京アニ放火事件と三島由紀夫の「金閣寺」 | 下関在住の素人バイオリン弾きのブログ

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京アニ放火事件の刑事裁判が行なわれている。

 

なぜこのような事件を起こしたのか。

 

ところで、金閣寺も、昔放火されている。

 

金閣寺放火事件。

 

この事件を題材にした小説が、三島由紀夫の「金閣寺」だ。

 

私は、この作品は、1度ざっと読んだことがある程度だと思う。

 

主人公の若い僧侶は、吃音・どもりがある。

 

青葉被告は、「アイデアをパクられた」と言っている。

 

吃音。心の中に浮かぶスラスラと流れる言葉。

 

現実には、つまって、流れない言葉が口から出る。

 

あってほしい「スラスラと流れる言葉」というよいものは、奪われている。

 

青葉被告のアイデアは、客観的にはどうか分からないが、彼にとってはよいものだ。それが、彼の主観では、やはり奪われている。

 

奪われたよいもの。

 

現実の悪さを埋め合わせるために心の中で一層美しく輝く、理想の存在。

 

金閣寺・そして、京アニの作品。

 

「理想の存在と一つになりたい。」という思い。

 

青葉被告は、落選し、拒まれたと感じた。

 

僧侶は、(少なくとも三島由紀夫の「金閣寺」の終末部では)、金閣寺の小さな部屋に入ろうとして、「拒まれた」と感じた。

 

そして、外に飛び出した。そして、山奥で腹を切りつけてうずくまった。

 

青葉被告は、外に出て、倒れ込んだ。

 

僧侶は、刑務所内で、統合失調症を発症し、亡くなった。事件時、すでに発症していたのではないかと言う人もいるそうだ。

 

金閣寺放火事件では、人的被害はなかった。

 

多くの作家がこの事件に着想を得て、作品をものにしたのも、人的被害がなかったから取り上げやすかったというのもあっただろう。

 

かつて、日本では、作家たちが事象の本質に迫ろうとしていた。

 

今、日本の作家は、小粒になっている。

 

私は、昔はよく本を読んだが、今は読書の習慣も失われている。

 

時間的にも、心の余裕もない。

 

三島の「金閣寺」の内容も、うろ覚えだ。

 

そのうろ覚えの内容を思い浮かべると、今回の事件とどこか似ているような気がするのだ。