戦国時代4(川中島・姉川の戦い) | けいきちゃんのブログ

🌸川中島の戦い

 

 ☆川中島を舞台にした戦国最強を決める戦い

戦国時代の川中島の戦い
 ☆甲信越では、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が覇権を競い合っていた

 *信玄は領土拡大のため北上して信濃へ侵攻

 *謙信は、信玄によって領国を奪われた者たちを救援し信玄と敵対

 ☆両者は信濃川中島を中心にたびたび交戦した

 *最大の激闘となったのが第4次合戦
 ☆関東に出兵し小田原城を包囲するまで軍を進めた謙信

 *鎌倉で関東管領に就任し、その後越後に戻った

 *北条氏の要請を受け、信玄を討つため謙信は兵を川中島に進める

信玄と謙信の―騎打ちの詳細不明
 ☆数々の伝説に彩られた川中島の戦い

 ☆クライマックス、武田信玄と上杉謙信の一騎打ち

 *諸説あり、定まっていない

 

関東攻略を中断して川中島に向かつた謙信
 ☆川中島の南にに布陣した上杉謙信

 ☆武田信玄は千曲川を挟んだ茶臼山に陣を置いた

 ☆信玄は隊を二手に分け

 *一方が謙信の背後を突いておびきだし

 *一方が狭撃する「キツツキ戦法」を採用

 ☆謙信はこれを見破り武田軍と激しくぶつかった

 ☆両軍で多くの死傷者を出し決着はつかず、戦いは痛み分け

将、上杉謙信
 ☆戦国最強を謳われる越後の龍
 ☆関東管領の上杉氏の名跡を継ぎ上杉政虎と名乗る

 *出家して謙信と称した

 ☆謙信には、国を追われた者たちを庇護する懐の深さがあった

 *今川氏から塩の取引を止められた信玄へ

 *越後の塩を送った逸話もある

 

🌸姉川の戦い

 

 ☆包囲された支城を救うため出撃して行う後詰決戦の典型

戦国時代の姉川の戦い
 ☆浅井長政は、信長の妹を正室に迎え織田氏と同盟を結んでいた

 *信長が越前に攻め込んだ際

 *旧来の仲である朝倉氏に味方した

 ☆裏切りにより信長は浅井討伐のため

 *徳川家康の加勢も受けて近江へと軍を進めた

 ☆織田・徳川軍と浅井・朝倉軍は姉川を挟んで激突した

 *兵力で劣る浅井・朝倉軍は次第に劣勢に追い込まれる
 *浅井・朝倉軍は敗走し、織田・徳川軍が勝利を収めた

 *戦いは激戦で、姉川は死者の血で赤く染まった

 

横山城救出のための後詰決戦
 ☆近江の浅井領に侵攻した信長

 *浅井氏の本城・小谷城に近い横山城を包囲し徳川家康が合流する

 ☆浅井長政は、横山城の後詰のために朝倉軍とともに出撃

 *姉川に防衛線を張った織田・徳川軍と衝突する

敗軍の将、朝倉義景
 ☆小京都・一乗谷を治める北陸の雄

 ☆姉川の戦いで敗戦した浅井・朝倉氏は小谷城へと退却

 *3年にわたり信長に抵抗を続ける

 ☆信長は一乗谷を攻略
 *城を落ち延びた義景が自害し朝倉氏は減亡した

 *信長は、次いで浅井氏の討伐に向けて近江へ向かう

                        (敬称略)                                     

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⛳出典、『日本の合戦』

 

 


戦国時代4(川中島・姉川の戦い)

(『日本の合戦』記事より画像引用)