正親町天皇(蘭奢待、譲位問題) | けいきちゃんのブログ

🌸正親町天皇(蘭奢待、譲位問題)

 

 ☆日本の第106代天皇

 ☆正親町(おおぎまち)天皇と織豊政権は親密な関係であった

 ☆正親町天皇の譲位問題は信長が拒否した

 ☆正倉院の蘭奢待(らんじゃたい)持ち出しを正親町天皇信長に許した

正親町天皇の即位と生涯

  ☆後奈良天皇の第一皇子として生まれた

 *後奈良天皇の崩御に伴って践祚した

 ☆当時、天皇や公家達は貧窮していた

 *正親町天皇も即位後約2年間即位の礼を挙げられなかった

 ☆安芸国の戦国大名・毛利元就から即位料・御服費用の献納を受ける

 *即位の礼を挙げることが出来た

 ☆本願寺法主・顕如も莫大な献金を行った

 *天皇から門跡の称号を与えられ、これ以後本願寺の権勢が増した

 *キリスト教宣教師の京都追放を命じた

正親町天皇と信長との関係

 ☆朝廷の財政は逼迫し、権威も地に落ちかけていた

 ☆織田信長は、正親町天皇を保護する大義名分で京都を制圧した

 *信長の上洛・支援で、逼迫していた朝廷の財政回復した

 ☆信長、天皇の権威を用い敵対勢力との講和の勅命を実現させた

 *朝倉義景・浅井長政との戦い、足利義昭との戦い、

 *石山本願寺との戦いにおける講和も正親町天皇の勅命によるもの

 ☆天皇は、信長に蘭奢待の切り取りを許可した

 *天皇は信長の生前の極官となる右大臣を宣下した

 

⛳イエズス会の宣教師の正親町天皇の報告書

 ☆日本には正親町天皇と織田信長の2人の統治者がいると報告書に記述

 ☆日本の世俗国家は、2つ権威貴人首長で統治されている

 *ひとり(天皇)は栄誉の授与、他(信長)は権威・行政・司法に関与

 *どちらの貴人もみやこに住んでいる

 *栄誉に関わる貴人の職は世襲である

 ☆民びとは天皇を偶像のひとつとしてあがめ、崇拝の対象としている

 

⛳正親町天皇と豊臣秀吉との関係

 ☆豊臣秀吉は御料地や黄金を献上し、正親町天皇を政権の後ろ楯とした

 ☆皇室と織豊政権の相互関係は続き、結果的に皇室の権威は高まった

 ☆孫の和仁親王(後陽成天皇)に譲位して正親町天皇隠退した

⛳正親町天皇の譲位を信長が譲位を要求したとする説

 ☆正親町天皇は信長にその存在を疎まれるようになり、譲位を要求される

 ☆信長としては、儲君の誠仁親王を早く天皇にすることで、

 ☆朝廷の権威を利用しやすいものにしようという思惑があった

 ☆天皇はそれを最後まで拒んだ

⛳正親町天皇の譲位を信長が反対したとする説

 ☆正親町天皇が譲位を希望して信長がこれに反対していたという説

 ☆正親町天皇から退位の意向が信長に伝えられた

 *天皇・信長のどちらかが譲位を希望しても

 *「退位後の生活場所」という現実的な問題

 *仙洞御所を用意できない限りは譲位は困難であった

 ☆譲位に関する諸儀式や退位後の上皇の御所の造営費用掛かる

 *莫大な経費を捻出できる唯一の権力者である信長

 *譲位に同意しなかったからとするのが妥当

 ☆信長が譲位に関してむしろ譲位に消極的だった説が有効

                      (敬称略)

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⛳出典、 BSTBS『にほん歴史鑑定』より

 

 

 

 

 

 

正親町天皇(蘭奢待、譲位問題)

(『にほん歴史鑑定』、ネットより画像引用)