区内、江戸川水道町村組合、淀橋町水道でも用いられていたという形状の蓋です。管理人は以前、高崎市でもこのタイプの蓋に出会いました。(高崎でまたまた燈孔探し 結果は消火栓)
量水器の右書き蓋。
水を丸で囲っただけのように思えたこの紋章。よく見るとひらがなの「の」と漢字の「水」を合体させてものでした。この記事の最初の消火栓の蓋の紋章もそうなっていますね。
単純に考えればこの紋章は野田市(町)の「の」にちなんだものとなるわけですが、実は野田市の水道は野田醤油株式会社(現キッコーマン)が大正12年に供給を開始し、野田市に買収される昭和50年まで私企業による経営だったとのことです。(→野田市のHP)従って、同じ野田でも「野田醤油」の「の」だと思われます。
ちなみに、野田市の市章付き水道蓋の例はこれ。
この量水器の細かいボツボツは同じく私設の水道「江ノ島水道」の量水器蓋(↓↓)にも似ています。蓋の形状は違いますが蓋の製造業者が一緒だったりしたのでしょうか?
そして、「阻水弇」。東京では水道の小蓋では一番古いものとされている名称だそうです。
こちらも「止水栓」の古い呼び方ではないかと思われる「水止栓」。紋章が微妙ですがやはり「の水」ですね。
冒頭の消火栓は今回、他に2枚、見たのですがそのうちの一枚はお寺に隣接した公園内に。
このような仏教関係の塔のすぐ横(写真左下)にありました。この塔には蛇口がついていました。(写真は子供が水をくんでいるところ)
塔には「大正 丙寅十五年九月」と刻んであるので、この消火栓も同じときに設置されたのかもしれません。
このように、野田市は古蓋の宝庫でした。そして、私設水道の蓋を見つけるという記事にしたばかりの今年の抱負を1件達成です。「の水」も悪くはないのですが、このマークだったらもっと良かったのにとも思います。
(2014.2.8追記)
後で気づいたのですが、何か書いてあると思って撮影したこの境界石に亀甲万マークがありました。