讃岐の歴史名所探訪の旅(1)~金刀比羅宮~ | 凝り性 勝之進のこだわり日記

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★Livin' On A Prayer★Once upon a time Not so long ago・・・ 
 

今回の旅行は、香川県を観光してきました。

讃岐地方は、瀬戸内海に面して海があり、
気候も温暖で暮らしやすいため、
古代より人が住みつき、様々な史跡が
残っていますので、その名所を訪ねて
来ました。

まず最初は、最も有名な金刀比羅宮から
参ります。

◆勝之進は、30年以上前に、
仕事で高松に来たことがあり、その時は、
金刀比羅山の階段の1段目の手前まで
案内され、

「ここから785段先に本宮があります」
と上空を指さされ、そのまま、お詣りを
せずに帰って来た記憶があります。

時間がなかったとはいえ、行ったとも、

行ってないともいえる中途半端な状態

でしたので、今回はちゃんとお詣りして
モヤモヤを払拭するべく、本宮を目指しました。

まず最初に、買ってきた金色に輝く
お守りをアップします。

こんぴら狗つきです。

 

◆金刀比羅宮の由来は、非常に古く、
大化の改新以前とされているだけで、
創建の年代は判っていません。

 

ご由緒を見ると、ご祭神は
「大物主神(おおものぬしのかみ)」
であり、

 

少なくとも12世紀には、象頭山の

「象の眼」に当たるところに
真言宗・象頭山松尾寺という寺が
あったそうです。

その後、神仏習合の過程で、
金毘羅大権現が祀られて興隆し、
江戸時代には「こんぴら参り」が
おおいに流行しました。

明治維新では、神仏習合は廃せられ、
金毘羅大権現は琴平神社となり、
1868年7月に宮号を仰せられて
「金刀比羅宮」となって現在に至ります。

◆それでは下から登っていきましょう。
参道の手前の門前町は土産物屋で
人通りも多く、とても賑わってました。

写真に写っている
「中野屋/中野うどん学校」は
1914年創業(丁度100年目!)であり、
垂れ幕にもその旨が書かれていました。

そういえば、元フジテレビアナウンサーの
中野美奈子さんも丸亀出身ですので、

このあたりは中野姓が多いのでしょうかね。

うどんと中野さんの話は、また別に
書くとして、先を急ぎます。

◆登っていくとこんな感じで両脇に
寄進を彫った石柱が並んでいます。
いい雰囲気です。


◆大門を抜けて500段目には、
銅製の桜馬場西詰銅鳥居があり、
その脇に、「こんぴら狗・ゴン」
の銅像があります。

 

江戸時代、本人に代わって
「代参(だいさん)」する犬を、
庶民は温かく世話し、見事、江戸から
讃岐まで旅して戻って来た犬もいる
といわれていますが、

江戸から往復1400キロの距離を
どうやって移動したのか、
全く想像できません。

 

もし本当に、コンプリートして

帰ってきたとしたら、飼い主は、

さぞ嬉しかったことでしょう。

◆銅鳥居を抜けて右手に折れると
書院があります。

書院は、表書院、白書院、裏書院があり
建物自体が重要文化財となっているほか、
円山応拳、伊藤若冲などの作品が

展示されています。

勝之進は、折角なので、表書院にある
丸山応挙が描いた虎の襖絵を観てきました。

虎を見たことがない応挙が
話しを聞いて描いたとされる

「水呑みの虎」(写真ご参照)は

一見の価値がありました。

さらに、更改されていない奥書院には
若冲が描いた「百花図」がありますが、
2023年に9年ぶりの公開が終わり、
実物は見られませんでしたので、

かわりに絵葉書を買ってきました。

◆先を急ぎます。628段まで登ると
重要文化財の旭社がドンと現れます。

1837年にかけて、二万両の寄進と
40年の歳月を費やして建てられた

銅瓦葺二層入母屋造り、高さ18メートルの
堂々たる建物です。

特に軒天(屋根の庇の下側)には巻雲の
彫り物があり、非常に珍しい造りです。


軒天隅木(角の一番とんがった梁)にも

ワニの彫刻がありますので、
見上げてみて下さい。

旭社は、もともとは金堂であり、
薬師如来、金毘羅大権現などが

鎮座していました。

建物全体に、多くの豪華な彫刻が施され、
やってきた森の石松(清水の次郎長の子分
~1860年)は、本殿だと勘違いし、
本殿に寄らずに帰ってしまったとの
逸話が残っています。

◆本殿に向かうには、旭社を右手に見ながら
賢木門を潜ります。

長曽我部元親(1539~1599)により
献納された際、建築を急いだために
一本の柱が逆さまになってしまい、
「逆木門」と名付けられた門です。

イメージが良くないとの理由で、
明治の改築時に「賢木門」に
改名されています。


◆そして、最後の難所は御前四段坂です。

最後の約130段の階段は、
4つに分かれていますが、今までの中で、
一番急な階段となっており、みんな、
ふぅふぅ言いながら登っていました。


◆そして、登り切ったところに拝殿と本殿が
あります。

ここまで、785段、海抜251メートルです。

拝殿と本殿は、1878年に改築されたもので、
大社関棟造(たいしゃせきむねづくり)という
唯一無二の様式です。

拝殿は正面と左右の3方が入母屋破風に軒唐破風を
重ねた仕様で、似た造りをした本殿と結ばれています。
八幡造に似ていますが、上から十字に見えるのが
特長です。

特に、拝殿は「三手先(みてさき)の組物」
(神社建築の屋根を支える独特の建築様式)
が全て角ばっていることが特徴で、
これも唯一無二の仕様です。

今回は、手に怪我をした直後なので、
再び怪我をしないように、という祈願と、
厄除け祈願をすませ、

 

お守りを買い、御朱印を頂いて

帰途につきました。

◆奥社には厳魂神社(いづたまじんじゃ)という
神社があり、更に583段上がったところ
(合計1368段!)にあると言われましたが、
あっさり断念いたしました。

 

本殿からの眺めも絶景でした。

(広重風のアングルで撮ってみました↓)


以上、こんぴらまいりの一部始終でした。

(続く)

  神椿カフェで休んだら、杖が盗まれた。。。勝之進