「吉良上野介=最悪のヒール」「赤穂浪士=武士の鑑」 | けいきちゃんのブログ

🌸吉良上野介(江戸時代中期)パワハラ

 

『要旨』

 ☆内匠頭は切腹すら覚悟のうえで上野介を討とうとした

 *事件の背景には上野介のたび重なる陰湿なイジメが隠されていた

 ☆上野介は、ウソをついて相手の仕事を妨げた

 *芝増上寺の畳替えにまつわるウソ、誤った接待料理の内容を教える等

 ☆吉良上野介、家に押し入られ殺害される

 *吉良上野介は、江戸時代最悪のヒールとして今も君臨している

 

「吉良上野介=最悪のヒール」「赤穂浪士=武士の鑑」

 (『日本史の黒幕』記事より画像引用)


斬りかかられるほど浅野を追い詰めた吉良上野介
 ☆赤穂藩主浅野内匠頭、突如吉良上野介に小刀で斬りかかった
 *その場に居合わせた者が内匠頭を後ろから取り押さえた

 *上野介が慌てふためいて逃げ出し騒ぎはとりあえず収束する
 ☆この一件を耳にした将軍綱吉が激怒した
 *内匠頭、その日のうちに切腹、御家断絶という厳しい処罰がされた

 *上野介には、なんのおとがめもなかった
 *なんとも上野介びいきの裁定だ
 ☆内匠頭は切腹すら覚悟のうえで上野介を討とうとしたのか

 *事件の背景には上野介のたび重なる陰湿なイジメが隠されていた

上野介は、ウソをついて相手の仕事を妨げた
 ☆吉良家は代々、幕府と朝廷との間の典礼をつかさどる高家の役職

 *礼法の指南役で、使者を接待する役目を任じられた

 *内匠頭を指導する立場にあった
 *上野介には、どのような名家も媚びて指南料として

 *賄賂を渡して教えを受けていた

 *潔癖な内匠頭はこれを拒否した
 ☆立腹した上野介が、内匠頭にさまざまな嫌がらせをした

 ☆芝増上寺の畳替えにまつわるウソ
 *浅野家が畳替えをすべきかどうかを上野介に質問したところ

 *「そこまでしなくてもいい」という答えが返ってきた
 *前日の夜になってじつは畳替えが必要だということが判明した
 *焦った浅野家の家臣たちは、畳を徹夜で新しいものに取り替えた
 ☆誤った接待料理の内容を教える等

 *事件当日も儀式で身につける式服の種類を偽って教える
 ☆何度も恥をかかされた内匠頭が怒りを募らせていった


卑怯なやりかたで、上野介は恨みを買う
 ☆上野介の言い分は疑わしく、自分も手傷を負ったとはいえ

 *相手をまんまと切腹に追いやったのだから

 *上野介は内心ほくそ笑んでいたかもしれない

 ☆こうした上野介のやりかたが赤穂浪十の討ち入りを引き起こした

吉良上野介、家に押し入られ殺害される
 ☆自分は非もないとシラを切りとうした上野介

 *最期のときが追っていた
 ☆松の廊下の刃傷事件から約2年後
 *赤穂藩の筆頭家老だった大石内蔵助率いる47人の赤穂浪士

 *本所吉良邸に討ち人った
 ☆その日、吉良邸では盛大な茶会が催されていた

 *夜になると人々は酒に酔ってすっかり寝静まっていた
 *吉良家の家臣は次々と斬られ

 *炭小屋に隠れていた上野介も見つけられる討ち取られた
 ☆上野介の首は高輪・泉岳寺にある内匠頭の基前に捧げられ

 *その後、吉良家は御家断絶の憂き目をみることになる
 ☆世間からは武士の鑑と賞賛された赤穂浪士

 *討ち入りから50年近く経って赤穂事件をモデルにした

 *人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が上演されると絶大な人気をし

 *現代に至ってもその勇姿は人々に語り継がれている
 ☆吉良上野介は江戸時代最悪のヒールとして今も君臨している

                       (敬称略)

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⛳出典、『日本史の黒幕』