コメを用意する者は、コメを用意したところでまともな商品が手に入らない上に、コメを溜め込んでおけばおくほど価値が高まるから、コメを用意することを止めてしまう。
商品を作る者や商品を用意する者は、どんなに商品を用意しても十分なコメが手に入らないから、商品を作ることも商品を用意することも止めてしまう。つまり、失業だ。
しかもこれは現物取引に限ってしまった場合の話である。
ここに宋銭が絡むとどうなるか?
多少はマシになる。
貨幣であればコメよりも溜め込んでおきやすくなるだけでなく、遠隔地との取引も容易になる。それこそ国境を挟んだ取引も可能だ。南宋との交易をしていた平家が滅び、金帝国との交易をしてきた奥州藤原氏が滅んだものの、交易そのものは継続している。日本から物資を運んで、南宋から、あるいは金帝国から物資を運び込むのが一般的な交易であるが、商品と商品とを交換するバーター取引が成立しないとき、不足する支払いはこの時代の東アジア共通通貨となっていた宋銭で執り行うこととなる。物価を定めてしまったせいで市場に商品が流通しなくなったとしても、国外からの輸入品が定めた物価での流通に耐えられるならば、市場に輸入品を並べることによって経済はまだどうにかなる。
だが、九条兼実は宋銭流通を停止してしまった。こうなるとバーター取引を成立させるために交換する物資を増やさねばならなくなる。そして、この時代の経済は日本の物資を国外が欲しがるという輸出超過の状態にあり、結果として宋銭が日本に大量に流れ込んでいるという状況だ。命懸けで海を越えて商品を売って商品を仕入れて日本国内に持ち帰った結果が宋銭だというのに、その宋銭が日本国内では何の役にも立たなくなるというのが九条兼実の命令だ。そんな命令を守るとしたならば海を越えて運び入れる商品の数そのものを増やさねばならないが、それではいったい誰がそんな交易を受け入れるというのか。
たとえば南宋の陶器と日本の木材の交換で取引が成立しているものの、木材のほうが価値が高いので南宋が陶器をどれだけ用意しても日本の木材との交換はできないというケースがあるとする。日本から輸出した木材と交換できるだけの陶器を南宋で用意できたとしても、木材を運んできた船に積み込みきれないというケースだ。このような場合、南宋は陶器だけでなく宋銭も支払いに追加する。宋銭は文句なしの価値を持っているだけでなく小さくて重量もあるので、船に積み込めばバラストの代用品としても通用する。航海中は船の安全運行をもたらし、日本に帰港したら積み込んだ宋銭が日本国内で価値を発揮して市場で流通する。それこそ、日本国内でコメをはじめとする食糧も買える。だからこそ危険を覚悟の上で荒波に乗り出すのだ。
その根底をなす宋銭流通を九条兼実は禁止したのだ。
九条兼実は古き良き時代を取り戻すことを考えていたが、古き良き時代と同じことをしても古き良き時代と同じ生活が戻るわけではない。鎌倉方の勢力を鎌倉幕府へと昇華させてまで後白河院の勢力を弱らせて実現させた政策であったが、この政策は完全に失敗であった。