藤原道長が激怒した朝廷の体制であるが、治安四(一〇二四)年時点ではこの表の通りである。
役職 | 位階 | 氏名 | 年齢 | 兼職 |
---|---|---|---|---|
太政大臣 | 従一位 | 藤原公季 | 六八歳 | |
関白左大臣 | 従一位 | 藤原頼通 | 三三歳 | |
右大臣 | 正二位 | 藤原実資 | 六八歳 | 右近衛大将 東宮傅 |
内大臣 | 正二位 | 藤原教通 | 二九歳 | 左近衛大将 |
大納言 | 正二位 | 藤原斉信 | 五八歳 | 中宮大夫 |
権大納言 | 正二位 | 藤原公任 | 五九歳 | 按察使 |
権大納言 | 正二位 | 藤原行成 | 五三歳 | |
権大納言 | 正二位 | 藤原頼宗 | 三二歳 | 春宮大夫 |
権大納言 | 正二位 | 藤原能信 | 三〇歳 | 中宮権大夫 |
前権大納言 | 正二位 | 源俊賢 | 六五歳 | 民部卿 大皇大后宮大夫 |
中納言 | 従二位 | 藤原兼隆 | 四〇歳 | 左衛門督 |
中納言 | 従二位 | 藤原実成 | 五〇歳 | 右衛門督 |
前中納言 | 正二位 | 藤原隆家 | 四六歳 | 大蔵卿 |
権中納言 | 従二位 | 源道方 | 五七歳 | 宮内卿 皇大后宮権大夫 |
権中納言 | 従二位 | 藤原公信 | 四八歳 | 左兵衛督 春宮権大夫 使別当(二月〇三日去之) |
権中納言 | 正三位 | 藤原朝経 | 五二歳 | |
参議 | 正三位 | 藤原経通 | 四三歳 | 治部卿 右兵衛督 大后宮権大夫 |
参議 | 正三位 | 藤原資平 | 三九歳 | 皇大権大夫 侍従 近江権守 |
参議 | 従三位 | 藤原通任 | 五二歳 | 大蔵卿 美作守 |
参議 | 従三位 | 藤原兼経 | 二五歳 | 右近衛中将 |
参議 | 従三位 | 藤原定頼 | 三三歳 | 左大弁 備後権守 |
参議 | 正四位上 | 藤原広業 | 四八歳 | 伊與権守 |
かなり藤原氏が多いと感じたであろうが、それよりもさらに根深い大問題があった。
こちらが藤原忠平の子孫たちの系図である。
表に記した面々のうち太政大臣藤原公季は議政官のメンバーから除かれるから、この時点で議政官を構成するメンバーは二一名となる。
その二一名のうち一八名が藤原忠平の子孫である。源氏二名、そして、藤原北家の一員ではあるが藤原冬嗣の子孫ではなく、大学を出て役人となりキャリアを積み重ねて議政官入りした藤原広業、この三名しか藤原忠平の子孫以外の人がいないのである。ちなみに、藤原広業は藤原有国の次男であり、キャリアの積み重ねという点では父と同じ道を歩んでいる。
これは異常事態とするしかない。
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