「浄土宗」「法然」『南無阿弥陀仏』 | けいきちゃんのブログ

🌸浄土宗ー宗祖法然

 

 ☆末法の不安と絶望を救うため念仏に生涯を賭した改革者


⛳念仏の教えに開眼した法然
 ☆「鎌倉新仏教」の先駆けとなった浄土宗の開祖が法然
 *法然は13歳で比叡山に入る
 *法然は秀才の誉れ高く、比叡山黒谷で約20年間修行を積む

 *「われ聖教を見ざる日はなし」というほど真剣に求道に徹した

 *しかし、生死の迷いを超える確信はついに得られなかった
 ☆法然は、悩んでいたが43歳のときに念仏の教えに開眼する

 *中国の浄土教の僧・善導の著書の『南無阿弥陀仏』より
 *念仏をひたすら称えれば極楽往生できる文章

 *それは阿弥陀如来の本願によって決定しているとの一文

 *それを見て一瞬にして長年の迷いが晴れ、回心した
 ☆法然は修行の一切を否定し、念仏をひたすら称える

 *専修念仏の思想を確立していく

 *浄土宗を開宗し、比叡山を下りて京都東山に草庵を結んだ
 ☆厳しい修行を積まなくても、「南無阿弥陀仏」と称えれば往生できる
 *単純明快な教えは、民衆にとって画期的なものだった

 *教えを受けるのに、男女も身分職業の差もなかった

 *みなこぞって法然の教えに耳を傾けるようになる

 *法然の名は広く知られるようになった

激化する旧仏教側からの弾圧
 ☆法然は比叡山や奈良の旧仏教の側から批判にさらされる

 ☆旧仏教側はさまざまな修行を否定する法然の教えに反発を強めた

 ☆公開討論会(大原問答)が実施された
 *法然は、優れた諸宗の修行方法や悟りの内容を説明したうえで

 *優れた教えでも末法の今、多くの人々が救われない教え意味もないと

 *自分のような凡夫は、念仏の行によるほか救済される道はないのだと

 *堂々と告白し、多くの人々の共感を得た
 ☆法然の名はますます知れ渡り

 *念仏の教えは僧俗や階層、男女の別を問わず広がった
 *時の摂政関白・九条兼実も法然の信仰に帰依した

 ☆旧仏教側が念仏をやめさせるよう朝廷にはたらきかけた

 *専修念仏は停止され、法然は四国へ流罪となった

 ☆法然は、最後まで念仏を称えながら入寂のときを迎えた

法然死後の浄土宗(徳川家の帰依を受け地位を保つ)
 ☆法然の問弟は、法然の祖廟を建てて拠教えを広めていった
 *知恩院を拠点にした証空の西山派

 *九州での教化に尽力した弁長の鎮西派

 *弁長から教えを受け関東で教線を延ばした良忠らが活躍

 ☆江戸時代には徳川家の帰依を受けて増上寺が菩提寺となり

 *幕藩体制を支える教団に成長

 ☆近年、鎮西派と浄土本宗合同し知恩院を総本山とする浄土宗になる

                          (敬称略)

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「浄土宗」「法然」『南無阿弥陀仏』

(『比べてわかる!日本の仏教宗派』記事より画像引用)