「芹沢鴨」「力士乱闘事件」「大和屋襲撃」 | けいきちゃんのブログ

🌸新選組の暴れん坊、芹沢鴨

 

芹沢鴨、仲間に暗殺される
 ☆新選組の局長は、発足当初近藤勇他2人の局長が存在していた
 *芹沢鴨と彼の腹心だった新見錦
 *筆頭局長芹沢は、新選組の誕生になくてはならない存在だった
 *彼らは清河八郎が集めた「浪士隊」という集団の隊士だった

 *名目上は上洛する将軍・徳川家茂の警護を目的としていた

 *清河の真の狙いは尊王攘夷にあった
 ☆彼らが会津藩の預かりになれたのは、藩内に芹沢の兄がいたから
 ☆新見と芹沢は相次いでこの世を去っている

 *近藤たちに粛清された
 ☆新選組には「局中法度」と呼ばれる厳しい規則がある

 *少しでも規律からはずれるとすぐさま切腹させられた
 *粛清された者は40名以上
 ☆芹沢の場合は切腹ではなく暗殺だった
 *会津藩から密かに芹沢暗殺の命令が下っていた

 ☆芹沢は、近藤も会津藩も手に負えないほど悪行の限りを尽くした

 *悪の主役というべき人物だった

⛳芹沢、力士を相手に大暴れ
 ☆芹沢は背が高く、神道無念流という剣術の使い手だった
 *気に入らないことがあれば即座に実力行使に出る

 *粗暴な性格のため、何度となく騒ぎを起こしていた
 ☆水戸天狗党に参加していた頃には

 *資金が集まらないというだけで部下を3人も斬り殺した
 ☆新選組に加わってからも

 *上洛途上で宿の部屋割りが気にくわないと騒ぎを起こし

 *近藤が土下座して謝る場面もあった
 ☆彼が引き起こした数々の事件の中でも

 *大坂力士乱闘事件は有名だ

 ☆芹沢らは、もめ事で力士を蹴散らしたた

 ☆力士が仲間30人を連れて報復にやってきた

 *両者入り乱れての大乱闘が始まった
 *芹沢は、棒切れしか持たない力士3人を斬り捨てた

 

芹沢鴨、死後も新選組に影響を与える
 ☆芹沢の暴挙が頂点に達したのが、大和屋襲撃事件
 *豪商大和屋に軍資金の依頼に行ったところ、断られる

 *激怒した芹沢は隊が所有していた大砲を持ち出して

 *大和屋を砲撃し、店を焼き払ってしまった
 *この一件が、芹沢自身の首を絞めることになった
 ☆彼の暴走をこれ以上放つてはおけないと判断した会津藩

 *近藤らに芹沢を抹殺する指令を下した
 *芹沢は仲間に惨殺されるという最期を迎える
 ☆彼の死によって新選組の結束は近藤を中心とし強固なものになる

 *幕末最強の剣客集団として京の街を震え上がらせていく
 ☆芹沢が暗殺された場所は長崎の島原だった

 *宴会で酒を飲み、そのあと愛人とともに床にいたところに

 *隊士が乱入して惨殺されている

                       (敬称略)

⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載

⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介

 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します

⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います

⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で

⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください

⛳出典、『日本史の黒幕』

 

「芹沢鴨」「力士乱闘事件」「大和屋襲撃」

(『日本史の黒幕』記事より画像引用)