🌸仏教の成り立ち2
⛳すべての仏典は「偽経」である
☆仏典は、それぞれの宗教に存在する聖典の一種である
* 一神教における聖典とは根本的に性格を異にしている
☆ 一神教では、その内容は定められている
*いくら聖典と内容が重なるとしても、公式な聖典とは認められない
*キリスト教では、非公式のものは「外典」と呼ばれる
☆仏教では、公式に定められた聖典は存在しない
*どの仏典を所依の聖典とするかは宗派によって異なる
*ある宗派が認めている仏典でも、宗派が異なれば聖典ではない
☆仏典に「偽経」という言い方がある
*中国や朝鮮半島、日本など、インド以外で作られた経典を言う
☆釈迦の教えを信奉する人間の数が増え
*出家者が共同で生活する「サンガ ゴ」仏教教団が組織される
*教えを文字で書き著す必要が出てきた
*そこで行われたのが、「結集」
*結集は何度か開かれたとされる
*弟子たちの記憶にもとづいて師である釈迦の教えを披露し
*精査した上で仏典を作ることが試みられた
⛳煩悩はなぜ生じるか
☆釈迦の入滅後「大衆部」と「上座部」への分裂が起こる
*上座部は保守派で戒律に徹底的に従うことを求めた
*その緩和を求める動きが生まれ
*金銭による布施が法にかなっているとする大衆部が誕生した
☆仏教の大衆部と上座部に内部分裂を起こして「部派仏教」の時代
*その後に「大乗仏教」の運動が勃興し仏教は大きな変容を遂げていく
☆初期仏教は、バラモン教のウパニシャッドに示されたような
*壮大な宇宙論には関心を寄せず、人間の「こころ」を問題にした
*このこころの重視は、その後の仏教にも受け継がれていく
☆空や無を認識するのは、こころにほかならない
*人間のこころに生じてくるのが各種の「煩悩」であり
*煩悩にとらわれることで人は「苦」を感じる
*人が生きることが必然的に苦をともなうという認識
☆仏教に限らずインドに生まれた宗教全般に共通する基本的な考え方
*苦は、輪廻のくり返しがもたらす苦にも結びついていく
⛳バラモン教では、苦行を通してその苦を克服していく必要が説かれる
☆釈迦も出家後の修行時代にはこの苦行を実践した
☆仏教では、苦を感じる主体である自己という存在を
*実在をともなわない「無我」としてとらえることで
*苦やそれを引き起こした領悩が消え去るという立場をとる
☆苦を感じる主体がそもそも存在しないならば
*苦などあり得ないというわけ
*根本的に「無常」であるという認識が働いている
*無常であるなら物事が永遠に続くと考えるのは愚かなことである
*それは自我あるいは個我についても言えることで
*無我と無常とは一体の関係にある
*本来、世界は無常で自己は無我であり、苦を感じる必要はない
⛳煩悩が生じてくる理由
☆初期仏教で「十二縁起」の説で説明されている
*人間が吉を感じるのは老いて死ぬという現実があるからで
*老死があるのは、人間が生を得たからにほかならない
*十二の縁起を老死から遡っていくならば
*最終的には無明、つまりは根本的な無知にたどりつく
☆初期仏教の教えのもう一つ重要な柱「四諦八正道」
*四諦の諦は真実を意味し苦諦、集諦、滅諦、道諦からなる
*人間が迷うのは苦があるからで、苦は煩悩によって生じ
*煩悩がなくなった状態が仏教の求めるところである
*苦を滅する具体的な方法として八正道が示されている
*正しく物事を見て、正しく考え、それを正しくことばにして表現し
*正しい振る舞いを実践し、正しい生活を実現し、正しい努力を行い
*正しい心遣いを示し、正しい精神統一を行うべきだという
☆初期仏教の教え、過激な苦行にも行き着かないし快楽主義にも堕しない
*両者の中間を行く「中道」であった
☆キリスト教やイスラム教について言えることだが
*新しい宗教が誕生したばかりの段階では
*世の終わりが近づいていることに対して警告が発せられ
*根本的な悔い改めや社会の全面的な刷新などの必要性が主張される
*終末論が説かれる
*しかし、仏教の誕生直後には極めて穏当な教えが説かれた
(敬称略)
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⛳出典、『世界の宗教がざっくりわかる』
『仏典=偽経』『仏教(無我⇒苦消失)』『十二縁起』『四諦八正道』
(ネットより画像引用)