剣の形代(つるぎのかたしろ) 121/239 | いささめ

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 後鳥羽天皇の即位の状況はこの時代の人であれば誰もが知っている。ゆえに、帝位に就く資格を有しながら弟に追い抜かれた守貞親王と惟明親王のことは、この時代の人であれば誰もが知っている。これは平家物語の延慶本の伝えるところであるが、どうやら源頼朝は守貞親王を後鳥羽天皇の次の天皇と目論んでいたようなのである。ただし、源頼朝が守貞親王をわかりやすい形で推していたのではなく、文覚を通じて守貞親王の即位の後援をしていたというのが平家物語の記載だ。

 ただ、これは平家物語の過剰反応とも言える。

 守貞親王と文覚の関係は、平家都落ちに帯同させられた守貞親王が壇ノ浦の戦いののちに保護され京都へと戻ったときから始まる。本人の望まぬ形であったとはいえ平家とともに行動させられ、京都に戻ってきたら弟が帝位を継承していたというのが守貞親王だ。京都に戻った守貞親王は、乳母の治部卿局が後白河法皇の姉である上西門院に仕えていた関係から上西門院のもとで養育されるようになり、上西門院が亡くなった後は文覚の庇護のもとで暮らすようになっていた。文覚は色々と評判のある人物であるが、一人の僧侶として、平維盛の子の六代や、平重盛の子で藤原経宗の猶子となっていた平宗実の延命を源頼朝に頼み込んでいたこと、そして、その身柄を預かることで生活を保障していたこと、さらに、治部卿局と平知盛との間に生まれた平増盛を鎌倉の勝長寿院の供僧とすることで助命に成功しているなど、壇ノ浦で散った平家の生き残りの人々を援助していたことは有名である。高倉天皇の第二皇子にして後鳥羽天皇の実兄という特殊な立場であるものの、源平合戦の敗者の一人としてもカウントされてしまっている守貞親王を助け出していることは否定できず、源頼朝にとっても鎌倉幕府に反旗を翻さないでいる平家の関係者を保護している文覚の存在はありがたいものであったろう。また、守貞親王が帝位に就くことがあれば源頼朝にとってこれ以上ない結果であったろう。

 ただ、それは非現実的な話であった。

 弟が退位して兄が帝位に就くだけでも珍しい話であるが、帝位を退いた後に院政を始めるとなると前例など無い。それに、院政を始めることを考えるならば、とっくに元服を迎えている後鳥羽天皇の兄が帝位に就くより、摂政を必要とする幼児が帝位に就くほうが院政をスムーズに遂行できるようになる。文覚は守貞親王のことを有能な人物と評しており、帝位に就いたならば名君になるであろうとしているが、これから院政を始めようと画策している面々にとっては、有能な人物が帝位に就くほど都合の悪いことはない。院政を始めるのに必要なのは天皇親政が期待できない天皇なのである。特に、年少者であるがゆえに摂政を必要とする天皇であれば院政における天皇として最上の選択肢となるのだ。

 

 

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