石田三成(優秀だが軋轢を起こした武将) | けいきちゃんのブログ

🌸石田三成、優秀だが決まって軋蝶を起こした武将

 

 ☆周囲を気遣うことに欠ける日常的な態度

 ☆秀吉に不満を持つ武将から襲撃を企てられる要因になった

 

⛳島津義弘を怒らせ戦意を奪う
 ☆石田三成は、近江・長浜の大名だった羽柴秀吉に見出された

 ☆デスクワークを中心に卓越した才能を示した

 ☆三成は、佐和山19万石の大名になった

 ☆豊臣政権で、五奉行の実質的なリーダーとして働き

 *秀吉の没後も豊臣政権の維持に尽くした

 ☆徳川家康の台頭があり

 *家康を討つために関ヶ原の戦いを起こして敗れ、処刑された

 ☆石田三成を問題にしたいのは、彼の日常的な振る舞い

 ☆関ヶ原の戦いに際し、彼は島津義弘を怒らせた

 *夜襲を進言した義弘に、天下を争う戦いは正々堂々であるべし

 *夜襲なぞは田舎でやれと嘲弄したという

 ☆三成は「戦いのプロ」である義弘の戦意を奪った
 ☆三成は、優秀であるが決まって周囲と軋礫を起こす

 *自分は正しいことをしている

 *それを理解しない周囲がダメなんだの理論

 *現場に対し、いつもそんなオーラを三成は放出していた

 

石田三成打倒に「気に喰わない」がエネルギーに
 ☆三成が気に喰わない、やっつけろ.

 *加藤や福島にそうした行動を取らせた

 ☆それが行動のエネルギーになっている
 *一因は、間違いなく三成の日常的な態度です


⛳秀吉の無謀な軍事作戦で人心は離れ
 ☆加藤・福島らは「秀吉への不満」を蓄積していた

 *自分を取りたててくれた太閤殿下に意見することはできない

 *三成襲撃は、それが秀吉の不満として三成に向いた

 ☆不満の原因、具体的には朝鮮出兵

 *秀吉の判断ミスが、無謀な軍事作戦で疲弊した諸将の嘆きとなり

 *人心は離れ、豊臣政権は倒れた

 ☆衰退と滅びのムーブメントを一身に体現したのが、三成だった

                     (敬称略)
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⛳出典、『THEMIS5月号』他

 

石田三成(優秀だが軋轢を起こした武将)

(ネットより画像引用)