前真言宗醍醐派管長・総本山醍醐寺座主の麻生文雄氏は、一言法話の中で次のように説いています。
「新(あらた)」という字は、立ち木を斤(き)ると書く。立ち木を斤ると、その新しい斤り口から樹液がぬれ出てくる。その液の香りは、新しい生命の香気をみなぎらせている。新とは、木の斤り口から出た文字である。
中国の『大学』という古典の中に、
「苟日新、日日新、又日新(苟・まことに 日に新、日々に新、また日に新なり)」
という一文がある。これは、自己啓発の文言である。
今日の行いは昨日よりも新しくなり、明日の行いは、今日よりも新しくなるよう自己啓発に心がけねばならない。
古代中国の殷(いん)を興(おこ)した湯王(とうおう)という明君(めいくん)は、この言葉が大変好きだった。自分が使う青銅製の洗面器にこの言葉を刻み込み、毎朝、顔を洗うとき、「日に新なり」と自己啓発に意を注いだという。
また、湯王の名臣・伊尹(いいん)の言に、
「政治とは、民(たみ)を新にすることなり」
というのがある。
日々の自己啓発、「日に新なり」がなかったら、グループのリーダーとして、多くの人々を説得することはできないだろう。人に生きる喜びを与える徳を古びさせることなく、「日に新なり」としていくことである。
今なすべきことを直ぐ実行する。実行すれば、そこに新なるものが生まれる。今日なすべきことは、今日のうちに実行して明日に延ばさない。明日はまた実行すべきことがある。これがよき一日を生きる道である。
以上です。