剣の形代(つるぎのかたしろ) 91/239 | いささめ

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 自分の娘が産んだのが女児であったことを悔やんだという九条兼実であるが、表面上はこれまで通りであろうとしていた。

 しかし、周囲はもう九条兼実から離れだしていた。

 藤氏長者にして関白である九条兼実の肩書きには誰一人として否定できないものがあるが、九条兼実に未来があるかどうかを考えると、無いという結論に至る。後鳥羽天皇との間に生まれた子が女児であったことは九条兼実を落胆させたが、後鳥羽天皇の年齢を、また、九条兼実の娘でもある中宮任子の年齢を考えても、そう遠くない未来に中宮任子が男児を産むことは期待できるはずだが、土御門通親こと源通親の義理の娘である在子も後鳥羽天皇との間の子を妊娠しており、源在子が仮に後鳥羽天皇の間に男児を産んだなら時代は土御門通親のもとに流れていく。

 藤原摂関家に対する世情の視線も、藤原道長の時代とは比べものにならないほど小さくなっている。かつてであれば藤原摂関家の、そしてそのトップである藤氏長者の権威は誰であろうと無視できるものではなかったが、院政が一〇〇年続き、平家政権も成立し、全国規模の内戦を経て鎌倉幕府という巨大権力が誕生した現在、藤原摂関家の当主であることを全面に打ち立てた九条兼実には、九条兼実自身の思っているような権勢など存在しなくなっていた。

 それでも藤原氏の人間であれば九条兼実にある程度の敬意を払うが、土御門通親は藤原氏ではない。土御門通親の養女が後鳥羽天皇の男児を産んだならば、次期天皇の摂政となるのは、藤原摂関家の人間ではなく土御門通親になる。

 おまけに、この時代の藤原氏はかつてと違って一枚岩とはほど遠くなっている。藤原忠通の三人の息子がそれぞれ、近衛家、松殿家、そして九条家と分裂し、互いに協力ではなく反目するようになっているとなると、藤原氏ではない土御門通親が摂政として権力を握ることになろうと、近衛家も松殿家も厭わなくなる。

 九条兼実に対する叛旗の兆候は建久六(一一九五)年九月二二日に確認できる。九条兼実が参内した際に、五節について奏聞し、勅定によって三条公房こと藤原公房らに負担を命じたところ、三条公房は了承したものの、中納言土御門通親が了承しなかったのだ。このときの三条公房は従三位の位階を持つものの参議ではなく、中宮権亮である。それに、まだ一七歳の若者だ。一方、土御門通親は正二位中納言の四七歳であり、位階において、役職においても、そして経験においても三条公房は足下にも及ばないはるかに格上の人だ。その土御門通親が拒否したとあっては、三条公房としても簡単に拒否の理由を問い合わせるなどできない。この瞬間、九条兼実は自分に逆らう勢力が誕生したことを知ることとなった。

 ただし、土御門通親は九条兼実に対する叛意を見せたものの、それが権力を握ることにつながらないことも悟ることとなった。

 このタイミングでもう一人、九条兼実に叛意を見せる人物が現れたのだ。

 後鳥羽天皇が。

 

 

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