🌸「応仁の乱」2(細川と山名の権力争い)
⛳応仁の乱の本質「誰が幕府の運営をするか」を巡る権力争い
☆応仁の乱は、細川と山名による幕府内の勢力争い
*両家の火種になっていたのは、瀬戸内海の交易権だった
☆瀬戸内海の交易を押さえれば、豊かな富が手に入る
☆瀬戸内海交易の延長線上には、日明貿易の利権もある
☆それが、応仁の乱が11年も続いた要因のひとつ
⛳幕府を二つに分けた足利尊氏と直義の兄弟の戦い
☆応仁の乱の根底は、足利尊氏・直義兄弟の戦いである
☆足利兄弟が、室町幕府を立ち上げた
*兄の尊氏が軍事を担当し、弟の直義が政治を担当した
*幕府の機能を二つに分割して治めようとした
☆室町幕府は幕府の役割を二つに分けた事
*応仁の乱につながる幕府の問題だった
☆尊氏と直義には、大きな意見の相違があった
*尊氏は「京都に幕府を開き、朝廷と一緒に政治を行う」との考え
*直義は「武家と朝廷は距離を取ったほうがいい」の考え
☆尊氏が京都で政治を行うことにこだわったのは経済を重視
☆直義は、貨幣でなく昔ながらの「米」のスタイルの経済
☆「農業」と「商業」の戦いでもあった
⛳足利兄弟の争いから発展した、大名たちの争い
☆三代将軍の足利義満の時代
*幕府の力を強めるために、有力な大名の討伐を行う
☆標的は、土岐氏、次が山名氏、最後は大内氏
*「三つの家を攻撃」を義満に指導していたのが細川頼之
☆義満は祖父の尊氏と同様
*「朝廷と協力して政治を行おう」姿勢を継承する
*「幕府が朝廷を吸収」という方向性に舵を切る
☆義満が貴族の官職を与えられる
*室町将軍家が朝廷と幕府の両方に君臨する室町王権となる
*武士でありながら、貴族としても高い身分を持つ
☆室町王権の形成を推進したのは細川頼之
*土岐、山名、大内が潰されていった
*しかし、相手を滅ぼす力は、足利将軍家にはなかった
(敬称略)
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⛳出典、『日本史の論点』