きょうだい児とは、障がいのある兄弟姉妹をもつ子のことです。

自分が生まれた時、もしくは障がいのある弟や妹が生まれた時から、きょうだい児としての生活が始まります。

 

 

前回の記事は、こちらです。

 

 

 

 

きょうだい児は、なぜ自分は生まれてきたのか考えることがあります。

理由はそれぞれあると思いますが、わたし自身の体験談をお話ししていきますね。

 

 

わたしには、9歳上にデュシェンヌ型筋ジストロフィーの難病のある兄がいます。

兄の障がいがわかったのは、わたしが生まれる前でした。

 

 

『子は授かりもの』

 

母が大切にしている考え方です。

障がいのある兄がいても、妊娠がわかった時に、わたしを産むことを決意してくれました。

どんな子どもでも、可愛いと思って育てることができる、と話していました。

 

でも、母も不安が大きかったのでしょう。

 

『元気な子どもが生まれてきてくれるか』

『丈夫な子どもなのか』

『産んでも良いのか』

 

そんな不安が頭をよぎったのです。

安心を得るために、占い師やちょっと人気の霊媒師のところに足を運んだことがあるようです。

 

 

 

そこで出会った、一人の女性。

滑らかに言葉を発することができない中、真剣に伝えられた言葉がありました。

 

”お腹の中、女、女。良い子。必ず産んで。必要だよ。”

 

初めて会ったその人は、そう言ったのです。

帰り際には、会話の補助をしてくれていた人から、再度、その女性からの言葉をわかりやすくしたことを言われました。

 

 

・この子は、家族を助けてくれる大事な子ども

・大変な時に、きっと支えてくれる

・今は苦しいかもしれないけれど、この子がいたら大丈夫

・元気で丈夫な子どもだから、安心して産んで

 

 

安堵した母は、帰宅する道中で、泣きながら帰って、このことを父に伝えたのです。

 

出産の時。

わたしは、兄弟の中で、一番小さく生まれました。

平均体重3,000gと言われていた時代に、2,724gで生まれました。

 

それでも母親は、抱っこした瞬間に、『この子は、小さいけれど、どっしりしている。丈夫な子だ。』と確信したそうです。

 

 

そして、もう1つ。親から子への初めてのプレゼントとなる、”名前”です。

わたしの名前に込められたこと。

 

・病気をしない元気な体でいられるように

・明るくて、人気者になるように

・誰からも愛される人になるように

・たくさんの友達ができるように

・将来困らない人生が歩めるように

 

 

誰しもが、このような希望や想いを持って命名するのだと思います。

 

しかし、わたしは自分の名前の由来を聞いた時に、嬉しさもありましたが、一方で、辛さがありました。

正しく言うと、名前の由来だけ聞いていたら、素直に喜べたのです。

生まれてくるまでのことを知ってしまったために、”そんなんじゃないんだけどな”という思いが出てしまったからです。

 

 

 

たしかに

・障がいのある兄の手伝いをしていること

・母親が大変な時に手伝っていること

・大きな手術が必要な病気をしたことがないこと

・周りの人から、頼りにされていること

 

自分の行動からもわかっていたし、周りとの関わりからも感じていたことでした。

でも、それは、生まれた時から、そういう環境で育ったから、そうするのが当たり前だと思っていたからで、そんな願いがあったことなんて知りませんでした。

 

知らなかったからこそ、自然とそういう行動ができていたのかもしれません。

 

 

 

親の気持ちを知ってしまってからは、複雑な思いでした。

 

 

・兄の世話をしっかりやらないといけない

・親が困っていたら助けないといけない

・元気でい続けなければ行けない

・良い子でいないといけない

・必要とされる人でいなければいけない

 

 

親が思っているような存在になる必要があると考えてしまったのです。

親の思いを知ったことによって、”過度に自分自身を追い詰める”ことになっていきました。

 

 

『今までどおりでいいんだよ』

 

 

親はそう言ってくれます。

生まれる前から、そう思って育ててくれているんだから、親にとっては、何も変わりません。

 

だから、今までと同じように過ごそうとしました。

でも、親の思いが頭をよぎってしまい、今までのような自然な感情のままでいられなくなりました。

見た目的には、今までと同じに見えているんですけどね。

 

 

心の中は、本当に複雑。

些細なことにも過敏になってしまい、”いつもと様子が変だよ”と心配される始末。

 

”そんなことないし”と強がってしまうのも、親の思いを知ってからかもしれません。

 

心配をかけないように。

負担をかけないように。

親が笑ってくれるように。

悲しまないで済むように。

 

 

 

こんなことを考えていると、”わたしは、何のために存在しているんだろう” ”どうして生まれてきたんだろう”と生まれてきた意味を問いかけてしまいます。

 

 

兄のお手伝いをするため?

母親の支えになるため?

自慢できる子どもになるため?

存在している意味がわからない。

本当は生まれてこなくてもよかったんじゃないか。

 

 

この問いに関する答えは、無限にあると考えています。

年齢によっても、変化していくものであるし。

 

 

今のわたしがたどり着いた答え。

 

 

 

 

自分の人生なんだから、好きなように生きていったらいいじゃん。

 

 

 

誰の人生でもない、自分だけの人生。

 

もちろん、一人では生きていけないのも事実。

親や兄弟のことを心配する気持ちも持っている。

 

それでも、好きなように設計していける。

だって、わたしに与えられた命だから。

 

 

 

次回に続きます。

きょうだい児は「ストレス耐性が高い」