19世紀後半の地政学(激化する植民地獲得競争) | けいきちゃんのブログ

🌸19世紀後半の地政学(激化する植民地獲得競争)

⛳ランドパワーの巻き返しが鉄道の発達によって始まる
 ☆19世紀前半にイギリスから始まった鉄道の敷設

 *陸上輸送の輸送量や輸送時間に革新をもたらした

 ☆鉄道は、ランドパワー国家が、巻き返しを図る強力な武器となった

 *ロシアは、東アジアへの進出を目指してシベリア鉄道の建設に着工

 *ドイツも鉄道政策を打ち出し国力を強化しようとした
 ☆海上交通は、帆船に代わって汽船が主力となる

 *輸送量の増大と移動時間の短縮を実現した

 *スエズ運河が完成も大きく寄与した

 ☆イギリスやフランスに加えてドイツやアメリカ

 *植民地獲得競争に参加する帝国主義時代が到米した


南下政策のロシアとイギリスがことごとく対立
 ☆ランドパワーのロシア

 *不凍港を手に入れたいとの長年の悲願があった
 ☆ロシアが目をつけたのは、オスマン帝国の黒海や地中海

 ☆ロシアはオスマン帝国に対して

 *クリミア戦争や露土戦を仕掛けた
 *オスマン帝国側をイギリスが支援した
 ☆ロシアは南下の突破口を中央アジアにも見出そうとする

 *インドヘの侵人を防ぎたいイギリスと激突
 ☆ロシアは、清から満州東岸の沿海州を奪う

 *ウラジオストク港を建設する
 *ウラジオストクはロシアにとり数少ない不凍港
 ☆ロシアは次に朝鮮半島を狙った

 *ロシアに対峙したのは、新興国の日本だった

⛳日本が近代国家の仲間入りを目指す
 ☆明治維新後の日本はヨーロツパ型の国家モデルを受け入れる

 ☆日本は、列強から近代国家として認められるべく諸制度を整えた

 ☆日本を含めた列強の餌食となつた朝鮮

 *中国を中心とした華夷秩序の世界観に囚われ

 *鎖国を続けようとした

 ☆日本は、朝鮮半島の主導権を巡り、日清戦争を戦い勝利する

⛳ドイツビスマルクの巧みな外交術で地位を高める
 ☆ヨーロッパでは、戦勝後にドイツ帝国が誕生

 *プロイヤンを中心にドイツ諸国が一つにまとまる

 ☆統一後のドイツの宰相を務めたビスマルク

 *ビスマルクは、ドイツの地理的環境をよく理解していた

 *ビスマルクは、ロシア、オーストリアと三帝同盟を結ぶ

 *イギリスとも協調関係を築く

 *フランスを孤立に追い込んだ

 ☆ビスマルクの巧みな外交戦略で、ドイツの存在感が高まる

                        (敬称略)

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⛳出典、『新地政学』

 

 

 

19世紀後半の地政学(激化する植民地獲得競争)

(『新地政学』記事より画像引用)