【 「いちこくはし」 八丁堀旦那の見廻り処】洛中思案 | 徳川わ廣 のブログ

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「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

16s 神無月晦日)

(浮世絵 いちこく橋 呉服町辺因り之景)


日本史跡研究会 東京開催に三井記念日美術館で展示される 「松島 瑞巌寺  伊達政宗展」の研修と日本橋界隈史跡巡りに参加した

瑞巌寺の宝物の五明王や伊達政宗像も観たが、

その後の日本橋から八丁堀の史跡散策も皆でした
こちらは地の者、普段の何気に進む道に史跡も知り楽しい


そのしとつ、いちこくはし  の話し
日本橋川に架かり江戸時代は木橋、この橋が壊れ 御金座御用 小判造りを任せられた後藤庄三郎と
御用呉服屋の後藤縫殿助(ぬいのすけ)がこわれた橋をばかけ直しに尽力をつけた事に因り 付けた名のよふだ

後藤が二人
五斗と五斗で、 一石

巧いもんだ洒落ている、
この橋には「満よひ子 知らせ」の石碑がある、
江戸の賑わひに行くかた知れずに為った者をば探す場処としても使われた橋

迷子や訪ね人の札をば石中の みぎに張り
しだり「たずね人知らせ」に
其を見て思い当たるもんが
応、うちの町内に居やがるぞっ  と 知らせ紙貼って やり取りをばした

迷い子訪ね人の場処は他に湯島天神や浅草寺にもあった
浅草寺には今も身元不明人の 御調べ番所 を桜田門が出す、

江戸 八百八町だ


・友より テーマ曲に使われてましたねと言われ 応と思い出しました・


ててご も母ごも
ごとごと と
一石橋で
待てば 良い
(ててご橋)






( 差し料 同田貫  )