【 佃島 住吉大社之辺 】 | 徳川わ廣 のブログ

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「わ」、と書いてるのは「和」草書由来 徳川家和広は二人いますからね、もう一人は恐竜化石学者さん、

御上 徳川わ廣
Nihon koku Tycoon
(The August sovereingn or Grand Souverain" )

【佃島 住吉大社あたり 】



「佃島住吉大社 辺」

此処へは史跡研究会と共に進んだ、
徳川家康江戸入府の時に三十三人の大阪より共に来たもの達が、この場所に住んだのが始まり、

家康に好物のしらうおを献上してくれました
住吉大社には家康も勧進されており、名を見ると東照権現の名でなく叉違う名前でした
何だろうね、と思った、

佃島の灯台前の隅田川は海近くに為り広々とひて、
人足寄せ場もこの灯台近く
川向こうが鉄砲州

この佃島に寄せた日に
東向島 菊川丁の火付け役盗賊改方 長官長谷川平蔵と遠山金四郎の屋敷を見、


桜鍋も食べた 
桜鍋も良かったが馬刺し、油刺し、美味しく 
友の与力に話し催促され次の月に叉行きました、
史跡研究会とは違う道より回り煉瓦造りの水道橋の遺跡も見ることができた、


広々とした空には巨大な佃島の摩天楼

(桜鍋屋の下足番)

………………………………………………

いの一番に与力と寄せたのだか下足番は「 ろ 」
多分「 いの一番」で もめやがる のを心配ではかったのだろふねひ

与力と桜鍋をば喫した時は溶き玉子は取らなかった、
この桜鍋は割下に赤味噌が入り、味噌を溶かしながら喫するのだか、その汁を味わってみたかった

あのな、
最後にはおまんまにぶちかけ食べなよ

叉 温かい玉子焼は絶品
ちっとばかし汗をかく頃に食べるも良し





(池波正太郎
火付盗賊改 長谷川平蔵絵)


鬼平馴染みの軍鶏鍋「五鉄」
と小林一茶の住跡も近くだ
蹴飛ばし後は、
北か深川の
猫の帯をばこちらが
むしりといて やろふかひ  

「靴御古仕立て」洛中思案
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