応援したくなる人、応援される人の条件とは?? | キンジの自分軸哲学

キンジの自分軸哲学

~自分軸を掘り下げて、リアリティに、付加価値にデザインする為のブログ~

charlie0111によるPixabayからの画像

 

 

 

どもども。

 

キンジです。

 

 

 

一般的に、

応援するって言いますと、

声援をあげたり、その応援したい人の、

活動を追うって事が挙げられますし、

 

基本的には、

 

応援する対象になるのは、

何かしらのアーティストとかアイドルとか、

はたまた、エンターテイナーとか、俳優とか、スポーツ選手等・・・・・・etc、

 

何かしらの、

メディアやインターネット等を通して、

 

多くの人々に向けて、

何かしらの活動を続けている人達が、

相応しいものでもあり、

 

また、

 

多くの人々の羨望を集めて、

ある種の、偶像化が為されているからこそ、

 

その人を応援する=ある種の宗教活動的にもなる事によって、

 

その人を応援する=自分自身の為にもなり、

 

尚且つ、

 

自分自身にとって、

抽象度の高い領域の情報に、アクセスする事にもなり、

 

それによって、

 

自分自身を成長より良く、成長させて行ける側面も、

持ち合わせているものにもなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それ即ち、

 

純粋に応援するって事もまた、

その活動には、含まれるものではありますが・・・・・・、

 

例え、

 

純粋に応援するのであっても、

それは、

 

上記に挙げた、宗教活動的になり、

信仰が生まれる事によって、

 

その、応援する側にとっても、

能力開発的な、メリットが生まれると言う事が、

 

それが意識的、無意識的にも関わらずに、

原理原則的に、存在している・・・・・・って事でもあるのです。

 

 

 

だからこそ、

 

誰かとか、何かしらの活動家の、

ファンになるってことが、

推奨される訳でもありますし、

 

それは、

 

純粋さが見て取れれば、

見て取れる程、

その応援自体が、美しいものともなっているものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

逆に言えば、

 

それが純粋さだけじゃあ、

 

テレとか自己矛盾が出てきてしまい、

我慢しきれなくなるからこそ、

 

「自分の為。」とするような・・・・・・、

 

僕自身と似たパターンの人々も、

勿論、存在していますし、

 

ある意味、

その方が、

 

応援だけに特化して、

 

ポジショントークばかりの人を、

見抜く事もまた、可能にはなってくるものではある事でしょうね・・・・・・・。

 

 

 

 

それって言うのも、

結局は、

 

応援話だけであれば、

別に、

 

ポジショントークを持ってして、

エンタメ的、ゲーム的に、楽しむのも良いのですが、

 

それが事、

 

自分自身が、

実際に、その先を追求して深めて行く為の、

自分軸としての活動であった場合においては、

 

そのような、

 

ポジショントークな情報ってものは、

一種の、ノイズにしかならないでしょうし、

 

またある意味、

 

その情報の真偽をわざわざ、

確認する為の、時間や手間隙と言ったような・・・・・・、

 

コストが増える事により、

 

キチンと、別物として、

分けておかない事には、

 

自分自身の貴重なリソースである、

時間、手間隙、お金等を、

 

無駄とは言いませんが、消費して行く事にもなってきちゃうのです・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

これは本当に、

 

自分軸として、活動、行動を続けているからこその、

視点ではあるのですが・・・・・・・、

 

ハッキリ言いますが、

 

そのような、

 

ポジショントークで情報収集するくらいであれば、

 

自分軸としての活動や、行動自体を、

自分自身で掘り下げて行きながら、

 

情報を構築して行った方が、

 

確実に、お手軽に役に立つ視点やアイデアを、

発見して行く事が、可能にはなる事でしょう。

 

 

 

それを踏まえてみても、

結局は、

 

応援したくなる人ってものは、

 

何かしらの、活動家である必要性がありますし、

 

もっと言えば、

 

有名人である必要性もあるだろうし(その道の)

 

これも逆に言えば・・・・・、

 

無闇やたらに、

 

応援する人や、変にヨイショするような人を、

増やさないに限るって事は、

言えるでしょうね。

 

 

 

即ち、

ちょっとでも、

 

応援したい気持ちや、ヨイショしたい気持ちが生まれたのであれば、

 

その人が応援している人を知り、

 

それを一緒に応援するってスタンスでもあるのでしょう。

 

 

 

また、

これまたハッキリ言いますが、

 

普通の人間的なメンタル的な問題を挙げてみても、

 

直接応援されたり、

直接ヨイショによって、

持ち上げられ続けた人ってものは、

 

必ず、調子に乗ってしまい、

 

大きな失敗を犯すか、

もしくは、

 

逆ギレの如く、こちらに牙を剥いてくる事になるのもまた、

原理原則的な事なのかも知れません・・・・・・・・。

 

 

 

だからが故に、

 

応援、信仰、憧れを通して、

ある種の、

 

現実を超えた先に、ファンタジー的、

偶像的な到達点を描いて行く事により、

 

それは、

 

前提的なゴール視点ではありますが、

 

進化する事が可能な視点でもあり、

 

そこから逆算的に、

 

未来、過去、今の状態を繋げて行く事によって、

軸を構築して行く・・・・・・・・って事でもあるのでしょう。

 

 

 

し、

 

その応援する対象者ってものは、

別に、

 

一人である必要性なんて無いでしょうが、

 

そのジャンル事に、

決めて行く方が良いものではあるのでしょうね。

 

 

 

また、

それは、

 

自分軸として行っている活動のジャンルであれば、

 

色々と、増えて行くものとも言えるだろうし、

むしろ、

 

それはもう既に、

 

自分自身と混ざり合ってしまっているだけに、

誰か人・・・・・・って言うよりかは、

 

概念的なものになっちゃっているだろうし、

 

まぁ、

それ即ち、

 

自分軸哲学とはなっている事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

それは即ち、

もう、

 

憧れど〜こ〜じゃあ無くて、

 

仲間的な感覚になっているとも言えるだろうし、

 

それを踏まえた上で、

応援する対象者を決めて行きたいのであれば・・・・・・、

 

それこそ、

 

他人軸的なジャンルにこそ、

 

応援する対象を、見極めて、

応援して行く必要性もある事なのでしょうね。

 

 

 

 

・・・・・・・とは言っても、

ただ単に、

 

実績が良いからとか、

一番人気だから等の理由だけじゃあ、

 

例え、

 

他人軸的なジャンル(自分には活動が無いジャンル)であったとしても、

手放しに応援なんて出来ない事でしょう・・・・・・・。

 

 

 

まぁ、

ただ単純に、

 

声援をあげたり、お客さんになるって事が、

一番シンプルな応援方法であるとは言えますが、

 

応援、信仰、憧れって事を、

考慮しますと、

 

それだけだと、

ある意味、

 

無差別的に、影響を受けて行く訳でもありまして、

 

折角なんだし、

 

自分軸として、

 

深めて培って行った、ノウハウなりスキルってものを、

それにも活かして行きたいって思うのが、

 

人情でもありますし、

 

それを無かった事にする=今までの人生を、

捨ててしまうって事とも同義でもあり、

 

その報復は、

 

必ず、身を持ってして味わう事ともなるでしょうから・・・・・・・、

 

もう、

 

確定事項ではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

ここまでの事を、

ある意味、

要約してみると、

 

結局は、

 

応援する対象ってものは、

無闇に作らない方が良いとも言えるだろうし、

 

別に、

 

応援団にならなくても、

 

自分軸的な活動なり、行動自体が存在するのであれば、

 

それによって、

 

自分の哲学でもあり、自分の秤ってものが、

出来上がって行っているでしょうから、

 

それを持ってして、

 

分野ごと、スキルごとに、

 

応援する=参考にして行く対象ってものが、

存在するのも当たり前でしょうし、

 

単純明快な、

 

ちょっと情報が浅い分野とか、

スキルに関して言っても、

 

無闇に応援する必要性すら無く、

 

その分野であり、そのスキルの上位者を、

選出し、選別し、

 

その人に対して、応援し、

声援を送り、お客さんとなるのが、

 

一番、悪影響が少なく、

 

尚且つ、

 

自分自身の成長の余地を、疎外しづらい方法論とは、

なって行くのでは無いでしょうか・・・・・・・??

 

 

 

また、

 

上記で、その分野であり、そのスキルの上位者とは言いましたが、

 

勿論、

ただ単に、

 

お偉いさんであるとかは、

 

別に、応援する対象であるとは、

言い難い側面があるものですし、

 

純粋に、スキルや実績ってものを見て、

 

判断する必要性があるものであるとは、

補足しておきましょう。

 

 

 

お偉いさんにヨイショするのは、

 

まぁ、

組織においての、

 

仕事の一環である事は、確かではあるでしょうが。

 

 

 

 

まぁ、マトモに仕事に取りかかれば、

 

それは、意識しようがしまいが、

 

客観的に見れば、

 

ヨイショに見えない事も無いのが、

マトモな仕事の仕方ではある事でしょうね。

 

 

 

また一方の、

 

自分軸が無くて、

 

「応援から入った人は、一体、どうすれば良いのか??」

って視点から見ますと、

 

応援から入った人は、

 

エンタメ的、ゲーム的に、

ポジショントークを楽しむか、

 

もしくは、

 

応援から、実際に、自分自身も取り組んでみるか、

 

もしくは、

 

応援する対象に対する、憧れを活用しながら、

 

自分軸としての、活動、行動を構築し、

 

その応援している対象とは、

また別のジャンルでありながらも、

 

その応援活動自体を活用し、

 

オリジナルとしての、活動、行動を、

構築して行くって事が、

望ましいものとはなって行く事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

それはある種の、

挑戦でもあり、

 

それはある種の、

 

その、チョイスしたジャンルにて、

他とは違った、キャラクターブランディングが成されるものではありますが・・・・・・、

 

だからが故に、

 

風当たりが強くなるものでもあり、

 

元々の、

 

そのジャンルのお約束事にうるさい連中とは、

真っ向対立して行く事にはなるかも知れません。

 

 

 

 

が、

 

キャラクターブランディングが成されれば、

逆に、

 

そのジャンル自体からもはみ出す代わりに、

 

独自の、唯一無二のジャンルが構築されるものとは、

言える事でしょうし、

 

それを発展させて行く為にまた、

 

新たな、応援する対象を応援し、

 

その活動を、応用・流用する事によって、

 

自分軸をビルドアップし、

 

新たな客層に、アプローチして行ける事には、

なって行くものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

勿論ですが、

 

アプローチするだけじゃあ無く、

 

その見込み客に最適な、

ノウハウであり、メソッドと言ったような、

 

トレーニング要素がありきでの話ではあります。

 

 

 

 

それを踏まえて言いますと、

その、

 

独自の、唯一無二のジャンルってものが、

 

そのスキルと実績をも含めた上で、

お客さんから認められた人ってこそが、

 

応援させるに相応しい人たり得るとも言えるだろうし、

 

それは、どこまで行っても、

 

疑ってかかれば、

真偽を疑い続ける事が、

可能なだけに、

 

応援、信仰、憧れが必要不可欠とはなるものではありますが、

 

だからが故に、

 

自覚的に、

 

応援、信仰、憧れを描いて行く為の、

活動、行動が必須にはなりますが、

 

それを持ってして、

お客さん自身が自分で、

 

その、

 

応援されるに相応しい人ってものを、

選別して行く事が、可能にはなるものではある事でしょうし、

 

応援を一旦止めるなら止めるで、

 

その対象の人を、

 

独自の、唯一無二のジャンルってものなんて持っていない、

他と代わり映えしないとか、

 

そのスキルも、そない大した事無いとか、

 

実績も嘘っぽい要素が垣間見えていて、

信用に値しないとか、

 

描いて行けば良いのでしょうが・・・・・・、

 

 

まぁ、

 

全部が全部、ダメ出し尽しになっちゃう人って言うのは、

 

自分自身の、ものを見る目とか、

自分自身の秤ってものを、

疑って掛かったり、

 

「今までの人生、自分自身、一体、ボケッと流されるままに、何をしてきたんだろう・・・・・・。」

とか、

 

自分自身の生き方、在り方を、

シビアに振り返った方が良い事は、

言うまでも無い事でしょうし・・・・・・・(苦笑)、

 

まぁ、

 

「応援される対象になる。」って事自体が、

敷居が高い事でもあり、

 

複合的な要素を、

ある意味、

 

完全無欠に組み合わされる事によって、

 

「応援される対象になる。」とも言えるでしょうから、

 

それが、

ある種の、

 

その本人の主観による、

偶像崇拝的な、ファンタジー要素であったとしても、

 

それに自覚があって尚、

 

チェックポイント的な、

 

複合的な要素を満たして行く事が、

必要不可欠にはなってくるものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

し、

 

それはスタート地点にての、

正解を勝ち取るに過ぎないとも言えるだろうし、

 

まずは、

 

フォームでもあり、スタンスにおいて、

正解を勝ち取った上で、

 

新たなエンターテイメントでもあり、

新たなゲームが始まると言ったニュアンスでしょうか。

 

 

 

ま、

単純明快に言えば、

 

「まずは、正解を勝ち取った。」

けど、

 

心配しないでも、

 

その正解を持ってしても、

失敗は繰り返すだろうし、

 

その正解を担保とか保険としつつ、

 

失敗のデータ蓄積をし、

 

それによって、

 

その正解の導き方法の、

バリエーションを増やして行く・・・・・・・ってイメージでもある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

まぁ、

これも補足とはなりますが・・・・・・、

 

マトモな人間関係が出来上がる、

もしくは、

 

マトモな生き物としての、関係性が出来上がるって事自体が、

 

「応援する対象自身では無い。」って事でしょうから、

 

それこそ、

 

応援される=ステージが違う人って認識となるだろうし、

 

その人と、マトモな関係性を築く為には、

 

そこに混ざった上で、

 

その先の応援する対象者を、

選別して行く必要性もあるのでしょうが、

 

・・・・・・とは言っても、

 

その応援団的な人々とは、

良好な人間関係が出来上がるでしょうし、

 

別に、

 

その先の応援する対象者ってものを、

「応援する仲間ってものが居なかっても良い。」とも言えるだろうし、

 

変に隠す必要は無いでしょうが、

 

変に共有する必要も無いでしょうし、

 

「そ〜ゆ〜理解が存在していれば良い。」って認識でしょうか。

 

 

 

ま、

 

変に応援する対象を決めてしまわないでも、

 

自分軸的、活動、行動を通して、

便宜的に、

 

応援できる対象は、増えて行くものでもあり、

 

それによって、

 

適当に、チョイスして行けば良いものかと(笑)。

 

 

 

少なくとも、

 

自分のスキル、行動を通しているだけに、

 

「適当でありながらも、的確。」ではあるでしょうよ。

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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