『七草粥』『節分の厄払い』『田・山の神』 | けいきちゃんのブログ

🌸怪しげなしきたに踊らされるな3


⛳七草粥は珍しい古くからのしきたり
 ☆中国では毎年、官吏の昇進を1月7日と決めていた

 *その日の朝、立身出世を願つて

 *薬草である若菜を食べるというしきたりがあった
 ☆平安時代に日本に伝えられると

 *宮廷の儀式として七草粥を食べるようになる

 ☆江戸時代には、それが庶民にも広がり

 *七草粥を食べれば、その年病気にならないと言われるようになる

 ☆明治に入る時点で、中国のものであり

 *日本古来のものではないとして廃止されている

 ☆現代の日本人は、健康にいいというだけで

 *サプリメントのように七草粥を食べているのかもしれない

節分の厄払い
 ☆節分は、中国から伝わり七草粥と似ている
 *節分は、立春の前日の行事であり、邪気や鬼を祓うものとされてきた

 *「鬼は外、福は内」で豆を撒くしきたり、室町時代にあった
 ☆厄年を気にする人は多い

 *前厄、本厄、後厄と続く期間に、神社仏閣を訪れ、厄祓いをしてもらう
 ☆節分や立春は祝日ではなく、昔より重視されていない
 *節分は、しきたりとしては次第に衰えてきた

 *恵方巻という新たなしきたりが生み出され、瞬く間に広がった


⛳田の神も山の神も都会にはいない
 ☆しきたりが栄枯盛衰をくり返していくのは

 *私たちの生活が変化していくから

 ☆日本人の信仰の中心は先祖崇拝にあるとされてきた

 *その役割は仏教が担つてきた

 ☆先祖の霊に関して柳田邦夫の説明

 *先祖の霊は、仏教での西方極楽浄土に行ってしまうのでなく

 *近くの山にいて、冬の期間には山の神となって子孫を見守り

 *春になると里に降りてきて、田の神として子孫の経済生活を支える

 *日本の社会に、そうした考え方がはっきりと存在していた
 ☆日本人の先祖崇拝で、日本人の宗教観が説明されている
 *この説は、山の神や田の神が登場するように

 *あくまで農家の生活をベースにしたもので都会では成り立たない

 *戦後、夫の両親と同居せず、家のしきたりが力を持たなくなった

 ☆私たち日本人は、今やしきたりから解放されつつある

 *しきたりは、村や地域社会、組織といった

 *特定の共同体によって、守られてきたものである

                      (敬称略)

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『七草粥』『節分の厄払い』『田・山の神』

(ネットより画像引用)