ゲシュタルトが崩壊するってことの、真の意味とは?? | キンジの自分軸哲学

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新年、明けましておめでとうございます。

 

今年も、

私、キンジと、自分軸哲学を、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

あ、さて、

でわ、本日のお題目に入って参りましょう!!

 

 

 

ゲシュタルトって言いますと、

所謂、物事の全体像の事を、

言い表す言葉でもあり、

 

概念の事ではありますが、

 

そのゲシュタルトってものは、

要するに、

 

出来上がりと、崩壊ってものを、

絶えず、繰り返しているようなものではあります。

 

 

 

即ち、

 

何かを行動とか、段取り等で、

構築して行く事によって、

 

予め、想像の上であったとしても、

そこに存在していたであろう・・・・・・・、

 

ひとまとまりの全体像=ゲシュタルトってものが、

 

それが、例え、

 

無数に存在していたとしても、

 

その個人の世界観でもあり、

 

その個人の、

 

その時、その場所にての、

 

今ここの、ひとまとまりの全体像ってものは、

崩壊して行くものでもあるのです・・・・・・・!!

 

 

 

それは、

・・・・・・・・まぁ、

 

ある種の、

妄想的な話ではありますし、

 

狸の皮算用的な話でもありますが・・・・・・、

 

我々は、そもそもとして、

 

何もしていない状態であったとしても、

絶えず、思考する生き物でもありますし、

 

だからが故に、

 

言葉が大切になるものでもあり、

 

言葉が存在しない所には、

 

思考ってもの自体も、

存在する事が、不可能なものとはなっている事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

 

非言語の状態であれば、

それは、

 

潜在意識とか、無意識とか、

呼ばれる状態にはなってくるのでしょうが、

 

それを、再現性を持たせて、

有効的に活用する為にこそ、

 

キチンと、

 

顕在意識として、

言語化しておく必要性がある・・・・・・って事でもありますね??

 

 

 

また、

 

何かを始めるとか、

そもそもとして、

 

行動=アクションを起こすって事自体が、

 

ゲシュタルトを構築するって事でもあり、

 

ゲシュタルトを構築し始めるって事にもなり

 

それによって、

 

元々存在していたであろう・・・・・・・、

何かのゲシュタルトを、

 

崩壊させて行く事と、

同義ではあります・・・・・・・。

 

 

 

だからが故に、

 

何か、新しい物事を、

 

新しい場所で、新しい人達と始めたからとは言っても、

 

そこで、

 

好き勝手出来る事じゃあ無いってことは、

薄々と、理解可能なんじゃあ無いでしょうか・・・・・・・??

 

 

 

 

即ち、

 

何か、新しい物事を、

新しい場所で、新しい人達と始めるからこそ、

 

護りの意識が大切になるものでもあり・・・・・・・、

 

逆に言えば、

 

自分自身が、大切にしていきたいような、

 

自分自身の趣味趣向に沿った、

行動習慣ってものを反映させつつ、

 

その新しい物事に、

相対する必要性が出てくると・・・・・・・言うことなのですよ。

 

 

 

 

それは、勿論、

 

今後も、

自分自身の習慣として、

 

自分自身の趣味趣向に沿った物事の、

行動を続けて行く覚悟の現れとも言えるものだろうし、

 

その新しい物事に、

反映させておく事によって、

 

その行動習慣の、

行き来にかかるであろう・・・・・・・、

 

コストの軽減を、省エネ化するものともなる事でしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

また、

 

だからこそ言いますが・・・・・・・、

 

本当の意味での、

変革とか、革命的な事を、

行う為には、

 

今まで、ずっと続けてきた環境でもあり、

今まで、ずっと続けてきた物事において、

 

新たな風を、取り込んで、

新鮮味が再構築されるように、

新たな取り組みに、取り掛かって行く必要性が、

出てくるものとはなる事でしょう。

 

 

 

それ即ち・・・・・・・・、

 

何か、新しい物事を、

新しい環境で、新しい人達と行うって事自体は、

そもそもとして、

 

変革とか、革命の為の、

下準備に過ぎないものでもあり、

 

そこで、

 

自分自身の趣味趣向に沿ったナニカしらと、

融合を果たす事が、不可能であれば、

 

その変革とか、革命自体も、

 

絵に描いた餅に、過ぎないものとはなる事でしょうし・・・・・・、

 

そもそもとして、

 

その新しい物事自体にも、

 

軽い、非日常体験くらいの、

 

エンタメ的な価値しか、見出す事が、

不可能にはなるものではありますね・・・・・・・・・??

 

 

 

 

まぁ、

 

普段、激務な仕事に取り掛かっているような人達にとっては、

 

そのような、

 

所謂、「息抜き。」のようなものも、

必要にはなってくるでしょうが・・・・・・、

 

まぁそもそもとしては、

 

そのような、

 

「息抜き。」が必要に感じる人達の方が、

かえって、

 

そのような、

 

軽い、非日常体験さえも、

足が進まないものでしょうし、

 

中々、思い切って、飛び込まない傾向が、

あるものではありますね・・・・・・・。

 

 

 

 

ま、ベストで言えば、

 

その場限りに過ぎない、

軽い、非日常体験よりかは、

 

自分自身の趣味趣向に沿った、

行動習慣を反映可能な、

新しい経験値を求める方が、

 

行動自体に無駄が無く、

 

確実な、自己投資とはなって行くものなのでしょうが。

 

 

 

それらを踏まえて、

逆に言えば・・・・・・・、

 

何か、辞めたい物事が存在している場合においても、

 

上記で挙げてきた、

 

ゲシュタルトの構築と、ゲシュタルトの崩壊って概念が、

必須になってくると同時に、

 

それを意識せずに、

 

「どうやって、何かをマネジメントして行くのか??」と。

 

 

 

 

勿論、

 

仕事等であれば、

 

仕事の環境、構造、仕組み等や、

上司や同僚の監視の元に、

 

・・・・・・少なくとも、

 

ゲシュタルトの構築ってものを、

意識せずにも、

 

「やらなければ、首になる。」とか、

 

「やらなければ、ペナルティが存在する。」と言ったような、

 

罪と罰の意識の元で、

 

行動による、ゲシュタルト構築ってものを、

否が応でも、やらざるを得ないものとはなる事でしょう・・・・・・。

 

 

 

 

・・・・・・・が、

だからが故に、

 

自分自身の、マインドってものが、

奴隷化してしまうもんでもあり、

 

実質的には、

 

仕事に必要となってくるのは、

個人の技術や、スキルと言ったようなものでしょうから、

 

個人の技術や、スキルってものが、

奴隷のようになったとしても・・・・・、

 

マインドまで奴隷になって、

自分自身の、セルフイメージを、

自分自身で、貶める必要性なんて、

何処にも存在しないものではある事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

 

まぁ、

 

上記で、

 

「個人の技術やスキルが、奴隷のようになる。」とは言いましたが、

 

その奴隷の主ってものは、

 

ある意味、

 

自分自身であるしょうし、

 

神とまでは言わなくても、

 

天使や悪魔の奴隷と、言えるものとはなる事でしょうね。

 

 

 

これがある意味、

神の奴隷とまで行きますと・・・・・・、

 

ある種の、

 

独善性が、目立ってくる事によって、

人と調和しずらくなり、

 

これまた、逆に言えば、

 

神の名の元に、

 

無責任な、暴力的な戦争に、発展して行くものとはなる事でしょう。

 

 

 

 

 

・・・・・・・まぁ、

 

戦争は言い過ぎだとしても、

 

暴力的な戦い、

 

即ち、

 

スポーツで言えば、

 

退場もののファウルや、誰かを、

再起不能にする為の、

汚いファウルの方に、意識が向きガチとなり、

 

その分野の土俵においては、

 

たいした技術や、スキルを、

発揮出来なくなって行く事には、

なりガチです・・・・・・・・!!

 

 

 

 

 

個人の技術やスキルってものは、

 

絶えず、戦いでもあり、

戦場でもあり・・・・・・・・、

 

ある意味、

 

全ての人が、

 

同じ土俵でいる限りは、

戦い合うライバルであるものではあります。

 

 

 

だからこそ、

 

その分野にての、

 

技術やスキルで、闘う必要性があるものでもあり・・・・・・・、

 

その技術やスキルってものは、

 

一見、戦っているように見えていても、

 

「誰かの為。」でもあり、

 

「顧客の為。」となっているのが、

常であるべきであり、

 

そのルールからはみ出てしまえば、

 

それは、

 

暴力的な戦いに、過ぎなくなってしまうものではある事でしょう・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・・・と言うのも、

 

下手に、

 

ゲシュタルト崩壊させた先に待っているのは、

 

新しい新世界では無く、

 

剥き出しの本質が、物を言う世界でもあり、

 

それ即ち、

 

サバイバル的な、暴力的な、

戦争の世界観ではある事でしょう・・・・・・・・。

 

 

 

その世界観は、

誰しもが、

 

回避するに越したことが無いと同時に、

 

回避する為にこそ、

 

手軽な、分野ごと、

専門性ごとの、

 

個人の技術やスキルによる、

代理的な戦いってものが、

必須にはなってくるのです。

 

 

 

その戦いでもあり、

戦場ってものは、

 

それが、代理的であれば・・・・・・、

 

別に、

 

「魔界的でもあり、悪魔的でも、地獄的でも構わない。」ものでもあり、

 

変に、

綺麗事を振りかざして、

 

神とか天使的じゃあ無くても良いものなのでしょう・・・・・・・!!

 

 

 

その技術でもあり、スキルを持ってして、

人間的であれば良いものでしょうから。

 

 

 

変に、

綺麗事だけでも、

 

もしくは、

 

暴力団的でも、

それは、

 

天使か悪魔的ともなり、

 

人間的に言えば、

 

どちらか片方だけじゃあ、

何かが足らない状態に、なってしまいガチなものなのでしょう。

 

 

 

 

即ち、

 

天使も悪魔も、両方が必要になるものでもあり、

 

そのせめぎ合いの内にこそ、

 

「人間臭さ。」ってものが、

存在する事になり、

 

その、

 

「人間臭さ。」ってものの中に、

 

「自分でこそ、自分ならでは。」ってものもまた、

存在して行く事には、なってくるのでしょうね。

 

 

 

 

また、

逆に言えば、

 

同じような技術やスキルを行使していたとしても、

 

もしくは、

 

同じような技術やスキルを行使しているからこそ、

 

「その人らしさ。」ってものが、

滲み出てくるものとなり、

 

細かい自分らしさってものには、

 

それ単体では、

意味なんて存在しないだろうし、

 

もっと言えば、

 

細かい自分らしさってものは、

 

それ単体で存在する事によって、

 

何かのゲシュタルトを、崩壊させてしまう、

害悪なものとなってしまいガチです・・・・・・・。

 

 

 

 

良い意味合いでの、

 

「その人らしさ。」ってものは、

 

細かい微差の領域のものではありますが、

 

それは単体じゃあ無くて、

 

正に、

 

ひとまとまりの、ゲシュタルト=全体像と、

なっているものではありますから。

 

 

 

それはまた、

 

その本人は、

もしかしたら、

 

フォーカスが、細かい部分にも、

向かっているかも知れませんが・・・・・・、

 

それは、ある種の、

無意識なものでもあり、

 

客観的にも、有用性を見出す為にも、

 

細かい部分はおいておいて、

 

手軽でもあり、足軽な部分にこそ、

フォーカスを向け続ける努力があるからこそ、

 

細かい部分の、

乱数調整が上手く行く事によって、

 

その人らしさでもあり、

その人ならではの、

 

魅力を発揮出来ることが、

可能にはなっているのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

それは、

ある種の、数稽古ではありますが・・・・・・・、

 

自分自身の、趣味趣向を熟知しているからでもあり、

 

自分自身の、趣味趣向を追求し続けた結果が、

 

結果的に、数稽古となり、

 

その人らしさでもあり、

その人ならではと言ったような、

魅力となっているものなのでしょうね。

 

 

 

それはまぁ、

 

自分自身の、今後も続けて行きたい行動習慣にて、

発揮されれば良いものでしょうから、

 

新しいチャレンジの方にこそ、

必要となるものであり、

 

今まで続けてきたような物事にては、

 

本当の意味での、

 

「違い。」でもあり、

 

「創造性。」を発揮出来うるような・・・・・・・、

 

世界観を変化させる取り組みが、

必要にはなってくる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

上記で、

新しいチャレンジと言いましたが、

 

要は、

 

新しいチャレンジ=新しい環境、新しい物事、新しい人達にての、

行動を推し進めるものであり、

 

今まで続けてきたような物事にては、

 

乱数調整的に、

 

同じ事を行っているようで、

また別の結果を、出して行く必要性が出てくるものかと。

 

 

 

まぁ、

結果的には、

 

上記の2種類の行動ってものは、

 

両方共が、

近づいて行くものでありながら・・・・・・、

 

その両方共が、

 

行動そのものに、意味合いをもたらすと言う意味では、

 

同じものではありますし、

 

そう、目指して行くものとはなる事でしょう・・・・・・・!!

 

 

 

また、

 

行動=ゲシュタルト構築としますと、

 

それによって崩壊するゲシュタルト=過去の行動となる事でしょう。

 

 

 

その過去の行動ってものが、

 

より、

 

自分自身の、趣味趣向に沿っていた場合において、

 

それに関連しかねない、

今ここの行動ってものには、

細心の注意が必要となるものでもあり、

 

その過去の行動の、

抽象意識ってものが、

 

ガイドラインのような働きを、

するものとなる事でしょう。

 

 

 

また、

その逆の、

 

その過去の行動ってものが、

とるに足らない行動でもあり、

 

「もう、こりごり。」と思っちゃうような行動が、

ベースにくる場合においては、

 

なんなんでしょうね・・・・・・・・(苦笑)、

 

それこそ、

また別の、

 

ガイドラインに相応しい行動を重ねる事によって、

上書きするしか無いのでしょうね・・・・・・・・(苦笑)。

 

 

 

まぁ、どちらにせよ、

 

「もう、こりごり。」と思っちゃうような自分に、

問題が存在する訳でもありますし、

 

それもまぁ、

 

「己を知らない。」自分が悪いとも言えますし、

 

自分の趣味趣向くらい、

 

手軽か足軽かは、

どっちゃでも良いから、

 

明確化しておくだけでも無く、

習慣化しておけよ・・・・・・・・・と。

 

 

 

僕自身、

 

応用性、流用性とか良く使いますが、

 

要は、

 

無理矢理にでも、習慣化しているからこそ、

 

勝手に、応用、流用されて行くものでもあり、

 

それによってしか、

出来上がって行かない、

 

ゲシュタルト=全体性ってものが、

存在しうる・・・・・・・・って事なのでしょう・・・・・・・・!!

 

 

 

 

・・・・・・・・あ、

ちなみに、

 

同じ字を書き続けると、

何の字か解らなくなってしまいガチな問題は、

 

字を書く時、

 

細かい細部の部分に拘って書き続けると、

 

自分でも、字の形を忘れてしまいガチになっちゃいますね・・・・・・・・。

 

 

 

それらを踏まえて、

実は、

 

過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・・・・。

 

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

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