きょうだい児とは、障がいのある兄弟姉妹をもつ子のことです。

自分が生まれた時、もしくは障がいのある弟や妹が生まれた時から、きょうだい児としての生活が始まります。

 

 

障がいの程度にもよりますが、健常児者と比較すると障がい児者には手がかかります。

そのため、自然と障がいのある兄弟姉妹が中心の生活になってしまいがちです。

 

そんな時、以下のような感情が生まれやすいです。

 

 

<体が自由に動かせない障がいがある(肢体不自由など)>

・動ける自分は、きちんとやれるようにしよう。

・私は一人でできるから、大丈夫。

・気にしなくてもいいよ。

 

 

<言葉がはっきりと言えない障がいがある(知的障がいなど)>

・こういう風に言っているよ。

・きっとこうしてあげたら、いいんだと思うな。

・今日はいつもよりも、言葉が聞き取りやすくていいね。

 

 

<こころの問題に関する障がいがある(精神障がい・引きこもりなど)>

・天気が悪いから、今日はあまり調子が良くなさそう。

・話しかけたら怒られそうだから、そっとしておこう。

・また一人で話し始めたけど、いつものことだから気にしない。

 

 

<こだわりがある障がいがある(発達障がいなど)>

・このおもちゃで遊びたいけど、我慢するか。

・本当はこっちがいいけど、別に違うのでもできるや。

・静かにしてもらうためには、こういう風にしたら、いつもいいよね。

 

 

 

きょうだい児本人の気持ちではなく、障がいのある兄弟姉妹の気持ちを最優先に考えてしまいます。

「本当は、こうしたい。」「私だって、好きなようにしたい。」

心の奥底では、自分の言いたい気持ちがグルグルと渦を巻いています。

 

それでも、自分は障がいが無いから、手がかからないようにできるから、

そんな気持ちが芽生えてしまい、自分自身の感情やこうして欲しいということを言えなくなります。

 

 

「我慢することが、当たり前」になってしまうのです。

 

 

親も、言葉では、「いつもごめんね。。。」とか「我慢させちゃってるね。」とか

「好きなことしてもいいんだよ。」などと言ってくれます。

もっと愛情を注ぎたい、そんな気持ちを持っていると知っています。

そして、きょうだい児が、どんな想いをしているのか、全部ではないですが、わかっているはずです。

 

 

だからこそ、障がいのある兄弟姉妹が中心となった生活になってしまいます。

 

 

 

そんな生活をしていると、

『私は生まれてきて良かったのだろうか。』

『私がいることは、親にとって迷惑なことなんじゃないか』

『わがままを言ったら、親を困らせてしまう。』

『何も言わないでいるのがいい。』

 

 

 

と、ふとした瞬間に考えてしまうことがあります。

こんなことを考えてしまう自分自身も嫌になってしまい、とても辛い気持ちになります。

しかし、その気持ちすらも伝えることができないのが現状です。

 

『いっそのこと、いなくなってしまえば、楽になれるのかもしれないな』

とまで考えてしまいます。

 

でも、そんなことをしたら、迷惑がかかってしまうこともわかっているため、

何もできずに、誰にも相談できずに、ただただ時間が過ぎていきます。

 

人知れず、悩みを抱えているきょうだい児は、人一倍、「生きづらさを感じやすい」のです。

 

 

 

きょうだい児が、自分の気持ちを話せるように、親からの愛情を感じられるように、

そんな雰囲気づくりが、少しでもできるような世の中になって欲しいと感じます。

 

 

次回に続きます。

きょうだい児は「障がいのある兄弟姉妹について深く聞かれると戸惑う」