「五・一五事件」「三上卓」「犬養毅」 | けいきちゃんのブログ

🌸現役の首相を銃殺した三上卓

 

官邸に押し入り犬養毅を暗殺する

 ☆「五・一五事件」昭和7に発生したクーデター
 *4年後に起きた「二・二六事件」
 *どちらの事件も青年将校らが昭和維新の旗の下に

 *政治家や官僚を襲つた事件
 ☆二・二六事件では1000人以上の兵が動いた

 *五・一五事件に関与したのはほんの30人ほど
 *五・一五事件がなかったら二・二六事件は起こらなかった
 ☆主犯の一人三上卓
 ☆三上は当時27歳の海軍中尉だった

 *右翼団体に影響を受けて国家改造という思想に傾倒していった
 *五・一五事件では首相官邸の襲撃のリーダーとして

 *当時の首相である大養毅に銃を向け殺害している
 ☆軍法会議では禁固15年の判決に止まったうえ

 *実際には4年ほどで仮出所した

 *首相を殺害するという大罪を犯した彼が

 ☆4年あまりで仮出所できた理由
 *一般公開になった軍法会議にあった
 *三上はそこで多くの傍聴人の同情を集めた

 

話し合いに応じず「問答無用」で殺す

 ☆三上は軍法会議で述べた

 *覚悟のうえで行ったことで罰せられることに異論はない

 *今の支配階級は皇国を危うくするの言葉に人々が共鳴した

 *黒岩がいなければ三上は大養に言いくるめられていただろう
 ☆三上は詩的センスがあった

 *軍歌のひとつ「昭和維新の歌」の作詞を手掛けている

 *そのセンスがなかったら三上の運命は違ったものになっていた

 

三上の行動は、のちのクーデターに影響を与えた

 ☆殺害されたのは犬養一人だった

 *世界恐慌の直撃を受けて困窮していた世相や

 *雄弁な三上の陳述によって

 *五・一五事件の犯人グループで

 *死刑になった者は一人もいなかった
 ☆寛大すぎる処置がのちに二・二六事件を起こす

 *青年将校らに、誤解を与えてしまった
 *二・二六事件に加わった反乱将校たち

 *五・一五事件の前例があり
 *自分たちに対する量刑もそれほど重くはならないと信じていた

 ☆二・二六事件ののちに開かれた軍法会議は非公開になった

 *事件の首謀者は全員死刑判決を言い渡された
 *そう考えると、昭和の動乱の引き金を引いた元凶は三上卓だった

                       (敬称略)

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「五・一五事件」「三上卓」「犬養毅」

(『日本史の黒幕』記事より画像引用)