敗戦と占領(3)
大学での教職追放
☆GHQの行なった思想弾圧で、帝国大学で指導的立場にあった教授の追放
*多くは愛国者や保守的な思想の持ち主
☆「WGIP」を日本人に植え付けるために教育界を押さえた
*GHQが指名した人物を帝国大学に入れ、その多くは戦前の共産党員
*無政府主義的な論文を書いたりして大学から処分された人も多数いた
☆それらの人は、GHQの後ろ盾を得て「WGIP」の推進者となる
*戦前、「森戸事件」東京大学を辞めさせられた大内兵衛
*戦前、「滝川事件」無政府主義的な講演で京都大学を辞めさせられた滝川幸辰
☆追放を免れた者も、これ以降は、GHQの政策に批判的なことを口にしなくなった
☆帝国大学で、共産主義に阿る教授や社会主義者に転向する者、変節する学者が続出した
☆東京帝国大学で、憲法学者の宮沢俊義は「8月革命説」を唱える
*日本国憲法はGHQによって押し付けられたものではない
*日本国民が制定した憲法であるとの説
*この説は東大の憲法学の教授たちによって引き継がれている
*その教え子たちによって全国の大学の法学部に広く行き渡る
*司法試験などの受験界では「宮沢説」は通説となっている
☆国際法学者として東京大学に君臨した横田喜三郎
*東京裁判の正当性を肯定している
☆日本の憲法学界をリードする東京大学の法学部の教授たち
*宮沢学説を半世紀以上にわたって継承し続けている
☆東京大学法学部からは、戦後も数多くの官僚が輩出
*「自虐史観」に染まった教授たちから教育を受けた人たち
*文部科学省や外務省の官僚になるという恐ろしいことである
高校、中学、小学校での教職追放
☆自主的な退職も含めて約12万人もの教職員が教育現場から去った
☆その多くが愛国心を隠さなかったり、保守的な考えを持っていたりした者
*戦前の師範学校出身者が多かったといわれている
☆その結果、教育界は社会主義者が支配するようになる
*日本教職員組合(日教組)は、完全に左翼系運動組織となった
*日教組の書記長で、30年トップの座にあった槙枝元文
*北朝鮮を何度も訪問し、金日成から勲章まで授けられている
☆戦後の日本の教育界は左翼系の人々に乗っ取られた形となった
GHQによる公職追放
☆GHQにとって好ましからぎる人物と判断した人たちを様々な職場から追放した
☆対象者は、「戦犯」や「職業軍人」など7項目に該当する人物
*GHQが気に入らない人物は、それだけで追放処分となった
☆自由党総裁だった鳩山一郎は、公職追放により政界から追放された
*アメリカの原爆投下に批判的ともとれる鳩山のインタビュー記事が朝日新聞に載った
*GHQにより、朝日新聞は2日間の発行停止処分を受ける
*それ以降、メディアはアメリカやGHQを批判する記事を書かなくなった
*戦後初の総選挙で第1党となった政党の総裁でさえ簡単に追放してしまうGHQ
☆以降、GHQの政策に異議を唱える政治家はほとんどいなくなってしまった
☆GHQは新聞社や出版社からも多くの人物を追放した
*菊池寛(作家、「文藝春秋」創刊者)、正力松太郎(読売新聞社社長)
*円谷英二(映画監督)、山岡荘八(作家)などの著名人等
☆GHQの指名によって入ってきたのは、GHQ覚えめでたき人物たち
*多くの大学、新聞社、出版社に、「自虐史観」が浸透
*GHQの占領が終わった後も、「WGIP」を積極的に一般国民に植え付けていく
☆大学や新聞社で追放を免れた人たち
*GHQの政策に批判的なことを口にする者はいなくなった
☆GHQの公職追放は、約21万人
*追放に協力した日本人が多数いた
*多くは共産党員ならびにそのシンパであつたといわれている
☆「教職追放」や「公職追放」は、日本人の誇りとモラルを破壊した
GHQが日本人に施した洗脳
☆戦時中の中国延安で、中国共産党が日本人捕虜に行なった洗脳の手法を取り入れたもの
*延安での工作には、日本人共産主義者、野坂参三の協力があったことが分っている
*野坂は、延安で中国共産党に合流し日本人兵士に脱走を勧める
*日本帝国主義打倒のための洗脳活動を行なっていた
☆GHQは、野坂(岡野進)に洗脳の具体的な方法を学んだと思われる
*洗脳の際、彼らがまず最初に行なうのが「自己批判」し「罪悪感を植え付ける」
*GHQもまさに同じ手法を取り入れた
☆中国共産党が延安で成功させた日本人捕虜への洗脳を日本国民全体に施した
☆日本人に過剰に自己を否定させる
*いわゆる自虐史観が蔓延し、「愛国心」まで捨てさせた
☆後の「河野談話」「村山談話」等
*中国、韓国の反日プロパガンダに容易に乗せられてしまう結果を招いた
*共産主義者に影響されたGHQの占領政策は、その後の壮大な「歴史戦」の端緒となった
GHQに最も忠実な報道機関となった朝日新聞
☆朝日新聞は、積極的にGHQの政策を肯定し、マッカーサーを称賛した
☆マッカーサーが連合国軍最高司令官を罷免され、アメリカに帰国する際の記事の要旨
*われわれに民主主義、平和主義のよさを教えてくれたマ元帥
*日本国民をこの明るい道へ親切に導いてくれたのはマ元帥
*まるで毛沢東か金日成を礼賛する共産主義国の機関紙のようである
☆マッカーサーをご神体に据えた「マッカーサー神社」を作ろうという提案がなされた
*発起人に当時の朝日新聞社社長が名を連ねていた(毎日新聞社社長の名前もある)
☆朝日新聞にとり、ダグラス・マッカーサーは現人神だったのであろう
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出典、『日本国紀』
敗戦と占領(3)(GHQの洗脳、共産党、8月革命説、マッカーサー神社)
(ネットより画像引用)