「空海」「真言宗」「密教」「真言宗36総大本山」 | けいきちゃんのブログ

🌸空海

 ☆完全な密教を日本に広め、社会事業にも尽力した「お大師様」


空海、安定した将来を捨てて仏門に入る
 ☆真言宗の開祖である空海

 *最澄よりも先に日本の密教を確立した僧である

 ☆庶民のための土木事業や教育など幅広い活動を行なう

 *詩文や書道にも優れていた
 ☆空海、京都の大学に入って役人をめざすが

 *役人になるための勉学に満たされず、数年で自主退学した

 *中央官僚という安定した将来を捨て、四国などで修行する
 ☆室戸岬で求聞持法の修行をしていたとき、空海は神秘体験を得る

 *虚空蔵菩薩の化現、明けの明星が、空海の目に飛び込んできた

 *空海は仏教に対する確信を深め、『大日経』経典に出逢って、

 *密敦の教えこそが真理だと直観するに至った
 ☆唐で密教を学ぼうと決意し、遣唐使船に乗り込んだ

 *唐の都・長安では、大日如来から続く密教の正統な後継者

 *青龍寺の恵果に師事し超短期間で密教を体得した  

 *胎蔵界と金剛界、伝法阿閣梨位の3つの灌頂を授けられた

日本の密教の第一人者として活躍
 ☆密教の奥義をすべて受け継いだ空海、急ぎ日本へ帰国する

 ☆朝廷では皇位継承をめぐって藤原薬子の乱が起こる

 *嵯峨天皇と平城上皇が対立するなど、政局は不安定だった

 *空海が高雄山寺で鎮護国家の大法を行なうと、薬子の乱はおさまった

 *空海の名は全国に広まり、灌頂を受けようという人々が殺到した
 *そのなかには最澄の姿もあったが、2人の亀裂が徐々に拡大

 ☆空海本格的な布教活動をはじめた
 *高野山を下賜されて金剛峯寺の建立に着手

 *讃岐の満濃池を修築したり

 *東大寺に真言院(灌頂道場)を建てるなどの業績を重ねた


空海死後の真言宗
 ☆分派を繰り返すが、基本の教えは維持
 *空海の死後、真言宗は金剛峯寺と東寺を拠点に発展を見せた

 *宗の主導権争いなどもあつて、どちらも次第に勢いを失っていく

 *宗勢は回復したものの、内部には数多くの流派が誕生する

 ☆空海の本義にのっとって教学の復興をめざしたのが覚鑁

 *彼は浄土信仰を教義に取り入れ布教につとめた

 *紀ノ川沿いの根来寺に本拠を移して新義真言宗の祖となる
 ☆覚鑁の流れを汲む京都智積院を総本山とする智山派

 *奈良のの長谷寺を総本山とする豊山派などに分流

 *現在の真言宗は38総大本山になっている

 *それでも空海の数えの根本はどの分派場変わりない
 *現世で、生きながらにして成仏することができる

                          (敬称略)

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「空海」「真言宗」「密教」「真言宗36総大本山」

(『比べてわかる!日本の仏教宗派』記事より画像引用)